・別次元の孤独
世界観のかけ離れた人と長時間共に過ごすと疲れ果てる。(傷ついている)それからしばらくの間、放心状態となり自分を取り戻すまで一定期間を要する。ある種の人は、(その場その場で生きているように)会う度に新しいルールを押しつけてくる。その度にとても相棒ではいたくないと痛感させられる。その度にため息を心の中で呑み込んでいる。疲労が自分の中に蓄積される。
疲れの主因は相手の存在にあり、嫌悪(憎悪)のような感情が自分を苦しめていると思っていた。しかし、それはどこか腑に落ちない面もあった。(憎むほどには相手を理解していない)。考えている内に、原因はもっと自分の方にあるとわかった。
ある種の人と、社会の中で平和的に過ごそうとすると(内心では様々な疑問を持ちながらも)、ある程度を許容して自分を抑えなければならない。その瞬間、自分を偽り、欺き、裏切っている。
(自分が自分でいられなくなる)
その時に感じられる痛みは、自分だけでいる時の孤独からは生じない。他者と触れることで、自分が自分から切り離されてしまう、別次元の孤独からやってくる。
・嫌悪の奥の恋しさ
そして、その痛みは「自分を自分でいさせてくれた」存在の温かさを同時に思い出させる。(わかり得ぬ人を傍に感じるほど、わかり合えた人のことを思い出してしまう)
ある種の人との触れ合いの中での自分のあり方(姿勢)が、自分を傷つけてもいたのだ。胸の奥に残る痛みは、嫌悪よりもむしろ恋しさだと言える。
・心強い味方
社会の中で生きている限り、自分を保ち続けることも全く傷つかないことも困難なことだ。
(感覚的な暴力は蔓延している)
小さな違和感によって気づかない内に殴りつけられている。だから、傷つくのは当然なのだ。1つ1つの粒は小さく加害者も被害者もそれに気づいていないこともある。まるで霧雨のように。だが、確実に打たれ続けている。違和感も降り積もればハード・パンチとなり、気づいた時にはもうずぶ濡れになっている。
立ち直るためには時間が必要だ。
自分を自分らしくいさせてくれる世界、自分を思い出させてくれるような言葉が、きっと必要となる。
その時、詩や物語は、何でもはなせる理解者にも似た心強い味方になってくれることだろう。