遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『福島 原発震災のまち』 豊田直巳  岩波ブックレットNo.816

2012-11-26 14:50:42 | レビュー
 マスメディアは移り気である。その時の話題性を追いかけて、重要な事柄であっても継続的で着実な報道は次第に影を潜め、散発的な記事になっていく。
 福島の原発震災も、どうも同じパターンに堕しつつある。しかし、一時の話題で終わらせてはならないものだ。原発爆発の惨劇後、そこから始まった未来永劫続いて行くに等しい影響が見えない形で継続していること、影響を与え続けていることを意識しなければならないのではないか。原発事故の事実はまだ完全に究明されたわけではない。いくつかの報告書が発表されたからといって、原因が究明しつくされた訳ではない。推測が重ねられ、究明できたと言うにはほど遠いのではないか。原発震災に対する意識を風化させてはならないと思う。

 本書は、2011年8月に発行されている。その時点までの状況をフリーランス・ジャーナリストの目と耳で捕らえ、現地・現場主義でまとめられたフォト・ルポルタージュである。2003年のイラク戦争の際、イラク取材にガイガーカウンターを持参し、劣化ウラン弾の住民への影響を調べるために現地に赴いたという。また、チェルノブイリ原発事故25年目の現地、酷寒のウクライナとベラルーシに出かけ2011年3月11日の前週まで取材していたのだという。その著者が、この日本の東北に「見えない戦場」が広がっていると感じたのだ。

 本書は、著者が2011年3月12日午前11時に、自家用車で自宅から福島に向かった以降の現地見聞をジャーナリストの視点で記録したものだ。原発震災の初期段階5ヵ月弱の期間の報道記録である。
 2011年3月11日から2012年11月中旬まで、早くも1年8ヵ月もの時が過ぎ去ってしまった。しかし、何も実質的に解決していないのが現状ではないのか。原発震災に対する意識を風化させないためにも、改めてその発生の原点の状況を、今振り返ってみることが大事ではないか。原点に戻って考えること、それを繰り返すことで、現時点での原因究明・復興の進展状況をチェックすることが、意識的にできるのではないだろうか。本書はそういう意味で、意識喚起の糧になる書である。78ページという薄いブックレットである。わずかの時間で振り返ることができる情報源だ。原発震災発生直後の現地の生の声、それに反応した著者の思いを、客観的に今見つめ直し、現状対比のスケールの一つにする意義があると思う。

 78ページの中に、当時の写真が42葉掲載されている。
新聞、TVなどのマスメディアには現れることのなかった(と思う局面)の写真がいくつもある。マスメディアの報道のあり方を振り返る材料にもなるのではないか。我々がマスメディアの情報で受けとめていたことと、本書の写真から改めて受けとめるものとの距離感といえようか・・・・・。知らされていない事実、知ろうとしなかった事実の存在。

こんなキャプションの写真が掲載されている。
*手付かずの津波被災地に晴れ着姿の写真が残されていた。 4月1日浪江町 p20-21
*双葉厚生病院前で毎時150マイクロシーベルトを計測。 3月22日 双葉町  p22
  → 本文に3/13には毎時1000マイクトシーベルトを越えていたと計測事実を記す。
*津波に運ばれた瓦礫の中から遺体の足がのぞいていた。 4月1日 浪江町 p24
  → 「震災から三週間、この場所では行方不明者の捜索も、遺体回収もなされていなかったのだ。・・・実際には、浪江町で福島県警による行方不明者の捜索が始まったのは、それから二週間後のことだった。」(p43-44)
*スーパーアリーナに避難した人々が夕食の炊き出しに並ぶ。3月19日 さいたま市 p29
*避難した酪農家の牛舎には、死んだ牛や死にかけた牛が。 4月18日 南相馬市 p31
*乳牛を屠畜に出す日も、高橋日出代さんは牛の世話を続けていた。5月18日 飯舘村p57
*自殺した菅沢茂樹さん(仮名)が、堆肥舎の壁に遺した言葉。 6月13日 相馬市 p63
  → 壁に書き残された言葉の一つはチョークの線で囲まれている。
     「仕事をする気力をなくしました」
    一番上の行には、「原発さえなければと思います」ということばが。
  → 桜井勝延市長が、著者のインタビューに答えた言葉が記録されている。
  「・・・東電の第一原発副所長と用地部長が初めて(南相馬市に)来たのは3月22日です。それまでは電話一本、紙一枚の連絡もなかった。今まで、東電さんとのお付き合いは、お金のやりとりを含めて、ゼロです。ここは原発の立地町ではありませんから。(東電から)頂いたのは被害だけで、それ以外のものは頂いていません。彼らにはそう申し上げました。・・・・」

本書の構成について記しておこう。
 はじめに  -見えない戦場-
 第1章 終わりの見えない恐怖へ
 第2章 漂流する避難民
 第3章 放射能に襲われた「までい」村
 第4章 津波と原発震災
 第5章 「原発で 手足ちぎられ 酪農家」
 おわりに -命を守るために-
 地図

 最後に、現地取材を重ねた著者の視点を引用しておきたい。

*その日の暮らしに困っているだけでなく先行きの不安に悩む、原発事故の被災民を前にしてもなお、自らの加害の自覚があるのかすらも疑われる姿勢。そこに「国策」と称して原発を推し進めることに伴う人間性の希薄化を見るのは私一人ではあるまい。やはり事故は起こるべくして起こったのではないか。  p15

*原発から30キロメートル離れた上空を飛ぶヘリコプターから撮影を続けるNHKの映像以外、メディア各社が独自に取材した映像や写真はほとんどなかったからだ。事故の当事者である東京電力や政府、そしてそれを支援する米軍などの提供する映像や写真を掲載し、放映することに新聞もテレビも忸怩たる思いはしていたはずだが、現実に取材がなされていなかった。収束の気配もない原発事故を取材するリスクや、自社の安全基準とジャーナリズムの責任との間で各社とも葛藤を続けていたのだろう。しかし、これまで何度となく「事故隠し」や事故の過少評価を続けた東電からの情報を垂れ流し続けていいはずはない。  p45-46

*原発事故、放射能汚染によって家や故郷を、そして家族を、さらに自分の健康までをも奪われた人々のこころの傷は金銭だけであがなえるものではない。  p73

*原発行政は「安全神話」に守られて進められてきた。そのことを知れば、安全が崩れた時、・・・・原発に関してそうした災害への対処策が事前に計画されていなかったことも、あながち不思議なことではない。推進して来た側の立場からすれば、原発は「絶対安全」であり、「絶対に事故は起こらない」のだ。そのため、事故対策は論理矛盾となってしまうからである。   p74

*すでに「安全」が崩壊したにもかかわらず、国も東京電力も「安全神話」にしがみついている結果、今起きている現実に目をつぶり、無数の人々を放射能にさらしてしまったのだ。   p74

*原発事故を起こしてしまった国や東京電力は、こうした子どもたちの健康診断や診察、そして将来必要となった場合には適切な治療を続ける義務があるはずだ。たとえ「安全神話」という嘘に「騙された」にしろ、こうした国策を許してしまった私たちは、国や東京電力に、それを実行させなければならない。その責任から私たちは逃れられないということを、改めて考えざるをえない。  p76

*たとえ事故がなかったとしても、他人の犠牲の上に成り立つ「豊かな暮らし」を、私たちは本当に豊かと呼べるはずはないのだから。  p77



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