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宮応かつゆきの日本改革ブログ

●日本共産党
総選挙で市民と野党の共闘で政権交代を、共産党の躍進をめざします。

「ポーランドを勢力圏に」スターリンの世界大戦の”最大、中心的な目標”=スターリン秘史第19章

2014年07月22日 | 綱領関連

 「前衛」誌8月号「スターリン秘史 巨悪の成立と展開」は第19章「反ヒトラー連合とポーランド問題(下)」を掲載しています。

 第19章で、不破さんは、スターリンにとって、第2次世界大戦のなかで「ポーランド問題」はどのような位置付けであったのか、整理されて読者に伝えてくれているように思います。 以下、その点を紹介させていただきます。

 「(6)ポーランド問題。四年間の総決算 三つの目標は完全に達成された」(「同誌226頁)

 「ポーランドをソ連の領土および勢力圏におさめることは、スターリンの覇権主義が世界大戦の最初から最後まで追及した最大の、そして中心的な目標でした。 スターリンは、1939年、ポーランドの分割・併合を決めたヒトラー・ドイツとの秘密協定で、この目標の実現にとりかかりました。 その土台が、41年6月、ドイツの対ソ攻撃で崩れ去った時、同じ目標を、今度は米英ソの反ヒトラー連合の枠組みのなかで実現しようとし、ポーランド解体政策からポーランンド復活政策に基本路線を急転換させるとともに、覇権的野望をさらに膨らませて、三つの目標を見定めたことは、第18章で究明したところでした」

 「それから4年間、45年5月、対独戦が勝利のうちに終結したときには、スターリンはすでに戦争開始の時点でたてたこれらの目標の全面達成の寸前に到達していました。 そして、英米両国との残された相違点の解決を経て、7月、ポーランドの新政府が英米両国の承認を得ました。 この時点で、スターリンは英米両国の合意のもとに、三つの目標の完全な達成に成功したのです」

 「第1に、『カーゾン線』こそソ連=ポーランド間の歴史的境界線だという主張を、テヘラン会談、ヤルタ会談で、米英ソ三国による決定事項とし、主としてイギリスの責任でポーランドの側にも東部ポーランドのソ連への併合を認めさせました」

 「第二に、同じくテヘラン会談とヤルタ会談では、東部ポーランドの代償ということで、オーデル川の線までのドイツ領をポーランドに割譲することが決定されました」

 「第三に、こうして西方に大きく移動した新生ポーランドを、ソ連の勢力圏に組み込むために、ソ連軍の占領支配のもとで、ソ連の指揮下につくった臨時政府を、ヤルタ会談とそれ以後の外交活動を通じて、ポーランドの正統政府として認めさせました」

 「これが、1941年6月~7月のポーランド復活政策への転換以後、4年間の軍事=外交活動の到達点でした。 ソ連は、ドイツとの同盟時代に得たよりも、はるかに大きい領域を領土および勢力圏として、自分の支配下におくことができたのです。 ソ連の勢力圏は、西方に300キロ近くも前進し、ドイツの中心部にまでせまるようになりました」

 不破さんは、さらに次のように指摘しています。

 「覇権主義的野望のいっそうの拡大」

 「1944年~45年の東部戦線でのソ連軍の急進撃は、ポーランドだけでなく、東ヨーロッパの広範な国々をソ連の勢力圏に組み込むための新しい条件を、スターリンの前に開きました」(「同誌」227頁)

 「ポーランドの支配の成功は、東ヨーロッパ全体の政治的征服というスターリンのより拡大した野望にとって、決定的な突破口としての意義をもったのでした」(「同誌」228頁)

  スターリンの領土拡張の野望はやがて、日本にも及んできます。

 それにしても、こうした「領土拡張の野望」が”カティンの森”に代表されるようにな、大虐殺をともなって進められ、また、「社会主義・共産主義」の名目で強行されたことに”戦慄”を覚えるのは読者の実感ではないでしょうか。

 それだけに、「スターリンの巨悪」を歴史的事実に基づき徹底して暴き、”科学的社会主義の本来の姿を復活”させることが、どんなに重要な人類史的課題であるかを痛切に感じさせられます。

 

 

 

 

 


イギリスとの最初の会談で、スターリン 「領土要求を正面から提起」-「スターリン秘史」第18章

2014年06月22日 | 綱領関連

 「スターリン秘史」ー第18章は、「反ヒトラー連合とポーランド問題」(上)です。 独ソ戦開戦の年12月、スターリンの要請でイギリスのイーデン外相がモスクワを訪問しました。(「前衛」誌7月号、218頁)

 「会談は12月16日に始まりました。 ヒトラーが戦争の運命をかけて百数十万の兵力を動員したドイツ軍のモスクワ総攻撃を軍と市民の総力をあげた苦闘で打ち破り、モスクワ防衛戦の勝利を確認してから、まだ10日ほどしかたっていませんでした。 またアジア方面では、日本が対米英戦争を開始し、アメリカが真珠湾で痛烈な打撃を受け、イギリスは東南アジアでその植民地諸国が危機にさらされてるという深刻な事態が展開していました」(「同誌」218頁)

 「世界大戦の前途を誰も予見できないこういう時期に開かれた、英ソ両国の間の最初の本格的な会談でしたが、この会談では、戦争の軍事的な側面は、ほとんど主題になりませんでした。 この会談で、スターリンが持ち出したのは、なんとドイツを敗北させたあとのヨーロッパをどうするかという戦後処理の問題、とくにヨーロッパの国境問題でした。 このことは、何よりもイーデンを驚かせました」(「同前」)

 「スターリンが、まず説明したのは、ドイツを敗北させたあとのドイツの取り扱いです。 スターリンは、この問題で、(1)ドイツやイタリアが併合した国(オーストリア、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、アルバニアなど)を独立させること、(2)ドイツからライン地方(独立国または保護国に)バヴァリア地方(独立国に)東プロイセン(ポーランド領に)をきりはなして弱体化すること。(3)西部地中海方面では、ギリシャとトルコに有利になるよう国境線の再編成をおこなうこと、(4)イギリスがフランス、ベルギーや北欧諸国に基地を必要とするなら、それを支持する用意があること、など、たいへん具体的な構想を展開して見せました」(「同誌」219頁)

 「スターリンはそれに続いて、ソ連の領土要求を提起しました。 イーデンによれば、それは、次のようなものでした。 『ソ連の特殊利害については、スターリン氏はバルト諸国、フィンランド、ベッサラビアについて、ドイツの攻撃以前の状態を回復することを希望しました。 将来のソ連=ポーランドの国境線は”ガーソン線”を基礎とすべきであり、ルーマニアは、ソ連に基地その他の特例の便宜を与えるべきであり、その代償としていまハンガリーに占領されている領土を受け取ることにする、というのであった」(「同誌」219頁)

 「スターリンがイーデンとの会談で提起した領土要求は、39~40年のドイツとの同盟時代に併合を実現した領土に、40年11月のベルリン会談の際にもちだしたルーマニア関係の要求をつけくわえたものにほかなりません。 スターリンは、ヒトラー・ドイツとの同盟によってかちとったものを、今度はイギリスとの反ファシスト連合を通じてかちとることにし、その野望を、イギリス政府との最初の本格会談、しかもソ連自体の存立が危急の事態にあるさなかに開かれた会談で、むき出しに示してみせたのでした」(「同誌」220頁)

