マヨネーズがない
犬がいるのに
散歩道がない
地図があるのに
旅人がいない
はあー
和菓子があるのに
お茶がない
猫がいるのに
高いところがない
パレットがあるのに
絵の具がない
ふうー
まいったね
こりゃ
pomeraがあるのに
ポエムがないって
「やあ、どうだい?」
「さあ、どうでしょう」
「なんだい、それは」
「ああ、悪くないってことで」
「なあ、それでいいのかい?」
「いったい何がです?」
「挨拶くらいできないのか」
「はあ?」
「君は挨拶もろくにできないのか」
「お言葉ですが、監督。今はそんなことをしている場合じゃありません」
「そんなことだと?」
「はい」
「やはり、君はわかっていないようだな」
「何がわかってないんですか」
「一番大事なことが、君はわかっていない」
「ゴールの他に何かありましたか? ないと思いますけど」
「挨拶だ! 一番大事なのは挨拶だ」
「はあ。それは一般社会の話ですか。それとも試合の中?」
「そうか。君はそうして試合とそれ以外の世界を分けて考えるんだな」
「当然でしょう。試合に入ったらボールとゴールのことだけを考える。他のことを考える余裕なんてありません。僕は今、それだけに集中しているんです」
「我々の使う言葉の半分以上は挨拶と言える。すべては挨拶に始まり、挨拶に終わるのだ」
「そういうもんですかね」
「おはようで目覚め、おやすみで目を閉じるのだ」
「はあ、そうですか」
「はじめましてで出会い、さようならでお別れするのだ」
「何か寂しくなってきますね」
「その間に人と人の時間がある」
「はあ」
「挨拶を侮ったり、馬鹿にしてはならん」
「馬鹿になんてしてません」
「だから、もっと顔を出せ」
「どこに出すんです?」
「人と人の間だよ。間、間に顔を出して、呼ぶのだ」
「敵の間ですね」
「顔を出し、声を出して、呼びかけねばならない。こっちだよ。ここにいるよ。ここに出してくれよ。こんにちは」
「もっと動いて、パスを呼び込めということですね」
「そうだ。待っているだけでは駄目だ。自分から求めなければ」
「コミュニケーションを取れと言うんですね」
「その通りだ! それが私の言う挨拶だ。そして、パスを受けたら、また返してやる」
「せっかく受けたのに? まずはドリブルを考えなければ」
「ベストの選択をすることが重要だ。言い換えれば、最もゴールに近い選択をすることだ」
「例えばゴールに向かって突き進むことですね」
「君がいくら全力で走ったところで、ヒョウほど速くは走れないだろう。だが、パスは」
「ヒョウを超えると?」
「そうだ。出し方によっては、パスはヒョウよりも速い」
「強いパスはヒョウに勝つのですね」
「味方を信じて返すことだ」
「信頼のパスですか」
「パスとは挨拶そのものだ」
「また挨拶ですか?」
「人と人をつなぐのがパスだからだ。やあ。こんにちは。お元気ですか。僕は元気です。こっちだよ。ありがとう。いえいえ。こちらこそ。じゃあね。またね」
「言葉のようにつなぐということですね」
「挨拶はいくらしてもいいのだ。日に何度してもいいし、同じ言葉を何度繰り返してもいいのだ。こんにちは。こんにちは。こんにちは。こんにちは……」
「おかしくなりませんか。変に思われませんかね」
「心配は無用だ。挨拶されて、腹を立てる人がいるかね。君はどうだ?」
「まあ、別に。嫌ではありませんが」
「そうだろう。されなくて不機嫌になることは多いがね」
「はい」
「信じて返せば同じように返ってくる。返せば返されるだ」
「格言みたいですね」
「目覚めた時におはようのある暮らしがどれほど幸福なものか」
「テレビをつければ、おはようばかり聞こえてきますけどね」
「自分がそこにいることがわかる。生きているということが理解できる」
「言わなくてもわかると思いますが」
「強がりではないかな」
「強がり?」
「人間はそんなに強いものだろうか。二本の足で立ち、一息毎に吸ったり吐いたりを繰り返している。不安定なことにな」
「そうですかね」
「とても不安だ。常に確かめねばならないほどに、みんな不安で仕方がない」
「不安定が不安になるんですかね」
「だからパスを出し合わなければ。お元気ですか。こんにちは。大丈夫ですか。生きていますか。元気ですか。声が届いたら応えてください」
「まあ、元気がなければこのピッチには立てませんけどね」
「ハロー。調子はどう。一つ一つの言葉にはそれほど意味はないようにも思える。だが、すべての言葉に意味はあるのだ」
「言葉としては、ほとんど意味なんてないのでは?」
