遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『隠蔽捜査4 転迷』 今野 敏  新潮社

2012-08-07 14:42:53 | レビュー
  冗談ではない。
  竜崎は思った。俺は大森署の署長だ。
  一国一城の主なのだ。

 本書末尾の文である。竜崎伸也のこの言。真骨頂が出ている。楽しい終わり方だ。
 著者の創造した竜崎伸也のキャラクターは大好きだ。原理原則で物事を判断し、組織人として正当なことには従うが、つまらぬ官僚思考の柵や自己保身などは無視し、相手にしない。組織の柵も不必要なことなら無視して正論で押し通す。結果的に不思議と道が開け、合理的判断が相手に受け入れられていく。それは竜崎が責任を取ると言うからかもしれないが。官僚の無責任体質の裏返しなのだ。無駄な官僚手続きは無視し、原理原則、合理性と効率性で管理し行動する。こういうキャラクターで押し通す人物が少ない故に、憧れるのかもしれない。

 竜崎の許に、いくつもの事案の報告が入ってくる。
 東大井二丁目で男性の遺体が発見された。その場所は勝島運河を挟み、対岸には第二方面本部と第六機動隊の所在地がある位置だ。第二方面本部の目と鼻の先である。大森署の管轄外だ。勿論、竜崎は大森署と関係のない事案と判断する。だが、捜査本部が設置されると、近隣署の事件には大森署にも応援を要請されることになる。
 大森署管内の大森北3丁目、「八幡通り入口」信号付近で、ひき逃げ事件が発生。集中1号配備(緊急配備)が要請された。しかし、ひき逃げした車は緊配をうまくくぐりぬける。被害者は死亡。ひき逃げした車の目撃者もすぐには出てこず、車体ナンバーも不明。捜査が難航しそうである。この事案は、本庁交通捜査課の指揮権の下で大森署に捜査本部が立つことになる。
 また、管内では不審火が相次いでおり、強行犯係は放火の捜査に集中したいと思っているときでもある。
 さらに、笹岡生安課長が厚労省地方厚生局麻薬取締部(通称、麻取り)の矢島からの電話を竜崎に内線で取り次いでくる。刑事課が暴力団同士の対立を警戒しているときに、その対立原因が覚醒剤の売買にあることがわかり、生安課が内偵を進め、売人を検挙したのだ。その検挙にあたって、生安課に落ち度はないという。実は、麻取りが泳がせ捜査を行っており、この捜査について生安課には情報が流されてはいなかったことが問題を引き起こしている。逮捕した売人は、麻取りが自由に動かし泳がせていた人間だったのだ。麻取りは大森署が大きな事案の邪魔をしたと立腹し、生安課長を麻取りに出向くよう呼び出したのだ。矢島は厚労省の方が警視庁、警察署より格が上だから、呼び出されたら直ぐ来るのが当然と思っている。 異質な事件が同時期に発生してきたのだった。

 一方、竜崎のプライベートな面で、娘の美紀に重大な問題が発生していた。美紀が付き合っていて、今はカザフスタンに赴任している三村忠典(かつての竜崎の上司の息子)がカザフスタンで飛行機の墜落事故に遭ったかもしれないという。美紀が連絡をとろうとしても忠典とコンタクトが取れないのだ。竜崎の妻は、竜崎の方で飛行機墜落事故の乗客についてわかる伝手はないか、情報が得られないかという。竜崎は、外務省の伝手を探す。竜崎はかつてアジア大洋州局に所属していた内山昭之の古い名刺を見つける。

 警察署長として、大量で煩瑣な書類手続きの事務処理に日々追われ、地域との関わりという対外的な公務をこなす中で、様々な事件や家族の問題が発生し錯綜していく。

 東大井二丁目の遺体は、外務省の職員だった。中南米局南米課に勤めていた人物である。警視庁の伊丹俊太郎刑事部長(竜崎と同期)が捜査本部長となって捜査にあたる。しかし、ここに公安部が乗り出してくる恐れがあり、公安部と刑事部の綱引きになることを、伊丹は回避したいと思っている。
 大森北3丁目のひき逃げ事件は、本庁交通捜査課の土門欽一課長が大森署に設置された捜査本部の実質的なリーダーとなり捜査にあたることになる。そして、悪質なひき逃げ事件なので強行犯係からも捜査人員に加わることを竜崎に要求してくる。
 不審火の放火犯人捜査に、戸高刑事は力を入れている。強行犯係が全員この捜査を第一にすべきだとする。不審火での犠牲者が出る前に犯人逮捕が最重要だと主張する。
 内山と何とかコンタクトできた竜崎は、墜落事故の詳報を入手できないものかと依頼するが、逆に内山からは外務省職員の殺された事件の情報を教えて欲しい旨、依頼される立場になる。思わぬところから外務省の人間とのチャンネルができてしまう。

 独立の捜査本部が設置され、同時並行に進行する各事案の捜査活動。署内強行犯係の応援派遣との関係で、すべての事案に関わっていかざるを得ない竜崎。放火犯捜査に邁進する戸田刑事がその捜査過程で、情報屋からひき逃げ事件に絡んだ情報を得る。その情報の真偽の確認から、併存し同時進行する事案が意外な形で収斂していく方向に大きく動き出す。

 竜崎が各捜査本部とどのように関わり、どういう立場に追い込まれていくかが、この作品のおもしろいところでもある。ああ、やはり、そうなるか・・・で、どうする?