 なぜ、スターリンが、このような「むき出しの領土要求」をすることができたのでしょうか。 不破さんは、次のように書いています。

 「第一は、当時のイギリスが、対独戦で活路を見いだしうるとしたら、頼りになるのは、東部戦線でのソ連の奮闘以外になかったという事実です。 最初は、ドイツの攻撃に対してソ連がどれだけ持つかわからない、というのがイギリスでも大方の見方でした。 しかし、たとえ数カ月で敗北したとしても、ソ連がドイツの大軍を引き受けて防衛戦を展開している間は、英本土上陸作戦などが問題になることはありません。 そのことだけでも、イギリスにとっては、はかりしれない援助でした」(「同誌」222頁)

 「第二は、スターリンが、対独戦の最初の時期から、この戦争に勝利する決定的な軍事的方策として、『第二戦線』の問題を前面に押し出し、その早急な実現を連合国に迫り続けたことです。 スターリンは、1941年7月、チャーチルとの書簡の交換を始めましたが、7月18日付の最初の書簡で、いち早く第二戦線の問題を提起していました。 『もしヒトラーにたいして西部(北フランス)および北部(北極)で戦線がつくられるならば、ソ連の軍事状態も、イギリスのそれも、いちじるしく好転するであろうと思います」(「同誌」222頁)

 「この問題では、西側連合国とソ連とのあいだで、時期を決めての約束が何度も約束されましたが、それは何度も引き延ばされ、現実に第二戦線が設定されたのは、問題が最初に提起されてから3年たった1944年7月のことになりました。 ここにも、戦争の全局にかかわる一連の問題で、英米側が受け身になり、ソ連が外交的主導権をにぎる大きな根拠がありました。 スターリンはその急所をにぎって、反ファシズム世界戦争を自分の覇権主義的野望に結びつける方策を、頑強に追求したのです」(「同誌」223頁)

 スターリンの「領土拡張の野望」はどこまで、どういう「展開」のなかで進むのでしょうか。

 

 

 


「理論の世代的継承」について、不破哲三社研所長、世界の「革命運動の歴史」の教訓を語る

2014年06月22日 | 綱領関連

 今月10日(「しんぶん赤旗」12日付)、党本部で第3回「理論活動教室」が開かれました。 この「教室」は党の若い幹部、未来を担う世代を対象に開催されていると聞いています。 今回の講義の終わりに不破さんが次のように語ったことが紹介されています。

 「『理論の世代的継承』の重要性について述べ、マルクスが生涯かけて到達した理論が後継者たちに正しく引き継がれなかった『革命運動の歴史』をドイツの党を例にあげて振り返りました」

 「1923~24年、レーニンが倒れた時にも同じことが起こりました。 スターリンの大国主義との『生死をかけた闘争』をはじめ、レーニンが”最後の3年間”に発展させた理論的実践的な財産が、後継者たちによって、無視されてしまったのでした」

 「不破さんは、最後に、『私たちがその神髄を現在に生かすだけの読み方をしないと、科学的社会主義の古典の生命力を生かせない』と述べた」

 日本共産党第26回党大会決議第26項は、「全党をあげて世代的継承のとりくみに力をそそごう」として、この課題を「戦略的大事業」と位置付けています。

 決議は、「すべての党機関、支部・グループ、議員団が、世代的継承のための目標と計画を具体化し、この取り組みを軌道にのせることを、2010年代を民主連合政府への展望を開く時代とするうえでの戦略的大事業として位置づけて力をつくす」と述べています。

 この大事業を成功させるためには、後継者の量的、質的な発展が求められます。 特に、不破さんは、科学的社会主義の理論の神髄を体得することを強調しています。

 不破さんは、「ドイツの党の例」とレーニンの「最後の3年間」のたたかいをあげています。 これらの中には、「革命運動」と「党の命運」に関わる経験と教訓があるからだと思います。

 不破さんの著作のなかに、「マルクス、エンゲルス 革命論研究」(上・下2巻、2010年2月刊行)があります。 この著作は、2007年の講義、2008年~09年の「前衛」誌の連載を加筆・整理、さらに補章、補論、注を書き足してまとめられたものといいます。 

 私が、この「革命論研究」に出会ったのは、2008年の「前衛」誌に連載が始まった時です。 毎号を楽しみに、また、大きな刺激を受けながら読み続けたことを覚えています。

 この「革命論研究」(下巻)に、「[補論] エンゲルス死後のドイツ社会民主党」(215~219頁)が掲載されています。 その中に、不破さんの思いを込めた一節があります。

 「こうして、エンゲルスの死とともに、マルクス、エンゲルスが多年の努力を経てきづきあげてきた多数者革命論は、肝心のドイツに、まともにこれを受け継ごうとした潮流がないまま、事実上は棚上げの運命をたどることになってしまったのです」(217頁)

 これを掘り起こし、レーニンの「革命論」を克服し、科学的社会主義の「神髄」を蘇らせ、日本の現実に適用し発展させたのが「日本共産党綱領」です。

 今日、午後には青年との、「綱領学習会」があります。 元気をもらっています。

 


今日、志位和夫委員長迎えた演説会(川崎・中原区)開催。7月末までに党幹部 県下14か所で

2014年06月20日 | 綱領関連

 来春のいっせい地方選挙勝利をめざし、神奈川県下各地で、志位和夫委員長、山下芳生書記局長、市田忠義副委員長、小池晃副委員長、田村智子参議院議員を迎えて演説会が開催されます。 今日(20日)は、志位委員長が川崎市中原区で、横浜市南区では田村智子参院議員を迎えて演説会が開催されます。

 大和市の演説会は、7月19日(土)午後1時から3時、市内の渋谷学習センター ホールで田村智子参院議員を迎えて開かれます。 多くの市民のみなさんのご参加をお願いします。

  この間、志位委員長が弁士をした演説会が、大阪、東京、千葉、京都、札幌で開かれました。 志位委員長の演説に、参加者から、「元気と勇気が出た」「やっと投票できる党に会えた」などの感想が寄せられているといいます。 志位委員長の演説を元にしたDVDも大変、評判となっています。 視聴した党員や後援会員からも「わかり易い」「活動に確信が湧いた」などの感想が出されています。 日本共産党のホームぺージからも視聴できます。

 志位さんは、「安倍内閣の暴走の一歩一方が、国民との矛盾を、世界との矛盾を広げ、自ら墓穴を掘りつつあります」「この政権は威勢がいいように見えますが、実はもろく、必ずどこかでぽっきりいきます。 国民の力でぽっきりいかせようではありませんか」と訴えています。

 志位さんは、「いまの国会は憲法9条改定の条件づくりとなる改憲手続き法改正に日本共産党以外の政党が賛成するなど、戦前の『大政翼賛会』をほうふつとさせる『翼賛』国会となっているが、『決して戦前には戻ることはありません。 なぜから(国会には)日本共産党という存在があるからです」語りました。