「表面だけを追ってはならない。言葉の意味以上に意味があることもあるのだ」
「言葉の外に意味があるんですか?」
「言葉は一つの道具にすぎない。言葉が行き交う間に様々なことが起きているということだ」
「パス交換の間に?」
「ハローをはなす。ハローが届く。ハローに触れる。ハローをかえす。ハロー・ボールが動く。それを繰り返す」
「パスが回る時間は悪くはないですね。ゲームを支配している気分になります」
「そうだ。自分たちだけでボールを回していれば、少なくとも失点の可能性はない」
「ずっとそれが可能ならですね」
「百パーセント保持し続ければ、完全な支配者となるだろう」
「絵空事ですね」
「どうかな」
「火を見るよりも明らかなことです」
「それほどかね?」
「それ以上です」
「火は人参やじゃが芋を煮込むことができる。では、パスは何を作り出すだろう?」
「リズムですか」
「もっと大きな」
「時間ですか」
「そうだ。パスは時の粒なのだ。パスはボールウォッチャーを作る。人も猫も見る者すべての視線が引き寄せられてしまう。その中には敵も含まれる。流れるパスの中では、みんな時の傍観者になってしまう」
「そうなるとゴールを狙うチャンスですね。そうならないようにも気をつけないと」
「わかっていても習性に逆らうことは難しい。おかしくも恐ろしくもある習性だ」
「行ったり来たり、行ったり戻ったり、ぐるぐると回ったり……。何がそんなに引きつけるんでしょうね。ただボールが動いているだけなのに」
「ライブだからだよ」
「当たり前じゃないですか。今、まさに僕らはサッカーをしているわけだから」
「そう、まさにそこなのだ。今という時間を見つめること。それが生きていることの証明になる」
「そんな証明が必要でしょうか」
「そして共に生きている時間に対して共感を抱くのだ」
「敵のチームは共感している場合ではないでしょう」
「わかっていても、心のどこかで抱く共感を打ち消すことは難しい。勝敗を超えた性がそこにあるからだ」
「どこにあるんですか?」
「単純な仕草で時を埋めていく。それがすべての人の営みというわけさ」
「そんなものでしょうか」
「わからないかね。それとも何か不満かね?」
「よくわかりません。だんだんと、色々と……」
「時間も時間だ。君もそろそろ疲れていることだろう」
「僕はまだまだ走れますよ」
「果たしてそうかな」
「うそだとでも?」
「自分では疲れていないと思っても、体の方はそうではないことがあると言っているんだ」
「そうですかね」
「ドリブルに偏っていないで、パスの輪を広げてみてはどうかね」
「ハロー・パスですか?」
「色んな言葉があれば相手は読みにくくなる。そうすれば君のドリブルはもっと生きるようになるだろう。じゃんけんだよ」
「じゃんけん?」
「晴れ、雨、曇り。晴れ時々曇り、ところにより一時雨」
「天気予報ですか?」
「雨しかないなら傘を持っていればいい。それはドリブルしかないドリブルだ」
「僕が?」
「しかないというのはとても止めやすいんだよ」
「僕には右も左もあります。シザーズもあるしルーレットもあります。もっと他にとっておきの奴もあります」
「足下に偏ってはならん。もっともっと広く見なければ」
「できればずっとキープしていたいです」
「ボールがそれほど好きか?」
「自分くらいに好きです」
「だったら自分から離してみることだ」
「なぜです?」
「離れてみればどれだけ必要だったかわかるだろう」
「離れなくてもわかっています。そんな必要はありません」
「離れている間に、もっと自身に問いかけるだろう」
「問わなくても、もうわかっているんです」
「巡り巡ってもう一度触れた時、愛はより深まっているはずだ」
「これ以上に深まることなんてあるんでしょうか」
「いずれにせよ、ずっと足下に置いておくことを世界が許さないだろう」
「それは僕のスキルが足りないせいです」
「それだけではない。君はボールを預けなければならない。そして君自身も変わらねばならない。動いて行かねばならない」
「ワンツー・パスを受けろと言っているんですか?」
「そうだ。それはドリブルではないのかね?」
「上手くいけば、ドリブルに戻れるでしょう」
「それは同じことなのだよ。ドリブルも、パスも、同じようにボールを運ぶための手段なのだよ」
「同じですか?」
「みんなつながっているのだよ。一つだけ、あるいは一人だけが孤立することなどできないのだ」
「パスもみんなで運ぶドリブルだと言うことですか?」
「コーヒー・タイム! 君もどうかね?」
