遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『蛇衆』 矢野 隆  集英社

2013-02-01 10:40:23 | レビュー
 本書を読み始めて、その後に著者履歴の奥書を読み、2008年に「蛇衆綺談」という題で第21回小説すばる新人賞を受賞した作品であることを知った。やはり受賞するだけのことはある、というのが総論印象である。一気に読んでしまった。

 「蛇衆」というのは著者の造語だろうか? 
 「まさか蛇衆」
 「噂で聞いたことのある名じゃ。戦場を転々とし、金で戦を請け負う蛇のごとき輩がおると。奴等が味方をする軍は負けぬ」 (p23)
末崎弥五郎と堂守兼広の会話である。蛇衆とは傭兵集団のことなのだ。
 この作品は応仁文明の乱が終わり、戦乱期を迎えつつある時代の北部九州、代々豊前守護大名大友氏と被官関係を築き、筑後と肥後の境にある肥岳地方の中央の鷲尾山の麓を領する肥岳一の領主・鷲尾家を舞台にしている。隙あらば鷲尾の地を奪い取ろうとする国人衆、特に隣国我妻との戦いと鷲尾家の家督争いがストーリー展開の軸になる。この渦中に蛇衆が絡んでいくのだ。

 この作品、少数精鋭傭兵集団が戦闘シーンで大活躍するアメリカ映画の発想や描写をふんだんに取り入れ、それに預言者の未来予知-汝は我が子にいずれ殺される-を背景に家督争いでのミステリー要素を絡ませた、エンターテインメントだ。ヒーロー達が個性に溢れていて、作品を盛り上げている。気楽に楽しめること請け合いである。完全なフィクションものである。ストーリーのどんでん返しが実に考えられていると思う。

 傭兵集団・蛇衆のキャラクターは:
朽縄(くちなわ):蛇衆のリーダー。武器を持たず、拳と体術を使う。
十郎太:幼さの残る顔貌の若者。棒の両端に刃を付けた奇怪な槍『旋龍』を操る。
鬼戒坊:僧形。常人不可の重さで野太い棘付きの太い六角金棒『砕軀』を操る。
無明次:もと忍。顔を頭巾で覆う男。身に纏う無数の小刃『雫』を投擲武器とする。
孫兵衛:表面に薄い鉄板張りの奇妙な形の短弓『雷鎚』(長さは通常の半分)を扱う。
夕鈴 :集団唯一の女。己の背丈ほどの長大な太刀『血河』をしなやかに操る。 
宗衛門:老人。傭兵集団の斡旋交渉人。情報収集のプロ。報酬管理と武器管理を行う。

 そして、ストーリーに登場する人物達は:
鷲尾重意:若き主君の頃、蛇様と称される巫女を火攻めにする。そして蛇様の最期の託宣だと捕らえた男から聞く。「重意、お主の赤子じゃ。・・・その赤子は御主を呑み喰らう蛇となる」。重意は命ずる。「弥五郎、我が子を殺せ」。そして、三十年経過。重意は嶬嶄(ぎざん)と名乗っている。二人の息子、弾正と隆意を競わせていて、次の当主を決めてはいない。戦を楽しむ狂気の持ち主。
末崎弥五郎:重意の重臣。赤子の始末を任された人物。家中一の保守派。鷲尾家の長子・弾正に娘を嫁がせている。娘婿の弾正を正式な嫡男にと望み活動する。
堂守兼広:重意の重臣。鷲尾の虎と目される。弥五郎のライバルでもある。急進派の筆頭であり、隆意こそ次期当主にふさわしいと言って憚らない人物。
堂守嘉近:兼広の養子。隆意の腹心的存在。嶬嶄の本隊を任される力量の持ち主。鷲尾と黒部の戦において、黒部が蛇衆を雇っていたこと、その働きが見事だったことを隆意から聞く。それで、蛇衆を鷲尾家に雇う先駆をつける。
鷲尾弾正:嶬嶄の長子。戦という荒事を好まぬ性格。
鷲尾隆意:嶬嶄の次子。聡明とみられている。狡猾な頭脳の持ち主。うぬぼれも強い。
我妻秀冬:鷲尾を制する者こそこの肥岳を制するといわれる鷲尾領を虎視眈々と狙う。大義名分のために、周防守護の大内家と被官関係を結ぶ。鷲尾に戦を仕掛けるところから始まる。

 まあ、こういう人物達が戦と家督争いでの駆け引きを繰り広げる話である。戦は蛇衆の活躍が見せ場、戦の進展とも深く関わるが家督争いの意識の側面とその裏での権謀術数に蛇衆が巻き込まれて行くことが、この作品を単なる戦活劇に堕させていない巧みさである。