 そして、志位さんは、日本共産党の3つの力の存在を強調しています。

 その一つは、「綱領の力」です。 日本の政治を変える科学的展望を示している綱領は、その力を今、大きく発揮しています。 日本と世界の大きな変革の流れを深くとらえ、安倍政権の暴走とその矛盾をあばき、どんな問題でも「対案」を示し、歴史をつくる主人公である国民と共同し、前進する力は無限です。

 二つは、92年にわたる日本共産党の歴史の力です。 天皇制の暗黒政治に、アメリカの支配にも、旧ソ連や中国毛沢東派の干渉にも、節を曲げず、日本と国民の平和と幸福な未来をめざして活動した不屈の歴史です

 三つは、全国2万の支部、30万人を超える党員の国民と広くつながった活動、自前の組織を持ち、自前の財政で活動する、草の根の力です。

  今日から始まった県下各地で開催される党幹部を迎えての演説会に、是非、多くの県民、市民のみなさんに参加していただきたいと思います。 また、感想や意見をどんどんお寄せ下さい。 共に、力を合わせて憲法が生き、輝く日本を、自治体をつくりましょう。

 


”自由な時間は人間の発達の場”「マルクスの未来社会論の発掘」(上)不破哲三さんの講演から

2014年06月15日 | 綱領関連

前衛」7月号に、「マルクス未来社会論の”発掘”」(上)ー不破哲三」が掲載されました。 この論文は、「全国学者・研究者党後援会全国交流集会(4・12)での記念講演」を「整理し、加筆」したものです。

 今年1月の日本共産党第26回党大会の「決議」では、「日本共産党の未来社会論」が注目され、党内外に大きな確信を広げています。

 今回の不破講演で、私が新たな認識を得た点は次のところです。

 「未来社会の『自由の国』と『必然の国』の関係は、階級社会で見る、上部構造と経済的土台の関係に似ているところがあります。 その角度からみますすと、資本主義社会では、利潤第一主義が発展の原動力ですから、発展の推進力は経済的土台にあります。 しかし、未来社会では、それこそ、『自由の国』での人間の発達が、基礎である物質的生産の領域、『必然性の国』に作用して、生産力の新たな発展を引き起こすわけで、社会発展の原動力が、『自由の国』、いわば上部構造に移る、そういってもよいぐらい人類の歴史の大転換になるのです

 「まさに、その面から見ても、人類社会が階級社会から未来社会に足を踏み出すことは、人類社会の『前史』から『本史』への転換に値する、社会の根本的な大転換だと、位置づけることができると思います」(「前衛」7月号、29頁)

 この人類の大転換を保障するのは何でしょうか。 不破さんは、マルクスの「資本論」の一節を紹介しています。

 「この国[必然性の国、すなわち物質的生産のf領域]の彼岸において、それ自体が目的であるとされる人間の力の発達が、真の自由の国がーーといっても、それはただ、この基礎としての右の必然性の国の上にのみ開花するのであるがーー始まる。 労働日の短縮が根本条件である」(資本論⑬1435ぺージ)

 不破さんは、次のように解説しています。

 「マルクスのこの文章にあるように、物質的生産から離れた『自由の国』では、人間の発達それ自体が目的となり、そういう時間と機会が社会のすべてに人間に保障されます。 ここに、未来社会のなによりの特徴があります」

 「それは、人類がもっている知的潜在力が限りなく発揮される社会となるでしょう。 そこで新しい発見があり、技術の発達があったら、それは必ず『必然の国』、物質的生産の領域に反作用します。 その結果、生産力が発展すれば、それがまた労働時間のさらなる短縮をもたらして、『自由の国』が拡大する。 マルクスがいまの文章で、『自由の国』は『必然の国』の上にのみ開花する、しかし、その根本条件は『必然の国』における『労働時間の短縮である』と書いたのは、この発展の相互関係を、簡潔だが力強い言葉で表現したものでした」(同誌28~29頁)

 不破さんは、日本における未来社会・社会主義社会の展望について、次のように指摘しています。

 「これは、決して遠い目標ではないのです。 日本のような発達した経済力をもった国が、社会主義をめざす道に足を踏み出した時には、早い段階から、社会のすべての構成員が生活時間の大きな部分を自由な活動にあてられるという社会を実現できるのです。いままでだったら、特別な条件が保障された方でなければ、知的な活動へはすすめません。 大学を卒業しても、仕事をみつけられず、その能力を生かせない人がたくさんいます。 本当に自分が願っている活動分野にすすめる人はきわめて限られています。 しかし、新しい社会では、そういう条件が社会のすべての構成員に保障される」

 「こういう社会、人類がもっている知的能力が限りなく発揮される社会が、資本主義の時代を通じて客観的には準備されてきている、その点をつかむところに、未来社会論を研究する大事な点があると思います」

 安倍政権の憲法破壊の「戦争する国づくり」は、「人間が持っている知的能力」を根本から破壊する道です。 この道に未来がないことは明らかかです


”戦後、日本共産党の政策が実施されていたら、近隣諸国との関係への影響は” 米研究者が

2014年06月04日 | 綱領関連

 「しんぶん赤旗」4日付は、米大学研究者らが、日本の戦争責任・歴史教育などについて不破哲三社会科学研究所所長にインタビューした記事を掲載しました。 その質問の中に「仮に戦後、日本共産党の政策が実施されていたとするなら、近隣諸国との関係にどのような影響を与えたと考えるか」との質問が出されたことが紹介されていました。

 不破所長が、この質問に直接答えた内容は掲載されていませんが、注目させられました。 インタビュー全体の内容の掲載を期待したいと思います。

 今日、掲載の内容を紹介させていただきたいと思います。

 「日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長は2日、党本部でカリフォル二ア大学バークレイ校日本研究センターのロバート・コール社会学部名誉教授(中略)ら6氏の訪問を受け、日本の侵略戦争の歴史に関するインタビューに応じました」

 「インタビューでは不破所長に対し、日本の戦争責任やアジアの人々への被害に対する日本共産党の基本的主張、戦争責任や戦後の補償問題、歴史教育についての日本共産党と他の政党、とくに旧社会党(現社民党)との立場の違いのほか、仮に戦後、日本共産党の政策が実施されていたとするなら、どのような影響を与えていたと考えるか、などの質問が出ました」

 「不破所長は、日本共産党が結党以来、外国へのあらゆる干渉の中止、朝鮮・中国などからの日本軍撤退や侵略戦争反対を貫いてきた一方で、他の諸政党は、社会民主主義の政党を含めて、すべて侵略戦争を支持・推進する『大政翼賛会』に参加した歴史を明らかにしつつ、その流れをくんで戦後再出発した諸政党が過去の侵略戦争の責任についてどのような立場をとってきたかなどを詳しく説明しました」

 「不破所長は、そのなかで、自身の国会論戦などの経験として、田中角栄首相(当時)が『侵略戦争かどうかを問われても、私の立場から言えるものではない。 後世の歴史家が評価するものだ』と答えたこと(1973年)、同じ立場で答弁する竹下登首相(当時)を、『それならヒトラーの戦争も侵略戦争といえないのか』と追及したら、『それも歴史家が判定するもの』と答えて、米太平洋軍の準機関紙『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』が歴史を否定する発言として大々的に報道したこと(89年)、『歴史家の判定』うんぬんは、安倍首相を含めて、戦争責任をごまかす決まり文句になっていることを歴史的に説明しましたが、その節々で驚きの声があがりました」