「僕が口にできるのは水だけですよ。それだって、プレーが途切れた時にしか許されない」
「私だってコーヒーをじっくり味わう余裕なんてないさ」
「そうあってほしいですね。ここは戦場なんです」
「私も最初はコーヒーなんて飲めなかった。子供の頃は」
「子供の時はだいたいみんなそうでしょう」
「君がそうだったからそう言うのでは?」
「そうですかね」
「それで今はどうなのだ?」
「まあ、嗜む程度には」
「最初の一口は苦く感じられるものだ」
「子供は顔をしかめるほどに」
「だが、ある時、人は気づく」
「……」
「苦みもある意味必要であることに」
「ある意味?」
「いつの間にか苦みを欲している自分がいて、一口一口繰り返して受け入れている内に」
「内に……」
「苦みは笑みへと変わるのだ」
「薄気味悪いですね」
「大きな進歩と呼ぶこともできるだろう」
「進歩ですか」
「唇は触れ、唇は離れ、同じような仕草を繰り返しながら進んで行くのだ」
「いったいどこへです?」
「空に向けて」
「それでどうなるのです?」
「カップの底が現れる」
「まあ、そうでしょうね」
「それがコーヒーを飲むということだよ」
「それが何だと言うのです?」
「何だとは何だね」
「僕たちにとって重要なのは、コーヒーでもコーヒーカップでもありません」
「勿論そうだろう。もっと野心的なカップが必要だ」
「はい。もっと大きなカップを掲げなければなりません」
「その通り! 聞こえるか? あのチャントが聞こえるか?」
「聞こえます。ずっと同じ節を繰り返している」
「彼らも同じカップを望んでいるようだな。だから執拗に繰り返すことができるのだ」
「僕らには大きな力になります」
「繰り返すのは愛だ。彼らの歌声は、まるでパス回しに加わっているかのようだ」
「確かに良いリズムに乗っています」
「面白いようにパスが回っている」
「はい。今はチームがいい方に回っているように思えます」
「君が持ちすぎていないからだ」
「きついですね」
「ボールは疲れない」
「ずっと動いているのにね」
「だからさ。ハローをはなす。ハローが届く。ハローに触れる。ハローをかえす。ハロー・ボールが動く。それを繰り返す」
「行ったり来たり。リフレインですね」
「ボールは目的地を持たないものだ」
「でもみんな喜んでくれています」
「人はリフレインを好むものだからな」
「いつまで続くんでしょうね」
「いつまでも続くだろうさ」
「監督。夢でも見てるんですか?」
「パスは永遠だ」
「そんなことは……。ないはずです」
「笛が鳴っても続くだろう。終わらないパスだ」
「パスは試合の中に含まれているものです。限りある試合の中に」
「だから枠をはみ出すことはできないと?」
「それは誰でも知っていることです」
「さあ、来たぞ。君へのパスが」
「あの人たちはドローなんて望んでいない」
「さあ、来たぞ。君の足下へ」
「僕が変えてみせます。いいえ、決めてみせますとも」
「君はパスを受ける。そして、パスを返す」
「もっと、遠い、目的の場所へ届けます」
「つながっていくことこそ希望なのだ」
「つながっていくだけでは希望はありません」
「どうかな」
「絶対に」
「君はやはり返すだろう。君は慣習の中に含まれているのだから」
「いいえ、僕が変えてみせます」
「できるだろうか? 今まで、できなかった君に」
「今からです! 僕は前を向く選手なんだ!」
「随分な遠回りだったな」
「得意の形でした」
「だが、ゴールには至っていない」
「シュートは打てました。紙一重でした」
「ポストを叩くことは闇に消えるよりはゴールに近い」
「はい。それは指針になりますからね」
「相手にとっての脅威、自分にとっての指針になる。だがね」
「何か不満げですね。とても」
「その必要が、本当にあったのだろうか?」
「いったい何がです? 必要とは?」
「遠回りだよ。君は遠回りしただろう」
「ドリブルのコースが良くないというのですか?」
「随分とゴールから遠回りしたように見えたな」
「最短距離は最も突破が困難だったからです」
「そうだったろうか」
「急がば回れと言うじゃないですか」
「とても急いでいるようには見えなかった」
「どう見えたと言うんですか?」
「楽しんでいるように見えたな。遠回りを」
「楽しくないということはないです」
「やはりな」
「でも、何が近道で何が回り道かなんて、どうしてわかるんです」
「自分で選んだ回り道を楽しんでいたんだな」
「それがエゴだと言うんですか。もっとはっきり言ってください」