 序は蛇様の託宣で赤子殺害命令が出る経緯を語る。これがその後の展開への伏線となる。最初は黒部・鷲尾の戦。蛇衆の颯爽たる登場。鷲尾は苦戦する。これが契機で蛇衆は鷲尾家に嘉近を窓口にして雇われる。嘉近が朽縄を見た途端、23年前に沼河にいたころに面識があったのだという。
 傭兵第一線は、我妻と鷲尾の沼河の東北、朱沢付近である。ここでの戦働きの描写がアメリカ映画タッチである。戦が終わっても、蛇衆は鷲尾城下に留め置かれる。そのうちに、朽縄が殺された赤子でないかという噂が流れ始める。
 蛇衆が嶬嶄に城に呼び出されるが、朽縄だけが嶬嶄と面談することになり、結果的に朽縄は鷲尾に留まり、武士として仕官することを皆に告げる立場に追い込まれる。リーダー不在の蛇衆は鷲尾を去る。1年半の時を経て、蛇衆は鷲坂源吾と名を変えた朽縄から呼び出され、雇われることになる。鷲坂源吾の後見人は末崎弥五郎なのだ。ここからストーリーの後半が展開するといえる。
 この後半、鷲尾家の家督争いに本格的に火が付くというストーリー展開だ。弾正派の末崎弥五郎が画策し、一方、隆意派はその画策の裏を巧に把握しつつ策を練る。そこに我妻秀冬が絡んでいくのだから面白い。一方、嶬嶄はその動きを眺めているという人物。ここらあたりからは、やはり本書でお楽しみいただくのがよいだろう。

 朽縄こと鷲坂源吾に雇われた蛇衆はどの時点で、誰の側で働くのか?
 朽縄がなぜ仕官しなければならなかったのかが、後半で明らかになっていく。
 そして、朽縄と宗兵衛が交わした夢も語られる。
 蛇衆は仲間の人間の過去を問わないという不文律がありながら、少しずつ個々の仲間の会話の中で、それぞれの蛇衆になった経緯や、仲間の間での人間関係が語られていくという側面も、本書のストーリー展開に絡ませながら話に奥行きを与えている。

 特異な能力を持った蛇衆の面々が、源吾の指示の元で、源吾とともに戦いの場に臨んでいく。そして、終に朽縄の出生が明らかになる。二転三転するその思わぬ展開が読ませどころでもある。
 最終ステージの蛇衆の戦いは壮絶だ。まさにアメリカ映画のタッチである。ヒーローたちも、その戦いで力尽きていく。最期に残ったのは唯一人。
 「これからは俺が蛇衆だ」
 誰に告げるともなくつぶやく。
 ・・・・・
 「じゃあな」
 振り返り、歩き出した***の頬をつたう涙が、星に照らされ仄かに光った。
( ***は人物名です。本書の結末をお楽しみに・・・・・)

 この最後のシーン、アメリカ映画だと、続編が新たに生み出されシリーズになる終わり方なのだが。蛇衆の第二弾は生まれるのだろうか。期待したいところでもある。

 最後に、印象深い文を引用させていただこう。本書の背景でもある。

*人ほど信じやすい生き物はいない。そして己の思い込みを力に変えることができる生き物もいない。人は信じ、それを力に変え、物事をあるべき方向へと導こうとする。婆の言葉を信じ、力に変え、結果へ導こうと動いたとき、婆の言葉は予測という枠で語れるものではなくなる。   p218
*武士は二君に仕えずという言葉は、太平の世となり、戦のなくなった後世の武士の美徳であり、誰が敵で誰が味方であるのかさえ明らかでない戦乱の世にあって、主君を乗りかえる行為は、武士の道に反する行いではなかった。  p248
*異能であるということはつねに世間から拒絶されるものなのだ。
 蛇衆が力を示せば示すほど、世間は認めようとはしない。
 人である一線を越えた力は恐れられる。
 他者より優れた力を有するあまり、他者から拒絶される存在。
 優れていることがなぜ悪い?         p292


ご一読ありがとうございます。

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補遺  
 完全なフィクションのようなので、直接の関連事項には思いが及ばない。
 その周辺でいくつか参考にネット検索してみた。本書との直接の関連を無視して・・・
 メモとして一覧にまとめておきたい。

傭兵 :ウィキペディア

鷲尾城 :「伊都口コ」
 この名前の山城が福岡にはあるのですね。
鷲尾山 :高知県庁ホームページ
 日本にこの山名があるのか? 興味本位で調べると、高知県にこの山名がありました。

旧国名 :「記紀データベース」

大友氏 :ウィキペディア

武器 :ウィキペディア

武器図書館 


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