夏は麦茶だ
いや夏は祭りだ
いやー夏はプールだ
いやいや夏はタンクトップだ
いやーやーやー夏はかき氷だ
いやいやいやいやいや夏は花火だ
いやーあー夏っちゅうもんはね……
夏とはいったい何なのか
夏の正体は
人の声に耳を傾けるほどに
遠退いて行くようだった
夏?
「夏は嫌いだ」
あなたはそう言って
ピシャリ
pomeraを閉じた
世界につながってはいなかった
大好きなキャンディをなめるように、いつだって僕らはボールをなめることができる。足下にボールがあれば勿論そうしているし、敵チームの手にそれが渡っている間も、気持ちの上ではまだそうすることができる。試合に入っていけない時も、街をふらついている間も、暖かい布団に包まれて夢を見ている時間でさえも、僕らはずっとボールをなめていることができるのだ。ボールは僕らにとって、大好きなキャンディと同じだった。溶けても、砕けても、寝ても冷めても、僕らはいつもその感触を覚えている。好きなものと接するということは、いつもそういうことだった。グルメな多くのサポーターは、そんな僕らのフットボールを愛し、たくさんのエールを送ってくれる。僕らはそれを力にして、ゲームの大半の時間帯でなめた真似をして遊んでいる。足の裏にボールを抱く感覚は、たまらなく愛おしいものだ。たとえて言えば、大好きなキャンディをなめている感じ。愛を欲した獣たちが、僕の足下になめられた宝石を奪いに迫る。その時には僕の欲望も一層増幅し、なめてなめてなめまわすのだ。獣たちは僕のなめにみとれ、揺さぶられ、そのままついてくるしかない。彼らは完全に僕のなめのコントロール下に置かれている。(自分だけが行き先を知っている)ボールホルダーの優越感に包まれて、しあわせななめタイムが続いていく。終わりはいつも突然にやってくる。なめた幸福度にもサポーターの満足度にも関係なく、たった一つの笛によって。その時、僕らはピッチの上に倒れ込んで、地球自身を抱きしめる。「いつまでもなめてばかりはいられないんだ」