 警察署と本庁、警視庁の公安部と刑事部の綱引き、厚労省の麻取りと警察署生安課、警視庁・警察署と外務省、など様々な縦割り組織間での、事案解決に取り組むスタンス、考え方、思惑の違い、捜査方針・方法の違いなどがぎくしゃくと対立していく。その中で、竜崎が原理原則、効率性、効果性などの観点からの合理的論理的思考を武器に、快刀乱麻を断つ如くに物事を進めていく。その切れ味がすばらしい。柵にとらわれない合理的論理重視の交渉がこれまたおもしろい。痛快である。

 竜崎伸也タイプのお役人って、どれくらいいるのだろうか。居ないからこそ、作品として面白みが増すのだろうか。スカッと爽やかな気分が味わえる故に。

 最後に、ひとつだけ、スカッとしない部分が一つ残る。

 「野心のために暴走したことを認めるべきです」
  伊丹がはっと自分のほうを見るのを、竜崎は感じ取った。折口は口を真一文字に結んだ。顔色がやや青ざめる。 (p322)
  
 さて、この折口の責任はどうなのか。現行法では裁けず、本人が良心の呵責を負うだけなのだろうか。黒幕的存在に対し、物的証拠での立証ができなければ、法が及ぶことはないのか。

 印象深いフレーズを紹介して印象記を終えたい。

*物事のマイナス面だけ見ていても仕方がない。あらゆることを、自分のために役立てるように努力すべきだ。
 そして、それはちょっと視点を変えたり、発想を転換するだけで可能になると、竜崎は考えていた。  p149

*判押しを続けているが、書類の内容はほとんど頭に入っていない。形式だけで署長印を押すことがまったく無意味に思えたが、警視庁は、「形式庁」と呼ばれるくらい形式を重んずる。
 逆に言えば、形式さえ整っていれば、書類が問題にされることはない。
 ・・・・・・
 うまい具合に、責任の所在をわからなくする。それが長年役所で培われてきた工夫だ。改革を進めて、役所の手続きを効率的にしたり、回覧する書類を減らしたりすると、それだけ、誰かが責任をかぶらなければならなくなる。  p146

 →この記述、まさに原子力ムラの評価・認可体制と同じではないか。そんな気がした。  福島第一原発事故、だれに責任の所在があるのか・・・・いまだに??? だ。


ご一読ありがとうございます。
人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

 今野作品と関連して過去に検索したものでかなりカバーされる。
 そこで、気になる語句だけ、検索して背景を拡げた。検索語句を一覧にする。

外務省の組織と機構  :外務省 「外務本省」
外務報道官・広報文化組織 :外務省 「外務本省」

厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部 のHP
 使命と役割 
 薬物犯罪捜査 
 不正流通する薬物 
 
 薬物乱用防止 「ダメ。セッタイ。」ホームページ
 
警視庁の組織図・体制  :警視庁のHP
特殊捜査班 :ウィキペディア
警視庁本部の課長代理の担当並びに係の名称及び分掌事務に関する規定


カザフスタン :ウィキペデイア
カザフスタン共和国 :外務省
Kazakhstan :From Wikipedia, the free encyclopedia

メデジン :ウィキペディア
Medellin :From Wikipedia, the free encyclopedia
メデジンカルテル  :ウィキペディア
カリ・カルテル   :ウィキペディア

ゴールデントライアングル ← 黄金の三角地帯 :ウィキペディア
  黄金の三日月地帯 :ウィキペディア
Golden Triangle (Southeast Asia) :From Wikipedia, the free encyclopedia
Golden Crescent :From Wikipedia, the free encyclopedia

The Golden Crescent Heroin Connection :Executive Intelligence Review

コロンビアン・ネクタイ
 「歴史上残忍とされる世界10の処刑方法」というブログ記事の中で、紹介されている。   :「カラパイア 不思議と謎の大冒険」
  

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


付記

著者・今野敏の作品で、その印象記を載せたものをリストにまとめました。
  読書記録索引 -3  フィクション:今野 敏、堂島瞬一

お読みいただけるなら、このリストから選んで印象記に遡ってください。
ありがとうございます。