 安倍首相の「戦争をする国づくり」「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」もこうした、国際的には到底受け入れられない立場に基づいているところに、異常な危険性があるのではないでしょうか。


「軍国主義復活をめざす安倍政権と対決」する「強く大きな日本共産党をつくる月間」がはじまる

2014年05月17日 | 綱領関連

 日本共産党は15日、中央委員会幹部会決議、「党創立92周年・いっせい地方選挙勝利をめざす躍進月間をよびかける」を採択しました。 期間は、5月15日から7月31日までです。

 「決議」は、「情勢」について、「軍国主義復活をめざす暴走と矛盾の激化」について次のように述べています。

 「安倍政権は、①憲法9条を改変して米国とともに海外で戦闘行動ができるようにする、②自衛隊を海外派兵の軍隊へと大改造する、③国民を戦争に動員するために、秘密保護法、教育制度の改悪、メディアへの権力的介入などをすすめるーー3つの柱で、『海外で戦争する国』への暴走を開始している」

 「くわえて、この政権が、首相・閣僚の靖国神社参拝に象徴されるように、過去の侵略戦争と植民地支配を肯定・美化する立場に立っていることは、きわめて重大である。 それは、あからさまな軍国主義復活への暴走にほかならない」

 この安倍政権の「軍国主義復活への暴走」が、「保守の人々も含めた国民との矛盾を激化させていること」、さらに、「アジア諸国はもとより、世界との矛盾を激化させている」ことが重要な特徴です。

 「決議」は「この暴走に決して未来はない。 日本共産党は歴史に背く反動的暴走と正面から対決して奮闘する」と決意を述べています。

 日本共産党綱領は、「第2章 現在の日本社会の特質」の中で次のように述べています。

 「軍事面でも、日本政府は、アメリカの戦争計画の一翼を担いながら、自衛隊の海外派兵の範囲と水準を一歩一歩拡大し、海外派兵を既成事実化するとともに、それをテコに有事立法や集団的自衛権行使への踏み込み、憲法改悪など、軍国主義復活の動きを推進する方向に立っている。 軍国主義復活をめざす政策と行動は、アメリカの先制攻撃戦略と結びついて展開され、アジア諸国民との対立を引き起こしており、アメリカの前線基地の役割とあわせて、日本をアジアにおける軍事的緊張の危険な震源地の一つとしている」

 安倍政権の「軍国主義復活をめざす政策と行動」は、こうした、「軍国主義復活の政策と行動」の流れのなかでも、「戦後の保守政治が掲げてきた諸原則すら否定する特異な右翼的反動的立場(第26回党大会決定)に立った暴走」となって、矛盾を激化させているのです。

 それが、「安保法制懇の報告書」と、安倍首相の記者会見で公然化してきました。

 こうした、情勢の進展のなかで、「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」(綱領)ことを掲げ、国会、地方議会でも、そして草の根でも国民と共同してたたかっている政党が日本共産党です。

 15日から始まった「躍進月間」の課題と目標を達成するために、こうした情勢からも、「開拓者精神を大いに発揮」して成功さたいと思います。


「スターリン秘史 第17章」 独ソ戦始まる。 ”スターリンの戦争指導の最大の問題点は”

2014年05月14日 | 綱領関連

 「スターリン秘史」 第17章、冒頭は、独ソ戦開戦の日、1941年6月22日、クレムリンのスターリンの様子について、「ディミトロフ日記」が引用されています。

 「1941年6月22日  - 日曜日。 ー 午前7時に、緊急にクレムリンに呼び出された。 -ド イツがソ連を攻撃してきた。戦争が始まったのだ。~中略~ スターリンが私に言った。『彼らは何の苦情の申し出もなしにわれわれを攻撃してきた。彼らは、ギャング集団のような悪辣きわまるやり方で攻撃してきた」(「前衛」6月号、198頁)

 「-スターリン及びその他の者の冷静さ、決意、確信が印象的だ」(「同誌」199頁)

 不破さんは、「独ソ戦勃発の日のスターリンの様子については、これまでいろいろな説がとなえられてきましたが、『日記』でのこの日の記述は、電話で呼び出されたディミトロフが、現場で見聞きした状況をその日のうちに書きつけた文章ですから、簡潔ですが、そのクレムリンでの動きを生き生きとうかがわせる臨場感があります」(「同誌」200頁)と書いています。

 そして、不破さんは、スターリンの180度の頭の切り替えについて触れています。

 「ヒトラー・ドイツの総力をあげた攻撃に、無準備で立ち向かわざるを得なくなった責任が、ヒトラーの欺瞞作戦にまんまとのってあらゆる警告を無視してきたスターリンにあることはいうまでもありません。しかし、ドイツの対ソ戦開始が確定した事実となった以後、スターリンは、ヒトラーとの同盟関係からヒトラー・ファシズム撃滅の闘争の路線へと、180度の頭の切り替えを短時間で行いました。ディミトロフが目撃したのは、その頭の切り替えをおこなった直後のスターリンでした」(「同誌」201頁)

 不破さんは、「スターリンは無能な戦争指導者だったか」という問題を提起し、フルシチョフ等の「誤り」を2人の政治家の証言をもとに検証しています。

 一人は、アメリカ大統領ルーズヴェルトの特使、1941年7月にモスクワを訪問したハリー・ホプキンズです。(「同誌」214~218頁)

 もう一人は、イギリスの首相チャーチルです。(「同誌」218~219頁)

 不破さんは、「スターリンは、戦争の過程でその能力を発展させ、全体としてはむしろ異常な能力をを発揮したと見るべきだと思います」(「同誌」220頁)と述べています。

 その上で、新たな研究テーマを提起しています。

 「スターリンの戦争指導の最大の問題点は別の領域にあった」ことです。

 「実は、スターリンの戦争指導の最大の問題点は、能力のレベルという問題ではなく、まったく別の領域にありました。 一つは、スターリンが、自分の専制支配体制を作り上げるために乱用したテロル方式とその諸手段を、戦争遂行の過程で広くもちこんだことです」(「同誌」221~222頁)

 「第2のより大きな問題は、スターリンが、第2次世界大戦へのソ連の参加を、覇権主義的な領土拡大、勢力圏拡大の野望と結びつけたことです」

 この提起は、今後の連載にも関わる前章とも考えられますので、引用し紹介しておきたいと思います。

 「スターリンが、1939年8月から41年6月までは、ヒトラー・ドイツとの同盟のうちに、自分の覇権主義的野望の方途を求めてきました。ドイツの対ソ攻撃は、その道を断ち切り、逆にソ連そのものの存立をも危うくするものでした。スターリンは、ヒトラーのこの侵略を打ち破るために、ソ連のもつあらゆる力と可能性を汲みつくす覚悟を固めると同時に、イギリスやアメリカと同盟して国際的な反ファシズム戦線の一翼を担う方針に、国の進路を転換させました」