「では、はっきり言おう。君は中に切れ込んでシュートを打ちたかったのではないのか?」
「それが何ですか?」
「そのために、他のあらゆる攻撃手段を切り捨ててしまったのではないか?」
「僕は選んだだけです」
「敵の警戒を言い訳にして、自分の好むプレーを選択したのだ」
「他にどうしろと?」
「その場でターンできたはずだ。中を向くことができれば、味方を使うこともできただろう」
「そこに味方はいたでしょうか? 間に合っていなかったのでは?」
「ちょうど走り込んで来る選手がいた。君の背中には映らなかっただろうがね」
「確かにターンはあったかもしれません。そこからシュートも打てたかもしれません。でも、僕は手数をかけるために、戻ったというわけでもありません。少なくとも自分にそのような意識はありませんでした」
「意識以上のことを、時に体はやってのけるものだ」
「考えている暇はありません」
「そうだ。だからこそ、正しい動きを身につけることが重要なのだ」
「体が覚えたものは忘れませんからね」
「そのために必要なことは何だと思う?」
「勿論、練習です」
「それは日々の積み重ねだよ」
「ああ。そうですか」
「朝起きて、君は最初にどうするのかね?」
「まずは顔を洗います」
「なぜ、そうするのかね?」
「目を覚ますためでしょう。強いて言うならばですが」
「それほど自分の顔が大事だと言うのかね?」
「はあ」
「その前に雑巾掛けをしようとはしないのかね?」
「雑巾掛けを? 突然ですか?」
「突然とは何だね? 君は突然顔を洗うのだろう」
「目覚めてすぐにそんな体力はありません」
「そんな言い訳が通用するとでも? 君は本当にアスリートなのかね?」
「何時間も眠っていたんですよ。誰だってそうですよ」
「果たしてそれが理由かな?」
「他にどうだと言うんですか?」
「君は部屋という全体よりも、顔という個人的なスペースを優先したのではないか?」
「普通じゃないですか。まさか、それがエゴだとでも言うんですか」
「まあ、君が言うならそれはエゴの一つに違いあるまい」
「とてもそれが悪いことだとは思えません」
「まあ順番はいい。君はいつ雑巾掛けをするんだね?」
「……」
「部屋の掃除をしているのかと言っているんだ」
「まあ、たまにしています」
「だから駄目なんだ! 大事なのは日々だと言っただろう」
「そんなに掃除が大事なんですか? 他にもすることが色々と」
「また言い訳か。それではいつになったらゴールが決まることか」
「ゴールとどんな関係があるんですか?」
「何を言うか。私がゴールと関係のない話をしたことがあるのかね?」
「本気で言っているんですか」
「雑巾掛けをするには、何よりも根気が必要だ」
「それはそうでしょうけど」
「何よりも継続性が重要だ」
「それもそうでしょうよ」
「それはとても良い行いだ」
「はい。それでどうなるんです?」
「部屋の中がきれいになる」
「それはそうですよ。それが掃除です」
「だが、他にもきれいになるものがあるぞ」
「他にも? いったい何が……」
「それは心だ」
「はあ。そうですか」
「良い行いを続けていると、知らず知らずの内に心の中までがきれいになっていく」
「それでゴールが決まるんですか?」
「まあ、そう先を急ぎすぎるな。急がば回れだ」
「さっきは遠回りを非難したくせに」
「手をかけて磨くことで、やがて浄化は空間を越えていく」
「そういうものですかね」
「大切なのは、正しい行動を習慣づけることだ。運動が学習を手助けする。それが自然にできるようになれば余計なものも消えていくだろう」
「余計なものですか」
「正しいことだけに集中するのだ。やがて邪念は消え、自身も消える。少しはゴールが見えてきたかね?」
「よくわかりません」
「自身が消えて、ディフェンスの目からも見えなくなるだろう」
「本当にそうなりますかね」
「疑うくらいならまずは試みてみることだ。君は邪念が多すぎる。テレビを見てごらんよ」
「どうしてテレビなんですか?」
「テレビでは悪いのかね?」
「そういうわけでは」
「人々はみんなクイズに夢中だ。どうしてだと思う?」
「正解が知りたいからじゃないですか?」
「考えることは楽だからだ」
「問題が簡単だったら、まあ楽でしょうね」
「難解さは重要ではない」
「そうでしょうか。難しければ……」
「考えられることは、考えられないことよりも遙かに楽だ。楽しいと言ってもいい」
「はあ。そういうものでしょうかね」
「答えがある場合は更に楽だ」
「確かにクイズには必ず正解がありますね」
