遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『原発はいらない』 小出裕章著 幻冬舎ルネサンス新書

2011-08-05 12:00:00 | レビュー

YouTubeの動画、特集番組や、
「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」のウェブサイト
http://hiroakikoide.wordpress.com/
などを、ご覧になっているとこの本の内容のほとんどはどこかで語られている。

『原発のウソ』(扶桑社新書)に引き続き、上梓されたこの新書も、小出氏が講演や報道インタビューで語られた内容を編集して再構成されたものである。

5分~10分という短い時間のインタビュー発言では、著者の主張の結論部分や強調点を取りあげているだけのことが多く、どうしても断片的になってしまっている。
新書という形式で再構成されたことにより、著者の主張が、その理由・事実データを添えて述べられ、より一層論理的に整理して語られた形になっているので、事実内容と論点が明瞭になっている。語り口調なので読みやすい。
短時間のインタビュー発言録画やいくつかの講演動画をいままで継続して見聞してきた。断片的なままだった情報・知識が、この書を読むことで改めて体系的にも整理でき、「小出哲学」の全体像を把握するのに役立った次第である。
原発推進論者の方にも、この書を読んでもらいたい。真に論駁できるものかどうか・・・論駁できなければ、推進の旗を即刻降ろすべきであろう。

本書は5章構成となっている。
序 章 私が40年間、原発に反対してきた本当の理由
第1章 福島第一原発は今後どうなるのか?
第2章 危険なのは福島原発だけではない!
第3章 原発に関する何でもQ&A
第4章 未来を担う子どものために、大人がやるべきこと

序章では、福島第一原発事故は「人災」であると筆者は断定する。夢を抱いて東北大学の原子核工学科に入学した小出氏が、なぜ反原発の道を歩むことになったかを語っている。そのきっかけは、あの女川原発ができる以前、反原発集会があった1970年10月だったとのこと。反対する人たちの意見「原発が安全というなら、なぜ仙台に作らないのか!」この言葉が、小出氏の現在をあらしめているという。
小出氏の肩書きは「京都大学原子炉実験所助教」。1974年この実験所に助手として採用され、原発反対の立場で一貫して研究生活を送られてきた。助教を昔風に言えば「助手」、つまり職階はそのまま最下層だったことになる。「大学として基礎的な学問をする場」としての原子炉実験所には、「熊取六人組」と称される反原発の研究者が居たとか。数基の原発時代から54基の現在まで、時が経ち、今や現役は今中哲二氏と小出氏の二人になっている。
本文には、次の一節がある。
「安全な原発などはない」は、「すべての原発は危険」と同じ意味です。だから私は、原発の即時停止を求め続けるしかありません。

第1章は、度重なる「想定外」の情報隠しと不手際の事実を具体的に指摘し、原発事故が何故起きたかを、イラスト図で説明しながら解き明かしている。5月末現在で既に10万トン超となった放射能汚染水の持つ問題点を明確に指摘されている。また、一つ間違っていればどういう大惨事になっていたかのシミュレーション結果も説明されている。
「死の灰」を無くすことはできず、被曝線量に「安全値」はない。原発事故は周辺地域だけではなく、日本中、世界中を巻き込む大惨事になると筆者は主張している。
まさに、今これが福島発で実証されているのではないだろうか。

第2章は、日本全国に現存する原発の持つ危険性についてなぜかを説明している。また、原発を廃止しても電力は不足しないという論拠を、「中部電力の発電設備容量」「中国電力の電力需給実績と将来予測」を事例にとり、説明が加えられている。このあたり、短時間のインタビュー動画では、「電力は不足しません」という発言しか映像にならないあたりの裏付けになる。
そして、プルサーマル発電の危険性を具体的に解き明かしている。
こんな一節がある。どれだけの一般国民が理解していることだろうか。(私も無知だった)
そこで政府は、再処理工場については原子炉等規制法の対象から外してしまいました。つまり、濃度規制をしないということです。それほど再処理工場から放出される放射能の濃度が高いことを示しているのです。

第3章は章の副題が「知らないと、自分も家族も守れない」
15の質問が取りあげられていて、その一つ一つに解りやすく説明が加えられている。大変率直な事実・現実に即した回答である。
どこかの御用学者さんのような「安全です」という発言とは、当然ながら、対極にある。
最後に、今後、核のゴミを「お守り」してくれる若い有能な研究者が出てくることを希求されている。

最終章の第4章では、まず子どもを被曝から如何に守るかに真剣に取り組む必要性を力説している。「子どもたちには何の責任もないのに、被曝の危険性は大人の四倍もある。」という。そして、原発を止めても電力は不足しない理由をマクロの視点から解説する。また「原発エコ論」が、ウラン採掘から使用後の廃物処分までのライフサイクルにおける二酸化炭素放出という視点でみれば、大ウソであることを論証している。一般製品の二酸化炭素排出をライフサイクルでアセスメントする考え方と同じ土俵にのっており、説得力がある。そしてエネルギーと人間の生活のとらえ方に言及する。豊かな生活とは何か、エネルギーとの関係において、我々一人一人が再考しなければならない課題である。
筆者は第4章を、ガンジーの墓碑に記されているという「七つの大罪」の紹介で結んでいる。

「あとがき」の前に、「福島第一原発事故の経過」として、3月11日から6月24日の主要経過が7ページで簡潔にまとめられている。経過の軸となる部分をおおづかみするのに役立つ資料である。



付記
1箇所、校正不備に気づきました(7月20日第2刷にて)。ちょっと残念です。

73ページ 見出し:無くすことができない「死の灰」
の3行目 「標準発電量100キロワットを発電させるためには、」の箇所ですが、
 100キロワット は 100万キロワット だと判断します。

216ページ 見出し:政府は、住民を守ろうとしなかった?
の1行目が同趣旨の一文です。ここでは、「発電量100万キロワットの原発1基が~」と記載されています。



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