 「しかし、スターリンは、領土と勢力圏の拡大という野望は捨てず、反対に、自らの野望の実現のためにこの戦争を利用することをくわだてました」

 「ソ連参戦後の1941年8月、アメリカのルーズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相は、北大西洋上のイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦上で会談し、この戦争の目的を定めた『大西洋憲章』を発表しました。 交戦国の一方が、戦争中に、『両国は領土の拡張を求めない』ことをはじめ、反ファシズムの闘争に立った世界諸国民の願望に合致する戦争目的および戦後処理の原則を明確にする『憲章』を発表したことは、世界の戦争史に例のないことでした。 それは、ヒトラードイツをはじめ、世界のファシズムと侵略の陣営と戦っているという現実の行動にくわえて、この戦争の民主主義的性格を国際公約として明確に宣言したものでした」

 「ソ連も、もちろん、この諸原則への同意を表明しました。しかし、スターリンは、大戦中の外交活動のなかで、表向きには、『大西洋憲章』などの国際公約を承認しながら、その陰で、領土と勢力圏の拡大と年来の野望を実現するために、あらゆる手立てをつくします。ソ連が、この戦争の中心問題であったヒトラー・ドイツを撃滅する主力部隊の役割を果たしたことは、反ファシズムの世界的事業への大きな貢献をなすものでしたが、スターリンはこの戦争を自分の覇権主義的野望達成の手段として利用することによって、ソ連のこの役割に、反ファシズムの大義に反する汚点をきざみつけたのでした」(「同誌」223頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

    

   

 

 

   

 

 

 

                   

                                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本と米国は対等な関係なのか。 日米首脳会談・共同声明は日本の未来をどう描いたか

2014年04月27日 | 綱領関連

 23日から25日のオバマ米大統領の訪日と安倍首相との首脳会談、共同声明の発表から、日本の未来、アジア・太平洋地域の平和的未来が見えてきただろうか。 外務省が公表した「日米共同声明ーアジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国」は、冒頭部分で次のように書かれています。

 「日本と米国との間の関係は、相互の信頼、ルールに基づく国際的な秩序への共通のビジョン、民主的な価値の支持及び開かれた市場の促進に対する共有されたコミットメント、並びに深い文化的及び人的な絆の上に築かれている。 日米同盟は、地域の平和と安全の礎であり、グローバルな協力の基礎である。 国際協調主義に基づく『積極的平和主義』という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのりバランスは、共に、平和で繁栄したアジア太平洋を確かなものにしていくために同盟が主導的な役割を果たすことに寄与する」

 「共同声明」は、「日米両国は」を主語として、文章が作られています。 こうした文脈からは両国の関係が、「対等で平等な関係」であることが前提とされています。

 しかし、首脳会談やその後の共同記者会見、同時並行で行われた、「TPP交渉」の内容(全容は隠されたまま)からは、こうした関係が表面的なものであったことが浮き彫りになってきているのではないでしょうか。

 「共同声明」では、米軍の存在、配備について、次のように書かれています。

 「日米両国は、両国が直面する共通の安全保障上の課題を踏まえ、日米防衛協力のための指針の見直しによることを含め、日米安全保障協議委員会の指示に従い、日米の安全保障同盟を強化し、現代化している。 米国は、最新鋭の軍事アセットを日本に配備してきており、日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している」

 「日米両国は、地域の安全を維持するための米国の拡大抑止の重要性を再確認した。 グアムの戦略的な拠点としての発展を含む、地理的に分散し、運用面で抗堪(こうたん)性があり、政治的に持続可能な米軍の態勢をアジア太平洋地域において実現することに向け、継続的な前進を達成している」

 こうした、米軍の存在と役割の確認の上で、「米国は、日米両国間の政策及びインテリジェンスに係る調整の強化を促進することとなる日本による国家安全保障会議の設置及び情報保全のための法的枠組みの策定を評価する」

 「米国は集団的自衛権の行使に関する事項について日本が検討を行っていることを歓迎し、支持する」という仕組みになっているのではないでしょうか。

 ここには、日本の憲法上の理念や9条に関わる意識、思いは全くありません。 文字通り、日米軍事同盟ー日米安全保障条約が全ての不動の大前提となっています。 そもそも、『憲法』の下では、成り立たない『声明』ではないでしょうか。

 TPPに関しては、「共同声明」は、「TPPに関する2国間の重要な課題について前進する道筋を特定した。~両国は全てのTPP参加国国に対し、協定を妥結するための必要な措置をとるために可能な限り早期に行動するよう呼び掛ける」などと書かれれいます。 ここにも、日米の横暴性が現れているのではないでしょうか。

 この点で、印象深いのは、オバマ大統領が、共同記者会見で述べた発言です。

 「日本経済において、農産品、自動車といった一部の分野で、市場の開放度が制限されている。 米国の消費者に対するマーケットアクセスに比べると限られている。 今こそ解決すべき時だ。 日本が更に前進したいと思うのなら、改革を実施しなければならない」(「読売」25日付)

 この発言には、それそれの国民の食文化や食の安全、農業・農畜産品に対する洞察、食料主権の尊重など微塵も感じられません。 あるのは、米国の巨大アグリビジネス産業や自動車産業のための市場拡大の欲望を丸呑みした姿勢です。 安倍首相と「すし」を食べたということが話題になりましたが、 「すし」という食文化を生み出した日本の長い食の歴史はほとんど理解していないようです。

 「共同声明」は「未来」を「副題」にしていますが、「戦争する国に変えられる日本」「食料や医療、労働のルールも自分たちで決めることもできないような国」に、「未来」を託すことができるでしょうか。

 あらためて、「日本には、憲法がある、この憲法を生かした国づくりこそ、日本国民の道そして、アジアの国々、人々とも心から協力していくことができる道だ」ということを強く感じています。

 

 


世界の軍事費(2013年)1兆7470億㌦、中国、ロシアが大幅増。 米国6700億㌦世界の37%

2014年04月18日 | 綱領関連

「スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が14日に発表した報告書によれば、2013年の世界全体の軍事支出は前年比1.9%減(2004年度比は26%増)の総額1兆7470億㌦(約178兆円)でした。 欧米が関連予算を削減した一方、中国やロシアが大幅に伸長しました」 【しんぶん赤旗】16日付は、ストックホルム国際平和研究所の「報告書」の内容を報道しました。 以下、記事の内容を紹介します。

 「報告書によれば、支出額が最大だったのは前年に引き続き米国で6400億㌦(全体の37%)。 これは同国前年比で7.8%の減額となりますが2位以下10位までの合計額に匹敵し、10年前と比べ12%増となります。 同国のGDP(国内総生産)に占める軍事費の割合は4%弱で、この10年ほど変わっていきません」

 「2位は中国で1880億㌦、3位はロシア878億㌦です。 両国の順位は前年と変わりないものの、中国は前年度比で7.4%、ロシアは同4.8%の伸びを示しました。 GDPに占める割合は、中国で2%、ロシアで4.1%となり、米、中、ロの上位3カ国だけで世界の軍事費支出の半分以上を占めます。 (中国とロシアの軍事費についてはSIPRIの推計)」

 「4位以下は、サウジアラビア(670億㌦)、フランス(612億㌦)、英国(579億ドル)、ドイツ(488億ドル)、日本(486億㌦)、インド(474億㌦)、韓国(339億㌦)の順。 サウジは前年の7位から急浮上、486億㌦支出した日本は前年の5位から8位に下落しています」

