眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

惜しむコーヒー ~それでもあなたはカフェに行くのか

2024-05-31 18:35:00 | コーヒー・タイム
 生まれたてのコーヒーはたっぷりと器を満たしており、そこからは際限なく湯気が立ち上がっている。最初の一口のためにカップに口をつける瞬間は、この上なく幸福ではないだろうか。そこから先はゆっくりと冷めていくばかりだ。一口毎にやがては底をつくであろうことを恐れながら、口を近づける。せつない。コーヒーを飲むということは、ただただせつなさを感じることに等しいのではないだろうか。たっぷりとあったように思えても、本当はこれっぽっちだったと気づくまでにそう時間はかからない。

 コーヒーは、なぜ不変の熱量と無限の器をもって提供されないのか。そして、人々はなぞそうした不満を口々に叫ばないのか。そんなサービスをしたら商売が成り立たない。器のサイズは好みで選ばれるのが慣習だ。そもそも物理的に不可能ではないか。空間に落ち着きが損なわれてしまう。様々な意見もあるに違いない。だが、僕が考える理由はまだ他にある。
 いつかのイオンタウンで僕は言葉遊びに熱中していた。そこは心地よい逃避スペースでもあった。周りには新聞を広げる者や顔を伏せて眠り込んでいる者など様々な人がいた。警備員もいたが干渉するようなことは一切なかった。自分から離れて純粋に言葉の方を向いていると、時間は驚くほどの速さで流れすぎた。ただ遊んでいるに等しいのに。けれども、遊びを超えて到達できる場所があるように夢見る瞬間も存在した。



『夏休みの終わり』
(折句/アクロスティック お題…夏休み)

謎めいた大地に触れる
土踏まずは世界のはじまりを告げた
野次馬上がりの識者たちが
筋立てがあるように発すると
耳が痛くてたまらなくなる

何の意味があるというのか
積み上げて築いた城も
やがては跡形もなく崩れ去る
すべては夢の一場面のように
みたとしてもしなくても何が変わる

生意気を申すなら
続きはホームページをご覧ください
厄介なご質問はお控えいただき
スレッドを参照の上
自らの頭でお考えください

中庭に降りたモンシロチョウは
つかの間猫を被っていた
野郎共では相手にならない
スケールならマンガみたいで
脈絡もないのだから

何もほしくない
慎ましいばかりに
やつれて行くばかり
「水道局の方から参りました」
水を腹いっぱいに飲んだから

七つ星シェフは
月に新店を開いた
やっぱりここは客層が違う
スリーカウント唱えたら
みたらし団子の前菜だ

長く続いたイオンも
ついにシャッターを下ろしてしまう
約束の時が訪れたのだ
涼み慣れたフードコートの終わりを
見届けよう



(あんなにも豊かだったのに……)

 小一時間。やはりコーヒーは子供だましだった。
 コーヒー・カップの底に浮かび上がるのは、もう一人の自分。

「惜しむためにあるのでは……」

 言葉を付け足すなら、それは愛おしむということだ。
 もしも、これが無限の器に入った決して尽きることのないコーヒーだったら……。惜しむことも愛おしむこともまとめて手放さなければならないではないか。そこに喜怒哀楽や共感といったものはあるだろうか。物語性は残るだろうか。あなたは本当にそれに満足することができるのか。
 容量はそれぞれに決まっているくらいがいいのかもしれない。
 あるいは、僕たちも。







コメント
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