「クイズのことを考えている間は、それ以外のことを考えることができない」
「時間切れになってしまいます」
「考えなくていいというのは、それもやはり楽だ」
「今度は考えないことが楽なんですか?」
「そうだ」
「監督。大丈夫ですか? 何か矛盾しているようですが」
「人々は考えているようで考えていない。考えないことによって考えているのだ」
「何が何やら」
「それが集中するということだよ。そして、その結果どうなると思う?」
「正解を答えるんですか?」
「何が消えると思う?」
「邪念と自身ですね」
「その通りだ。だからこそ雑巾をかけねばならない」
「クイズの話はもう終わったんですか?」
「終わったと思うかね」
「正直、わかりませんね」
「油断しないことだ。すべてのことは同時に進行しているのだから。攻撃は守備であり、守備もまた攻撃なのだ。今が試合の真っ直中にあるということを忘れないように」
「勿論です」
「床を綺麗に保つためには、常に怠ることなく磨き続けなければならない」
「はい」
「床をもっと前に押し進めるためには、もっともっと磨き続けなければならない」
「床を前に? どういうことでしょうか?」
「運動が学習を後押しするということだよ。わかるかね」
「わかりません」
「その先に敷かれるものは何だ?」
「?」
「油断するなと言ったはずだ」
「抽象的な問題は苦手です。僕はストライカーだから」
「しあわせにつながる道だよ」
「床から道へとつながっているんですね」
「そうだ。運動が絶えず続いていくためには、その先のビジョンが大事なのだ」
「なるほど。そういうものですか」
「その道がどこへつながっていると思う?」
「まだ続くんですか?」
「続くのが道だからな」
「海でしょうか」
「ゴールだよ」
「ゴールか……。惜しかったな」
「いつか道はゴールへとつながるのだ。それが休まず続けていくことの理由だ」
「はい」
「さあ、君はどうする? 今、君はこんなに大勢の敵に囲まれているじゃないか」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「みんなボールだけを求めて寄って来ます」
「そうだ。君は狙われているぞ」
「本当にしつこい奴らだな」
「君がボールを持っているからな」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「ボールの亡者たちめ。ボールのことばかり考えている奴らに誰が渡すもんか」
「そうだ。渡してはならない。体を張って、君はボールを守らなければならない」
「みんなボールに食いついて来ます。こいつら、ボールばかり欲しがりやがって」
「この場所においてそれは普通だ。ここはそういう場所なのだ」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「ボールがすべてなんておかしくはないですか? 本当にそれで正解なんですか?」
「ボールがすべてである時、ボールはいくつあると思う?」
「勿論、ボールは一つです」
「ボールがすべてである時、ボールはボールであるというだけでなく、他のあらゆるものでもあるということだ」
「あらゆる?」
「よって、正解は一つではない」
「そんな、まさか……」
「ボールは石だ。ボールは星、ボールはキャンディー。ボールは炎、心、そして、猫だ」
「ボールが猫だなんて」
「どうする。君は猫を手放すか?」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「嫌だ。絶対に渡さない。これは僕のボール。僕だけのボールなんだ!」
「ボールだけのボールと思っていては守れないぞ!」
「僕のドリブルで、僕は僕のボールを守ります!」
「そうだ。ここではボールがすべてだ!」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「渡さない! 誰にも渡さない!」
「もう、ドリブルのためのドリブルだけはするな」
「大切なものを守るためのドリブルです」
「そうだ。もっと先へ進むためのドリブルだ」
「なんだか体がとても軽く感じられます。みんなの動きが止まっているように見えます」
「そうだ。それでいい。ドリブルを楽しめ。踊りのように」
「踊りのように」
「踊る人は楽しい。楽しい人は踊るのだ」
(ボール、ボール、ボール、ボール♪)
「僕は踊ります。ゴールへ向けて踊ります」
「私もここで踊ろう。ゴールのための前祝いだ」