 「世界全体の軍事費支出額は同GDPの2.4%を占め、上位15カ国の支出額(1兆4080億㌦)は全体の80.6%を占めています」

 同記事の「表」によると、中国の軍事費の伸び率は、2004年~20013年比で170%、ロシアは同108%、サウジは118%となっています。米国のGDP比は3.8%(13年)となっています。

  こうした状況から言えることは、まず、米国の軍事費の巨大さです。 その米国がいま、アフガン、イラク戦争で行き詰まり軍事費の削減を迫られる事態となっています。 しかし、オバマ大統領が、「われわれが指導性を担ってこそ世界はよりよい場所となる」と宣言しているように、軍事的覇権主義への固執をやめたわけではないことは、在日米軍の強化、日米共同軍事作戦体制確立への様々な動向をみれば明らかです。

 そして、中国の急速な軍事費の拡大です。 この軍事費の拡大路線が、周辺国、アジア、世界にどういう影響を及ぼすのか、注視していかなければならないと思います。

 日本共産党第26回党大会決議は、「社会主義をめざす国ぐに」の資本主義国との対比の問題で「国際活動で覇権主義を許さない世界秩序の確立にどれだけ真剣に取り組んでいるか」を指摘しました。

 また、率直に「覇権主義や大国主義が再現される危険もありうるだろう。 そうした大きな誤りを犯すなら、社会主義への道から決定的に踏み外す危険すらあるだろう。 私たちは、”社会主義をめざす国くに”が、旧ソ連のような致命的な誤りを、絶対に再現させないことを願っている」と強調しました。

 

その際、「覇権主義という点でいえば、レーニンが、勝利したソビエト・ロシアが周辺諸国との関係で大国主義的な態度に陥ることを、どんなにきびしく戒めたかも、想起されなければならない重要な問題である」

 

 

 


「いやおうなしに資本主義国との対比が試される」、”社会主義をめざす国”=中国の動向について

2014年04月17日 | 綱領関連

 日本共産党第26回党大会決議は、”社会主義をめざす国ぐに”をどうみるかという角度から「社会主義に到達した国ぐにではない」こととあわせて、「いやおうなしに資本主義国との対比が試される」ことを提起しました。

 この間、中国について、重要な経済統計に関する報道がありました。 

 「しんぶん赤旗」16日付は、【時事】の配信記事を掲載しています。 

 その一つは、世界貿易機関(WTO)が14日公表したランキングです。

 「2013年に中国が米国を抜いて貿易世界一になったことがわかりました。 『世界の工場』と称される輸出大国の中国は、国内の経済成長に伴って輸入も拡大を続けており、巨大市場としての魅力が急速に高まっています。 WTOによると、輸出入を合わせた13年の貿易総額(サービス除く)は中国が4兆1600億㌦(約423兆円)、米国は3兆9100億㌦(約398兆円)でした。 中国は輸出で首位を維持し、米国も輸入では世界トップの座を守りました」

 「しんぶん赤旗17日」付は、【時事】の記事は、「中国成長率7.4%に減速」(1~3月期)」と報じました。

 「中国国家統計局が16日発表した2014年1~3月期の国内総生産(GDP)は、物価変動を除いた実質ベースで前年同期比7.4%増と伸び率は2四半期連続で鈍化しました。~政府は既に、控えめながら景気刺激策を打ち出し初めており、雇用不安を引き起こす深刻な景気悪化は回避する構えです」

 党大会決議は、「対比」ポイントとして、いくつか指摘しています。 その一つである「経済政策」などの点では、「『人民が主人公』という精神が現実の社会生活、政治生活にどれだけいきているか」を大きな前提として、「経済政策の上で人民の生活の向上がどれだけ優先的な課題になっているか」を上げています。

 経済規模の拡大が、中国国民の生活向上にどう反映しているか、この点の報道が少ないように感じています。 

 


”1941年6月22日。そしてその日が来た” ヒトラー対ソ戦発令。 「スターリン秘史」第16章

2014年04月15日 | 綱領関連

 不破さんは、「なぜスターリンはヒトラーにだまされたたのか」「不意打ち攻撃を防げなかったのか」 第2次世界大戦の長い間の大きな謎であったことを語っていました。 いま、その「謎」が解き明かされようとしています。

 「ジューコフ(ソ連軍参謀総長)によると、6月21日の夜、ジューコフは、キエフ軍管区の参謀長から、”国境警備隊に投降してきたドイツ兵が、ドイツ軍部隊の攻撃が6月22日朝から始まると告げた”との報告を受け、直ちにスターリンに知らせたとのことです。 呼ばれてクレムリンにかつけたジューコフは、スターリンがこの段階になっても報告が真実かどうかを疑い、深夜の21日が終わろうとするぎりぎりの時間に、”不意打ち攻撃の可能性があるが、挑発にひっかかってこちらから紛糾を起こさないよう注意せよ”という中途半端な戦闘準備指令をださざるをえなかったことを、記録しています。(「回想録」。 こうして、スターリンとソ連は、1941年6月22日未明、完全な”不意打ち”の状態で全国境線でドイツ軍の大兵力による強襲に見舞われたのです」「「前衛5月号228~229頁)

 ”なぜスターリンはヒトラーにだまされたのか”

 不破さんはこの大問題について、イギリスのチャーチル首相の「回想録」を紹介しています。

 「~彼らは、ヒトラーが6カ月以上もの間彼らを撃破しようと決意していたことを、まったく感じないでいたように見えた。 もし彼らの情報機関が、ドイツの大軍が東方に向けて毎日大規模に展開していたことを彼らに報告していたとしたら、彼らはそれに対処する必要な措置を怠っていたことになる。 こうして彼らは、全バルカンをドイツが席巻するがままにまかせた。 ~スターリンと共産党首脳部がバルカンにおけるあらゆる可能性を投げ捨て、ロシアに降りかかろうとした恐ろしい襲撃を何もせずに待ったというか、それに気づくことさえできなかったというか、そこで彼らが犯した過失にくらべられる過失が歴史の上であったかどうかは疑問であろう」(「同誌」229頁)

 「われわれはこれまで彼らを利己的打算者と見てきた。 この時期に彼らは間抜けでもあったことを証明した。 母なるロシアの力、大衆の規模、勇気と耐久力が情勢を左右するようになるのはまだ先のもとだった。 しかし、戦略、政策、先見性、能力が審判者であるという限りでいえば、スターリンと彼の人民委員たちは、自分たちが、第2次大戦中のもっとも完全に裏をかかれたしくじり者であることを示した」(「同誌」229~230頁)

 そこで、不破さんは、チャーチルに批判されても反論の言葉さえないような間違いー大失策をなぜ犯したのかについて、次のように述べています。

 「”イギリス崩壊後の世界の4ヵ国による再分割”というヒトラーの構想にスターリンの覇権主義的欲望の強さを見抜き、そこに付け込んだ見事な謀略作戦でした。 そしてヒトラーは、対ソ作戦の準備を進める途上の一歩ごと、一局面ごとに、すべての軍事行動を対英作戦に必要な行動として意義づける謀略工作を、最後まで綿密に続けました」(「同誌」230頁)

