「ディミトロフ日記」、1936年12月14日ー「夜遅く、12時にスターリンから電話。『中国のこの事態は、君たちが承認したものか?(-違います!)これはだれにせよ、いまおこないうる日本への最大の奉仕だ(-われわれもまた、この事件をそう見ています!)
不破さんは、ここでスターリンを激しい怒りに駆り立てた中国の事件、”有名な西安事変”について、解明していきます。「スターリンの怒りがここまで爆発したのはなぜか。この疑問を解こうと、ディミトロフ『日記』を起点に、当時のスターリン、中国共産党、コミンテルンの三者の関係を歴史的に読み解いてゆくと、そこには、自分の国家戦略を最優先において、中国革命や中国共産党の状況など意に介しないスターリンの大国主義と、中国共産党自身の統一戦線政策が転換期を迎えつつあったことが絡み合って、スターリンのこの爆発的な怒りを引き起こしたことがわかります」と解明にあたっての観点を述べています。そして、歴史のドラマを判りやすくを読み取ることができる記述になっていることに感銘しました。
特に、「西安事変、その経過と結末」(「前衛」誌、9月号ー205頁~214頁)は、十分に読み応えのある内容です。「西安事変」とは、「1936年12月、東北軍が中国共産党攻撃の指示に従わないのを怒った蒋介石が、命令を執行させるために、東北軍の司令部が置かれた西安に出かけたところ、逆に張学良に逮捕・監禁されてしまった」事件のことです。(「前衛」誌、9月号ー190頁)