 「スターリンがそこで犯した決定的な誤りの一つは、1939年以来のドイツとの同盟で成功をおさめたことから、ヒトラーの行動の根底にある『反ボリシェビズム』の強烈さを見落としたことにありました」(「同誌」230頁)

 その証左の一つとして、不破さんが紹介しているのが、1941年3月17日、ヒトラーが国防軍首脳部とともに、首相官邸に東部戦線を担当する将軍たちを呼んで、きたるべき対ソ戦に臨む心構えについて「訓示した」内容です。 その訓示の中心部分について紹介しています。

 「ロシアに対する戦争はことがらの性質上騎士道に添ったやり方でおこなうことは不可能であろう。 この戦いはイデオロギーとイデオロギーとの、そしてまた異なった人種間の戦いであり、従って前代未聞の、無慈悲な、仮借のない苛烈な態度で戦わなければならないであろう。 全ての将校は古くさい、廃れてしまった理論を脱却しなければならない。 余は、そのようなやり方で戦争をおこなう必要性は諸君の考えおよばなかったことであろうことを知っているが、といって余の命令を変更することはできないし、なたそうすることはないであろう。 余は、余の命令が疑問の余地のない無条件の服従を受けることになるよう強調しておきたい」(「同誌」231頁)

 「これが、対ソ戦の行動原則になった」と不破さんは述べています。

 


スターリン秘史第15章「謀略のバルカン作戦(上)」”日ソ中立条約とスターリン”

2014年03月22日 | 綱領関連

 不破さんの「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」は、第15章を迎えました。 今回は、予想を超えて「謀略のバルカン作戦」(上)でした。 私は、スターリンを油断させ、一気にヒトラーの謀略作戦「バルバロッサ作戦」の発動へと進むのではないかと考えていました。

 実は、その前段の「バルカン作戦」があったわけです。 今回の連載では、久しぶりにディミトロフ「日記」が登場しています。 「ベルリン会談前後のディミトロフ」です また、「中国。 蒋介石政権との抗争」も興味深い内容でした。

 そして、第15章の最後に、「日ソ中立条約とスターリン」が叙述されています。 この条約がどのような背景のもとに調印され、歴史的にどのような役割を果たしたのか、重要な指摘がされているように思いました。

 1941年4月13日午後2時、日ソ中立条約は成立しました。 (「日本側の全権代表は、松岡洋右外相」)

 不破さんは、日ソ中立条約の役割について、第15章の最後の部分で次のように指摘しています。

 「この時の松岡は、ドイツを訪問してヒトラーやリッベントロップと会談を重ねたばかりの、ドイツの同盟国日本の外相でした。 その松岡による『大きな問題』を前面に押し出しておこなった状況説明が、スターリンに、ドイツ側の4ヵ国同盟提案がまだ生きていることを再確認させる重要な契機となったことは間違いありません。 結果的に言えば、松岡は、リッベントロップの勧告を無視して『大きな問題』を論じたことによって、1941年4月という、ドイツの対ソ開戦を間近に控えた段階で(「バルバロッサ作戦」での開戦予定日は5月15日でした)ヒトラーの謀略作戦に最大の奉仕をする結果となったのでした」(「前衛」誌4月号231頁)

 この中で触れられている「大きな問題」とは、中立条約交渉が決裂直前の段階、同年4月12日に行われたスターリンと松岡との会談の際に松岡が述べた説明です。

 不破さんは、「4月12日の会見の冒頭、松岡が日本とソ連との友好関係の意義を強調すると、スターリンは『三国条約がそれを邪魔しないだろうか』と口をはさみました」

 「それに答える形で、松岡は、『その逆である。 ドイツとの条約締結は日ソ関係を良くするはずである。 このような考えでベルリンでリッベントロップと話し合ってきた』と答え、日ソ関係の根本的な解決に必要なのは、『細かい問題に引きずられたり、こだわったりせず、アジアと世界全体を考えるという角度から解決を図ることである』、『これらの問題【小さな問題】の解決は必要だが、今ではない。 後でよいということだ』と述べ、4ヵ国条約の案に盛られていた考えに沿って、松岡なりの世界論を披歴しました」

 「大局的見地に立って、ソビエト連邦がインドを経由して暖かい海のインド洋に向かって出てゆく場合を考えれば、それ【小さな問題は先送りすること】は許されるべきだと思うし、もしソビエト連邦がカラチ港(「アラビア海に面するインド有数の港湾都市。 現在はパキスタンの第2の都市)を自分のものにしたいと求めるなら、日本は目をつぶるだろう。 ドイツのスターマー特使が来日した時、私は、ソビエト連邦がイランを通って暖かい海に向かおうとする場合には、ドイツがこの問題を日本と同様に扱うように言っておいた」

 「私は若い時から、アジアの運命を決めるのは日本とソビエト連邦という二つの大国であると確信してきた」(同誌  229頁)

 スターリンは、これに敏感に対応し、次のように述べたとのことです。

 「ソビエト連邦は、大きな問題に関しての日本、ドイツ、イタリアとの協力を原則として許容できるものと考える。 このことについてはモロトフ同志がベルリン訪問中に、三国条約を四国条約にすることが議題となった際、ヒトラーとリッベントロップに通知した。 しかし、ヒトラーは今のところ、外国からの軍事援助を必要としていないと言ってきた。 このことを考慮すれば、ドイツと日本の事業がうまくいかなくなった場合においのみ、四国条約と大きな問題でのソビエト連邦の協力の問題が発生すると考える。 このため、今われわれは日本との中立条約に限って話をしたいと思う。 この問題は間違いなく機が熟している。 これは、大きな問題に関する将来にむけての最初の一歩、重要な一歩となろう」(同誌 230頁)

  いま、ロシアのプーチン政権が、クリミア併合を強行していますが、 このロシアの覇権主義を日本共産党は厳しく批判しています。

 19日の志位委員長の声明では、プーチン大統領の演説のなかの「ロシア世界、歴史的なロシアが統一を回復しようとしてしている」ことに対し、「プーチン大統領のいう『ロシア世界』なるものが、旧ロシア帝国の版図を意味するものとすれば、その危険性はクリミア問題にとどまらないものになる」と指摘しています。

 ロシアの領土拡張主義、覇権主義の根深さを痛切に感じされられます。 しかし、21世紀の今日はこの横暴は決して通用しないでしょう。


スターリン「侵略国家同盟への参加を決断」。ヒトラー「バルバロッサ作戦(対ソ戦)の準備命令を発令」

2014年02月09日 | 綱領関連

 「ベルリン会談は、りッベントロップが提案した協定草案(一連の秘密協定を含む)をモロトフが持ちかえり、ソ連側で検討するということを最後の結論として、11月13日(1940年)夜、防空シェルター内でその終幕をむかえました」(「前衛」3月号204~205頁)

 リッベントロップ提案の概要は、同誌203~204頁に掲載されています。 「日独伊三国政府とソ連政府との協定案」といわれるものです。その第一条は、「1940年9月27日の三国同盟において、日本、ドイツ、イタリア三国が世界的抗争とならざるようあらゆる手段によって拡大を防止し、早期世界平和の回復に努力する旨協定し、三国はこの目的を同じくしそのために努力せんとする世界各地の国民との協力を、喜んでさらに拡充する意思を表明した。 ソ連はここにソ連がこれら目的に同調し政治的に三国と協力してこの目的達成のため努力する決意あることを宣言する」と記述されています。 

 「協定案」が、三国同盟にソ連を引き込むことを目的としていることは明白です。 この「協定案」にスターリンはどう答えたのでしょうか。(同誌207~208頁)

 「11月25日夜、モロトフはシューレンブルク大使(ドイツ)を呼んで、スターリンの回答を伝えました。 その内容は、次の通りです」

 「ソ連政府は、11月13日の最終会談におけるドイツ外相の声明内容を研究した結果、次の立場をとることとなった。 『11月13日の会談において、政治的提携および相互経済援助に関してドイツ外相が概説した四カ国協定草案にたいして、ソ連政府はつぎの諸点を条件として、これを受諾する用意がある』」と回答したのです。

 不破氏はこのスターリンの「受諾回答」について、次のように述べています。(「同誌」209頁)

 「スターリンのこの回答は、大戦勃発以来のソ連の覇権主義外交のなかでも重大な意味をもつ、きわめて大きな転換に踏み切ったものでした。ー中略ー 今度の四カ国条約は、まったく性質が違います。 公開される条約本文だけでも、『欧州新秩序』や『大東亜共栄圏』の名で、ドイツ、イタリアと日本がそれぞれの『勢力圏』の侵略諸国家の軍事同盟の延長戦上のものであり、この侵略諸国家の軍事同盟に、ソ連が今度は公然と加わるという内容を持っていました。」

 「スターリンは、世界大戦の放火人である枢軸諸国の連合に公然と加わる道を選び、そこに踏み切ったのです」

 スターリンのこの決断について、不破氏は3点を指摘しています。(「同誌」210~211頁) その中で、「最大の動機」として挙げていることは次の点です。

 「第三は、ヒトラーが持ち出した『世界再分割』、大英帝国の巨大な遺産の分配という構想です。 これは、イギリスが壊滅しない限り、問題にならない構想ですが、ドイツが対イギリス戦に勝利した時に、ソ連がドイツに対抗できるだけの軍事力を自分のものにしていたら、条約案で提案された取り決めが実行され、四カ国による『世界再分割』が現実のものとなる可能性は十分にあります。 そうなれば、ソ連は、南方に進出してペルシャ湾やアラビア海にいたる広大な地域を自分の勢力圏とする、しかも戦争によらず、外交的手段だけでそれを得ることができるのです」

「スターリンをドイツや日本との侵略国家同盟に踏み切らせた動機の最大のもは、やはりここにあったのかもしれません。 いずれにしても、ヒトラーは、領土・勢力圏の拡大への果てしない欲望という、覇権主義者スターリンの弱点を見事に射当てたのでした」

 ヒトラーは、スターリンの回答を受けて3週間後の1940年12月18日、対ソ戦争「バルバロッサ作戦」の準備命令を発令しました。 (「同誌」211~215頁)

 不破氏は、「こうして、1940年11月から41年6月までの間、一方では、ヒトラーが、謀略的な欺瞞作戦の陰で、対ソ戦の軍事的準備を着々と進行させる、他方では、スターリンが、四カ国同盟の結実を期待して、そのための政治的準備に熱中する、こういう二面的な過程がほぼ7カ月にわたって展開されたのでした」と述べています。

 

 


ベルリン会談、スターリンの指示は。 ヒトラーが”世界再分割プラン提案” 「日本との関係」は 

2014年02月08日 | 綱領関連

 不破氏は、ベルリン会談を前にモロトフに指示を与えていたことを明らかにしています。

 「ソ連崩壊後の1995年、ソ連の外務省文書から、ベルリン会談の前に、スターリンがモロトフに与えた指示文書が明らかになりました。 そこには、ベルリン会談の全経過とその意味を読み解く上での重要なヒントが数多く含まれていました」として、「指示の全文」が紹介されています。 (「前衛」誌3月号 189~192頁)

 そして、「スターリンの『指示』を読む」として5点に整理して解説しています。 私が関心を持った点を紹介します。

 第1点は、「まず目につくのは、日独伊ソ4ヵ国間で、自分の『勢力圏』の世界的規模での境界を設定しようというリッベントロップ提案の基本構想に、スターリンが大乗り切り気だということです。~『欧州新秩序』と『大東亜共栄圏』の境界線を見定めて、ドイツ側がソ連の『勢力圏』としてどんな範囲のことを考えているか確認せよ、それが了解できるものであっても、最後の仕上げは、次のりッベントロップの訪ソの時にスターリン自身が乗り出して交渉するから、ベルリン会談ではどんな協定にも調印するな、というのです」

 第2点は、日本と中国に関わる内容です。

 「ただ、スターリンが、『大東亜共栄圏」に関連する問題を、第9節で『秘密議定書』の内容に関連してとりあげていることは重要です。 まず、中国問題で、中国(蒋介石)政府にとっての『名誉ある和平』が望ましいとし、独伊ソの3国で日・中の仲裁に入ってもよいというのですが、そのさい、『満州』が日本の『勢力圏』に入ることは認める、というのです。 中国共産党との関係では、ソ連が中国支援国家であることを盾にとって『蒋介石第1主義』の態度をとってきたスターリンが、侵略国家同士の取り決めとなると、『満州』を犠牲にした日本との和平を蒋介石政権に押し付ける態度をとるのです」

 「同じ節の、『インドネシアを日本の勢力圏」として認める、ということも重大な提言でした。 日本では、『大東亜共栄圏』の線引きはおこなっていたものの、インドネシア問題などは、日本の政府自体が、政治的にも軍事的にもまだまったく問題にしていない段階でした。 その時に、日本の『南進』を当然のこととして、インドネシアを日本の『勢力圏』に入れることを提言しようというのですから。 これらのくだりは、スターリンが、ドイツだけでなく、日本帝国主義の領土拡張主義の要求にたいしても、その矛先がソ連自身に向けられない限り、容認するつもりでいたことを、あからさまに示したものでした」

 「ヒトラーが提案した『世界再分割』プラン」について、次のように紹介されています。(「前衛」誌3月号196~197頁)、以下、要約です。

 「ヒトラーが、この会談のために用意した世界再分割の提案は、スターリンの予想を超える大規模なものでした」(不破)。 ヒトラーの発言要旨。

 「大英帝国の終末の時期がはじまったということは、もはや地上のいかなる力も変えることことのできない事実となった。 イギリスはすでに大打撃を受け、最終的にその敗北を認めるのはすでに時間の問題である」

 「イギリスを征服すれば、大英帝国は、総面積4000万平方キロメートルにおよぶ全世界にわたる巨大な破産した財産として分配されることになるだろう。 ロシアは、この破産した財産のなかに、不凍港および大洋への進出路を求めることができるだろう」

 会談の最後のリッベントロップとモロトフのやり取りは、以下の通りです。

 「この『世界再分割』の是非については、最後にりッベントロップが『ソ連はいったいインド洋に出口を得るという考えに原則的に賛成なのかどうか』とつめたのにたいして、モロトフは、『スターリンおよびモスクワの他の友人たちのこの問題で意見をまだ聞いていないので、ここではまだ決定的な意見を述べることはできない』と答えています」(「前衛」誌198頁)