再会を持ちかけたのは彼女の方で、僕は自分なりにその意味を1週間の間考え続けていた。もうすぐ彼女に会うというのに、どうして僕は1人でご飯を食べているのだろう。少し午後を回ったとしても、久しぶりに2人で一緒に遅い昼食を食べればよさそうなところなのに、こんなにも狭苦しいテーブルの前に座って、見知らぬおじさんたちと肩を並べながら黙々と味気ない飯を食べているのか。腹八分目に落ち着いたところで、放置していた銀の蓋を開けてみると中からカレーが現れた。まだ、こんなものがあったとは知らなかった。細長い魚の骨を置いて、作業着姿の男たちが立ち上がる。テーブルには、飲み終えたビールの空き瓶が横倒しになって転がっている。彼女はもう、近くまで来ているかもしれない。
人ごみの中にいても、彼女1人を見つけ出すことは簡単だ。歩道橋の階段下に立つ彼女の姿を見つけて、ゆっくりと近づいた。気づかないのか、歩いていく間にも彼女はまるで表情を変えない。髪が少し、伸びたようだった。
「行こうか?」
真正面に立って、彼女に言った。
「おっ! 狙ってきたよー!」
彼女は隣にいる友達に向けて大きな声で叫んだ。どうして、友達も一緒なのだろう。友達も一緒にくるのか。まあそれならそれでもいい。友達の方を見るとどこかで会ったような気がする。時代劇の中では最初に出てくる商人の娘のようだった。それからもう1度、彼女に目をやるとどこか様子が違っている。今まであったはずの縁が、すっかり感じられなくなっていた。彼女に似せたメイクをしているせいで、彼女と見誤ってしまったのだった。
「****さんじゃない?」
もう結論は出ているのに、僕は何を言っているのだろう? そのせいで自分がより一層道化師っぽく見えてしまう。何も答えず、しつこいな、早くどっかに消えろよというような、女の強烈な視線が僕を後退させた。あらゆる何かを待っている歩道橋周りの人々が、ある種の余興でも見るかのような目で、無残な僕の敗北を見守っていた。
「駄目だったの?」
スケボーを腰に抱えた少年が、冷やかすように声をかけてきた。
「違うんだよ。探していたのは」
伝わろうと伝わるまいと本物の彼女の話をした。
「電話すればいいのに」
勿論、彼の言うとおりだ。
自称警備員という男が、事情を聞きたいと言って強引に腕を引っ張っていく。痛い。痛いじゃないか。ガードレールを背に許可なく写真を撮るとねほりはほりと訊いてきた。1つも答えない間に、男は更に続けてねほりはほりと続けてくる。気に入らない。腕に触れた瞬間から、気に入らないと思っていたが、ますます気に入らないので、何も答えないことに決めた。
「いいのか?」
そんな態度で済むのかと警備員風の男は言って、やたら高いところから物凄い速さで腕を振り下ろした。
「あっ、びびった」
そう言って勝手に喜ぶと今度は道端に落ちている空き缶を掴んだ。次の動作はもう想像できていた。ゆっくりと一歩、二歩、遠ざかった。やはり男は高々とそれを掲げて、こちらに向けて投げつけてきた。その瞬間、向かってくる空っぽの凶器はスローモーションで放物線を描いた。軌道を読んで、ゆっくりと肩を寄せ、わざと当ててやった。
「やったな!」
これで完全に向こうが悪人となった。スケボー少年が、確かな証人だ。
偽の彼女からできる限り遠ざかりたくて、メインストリートを離れた。離れながら、彼女に電話をしよう。いつでも、かけることができた。彼女に会ったら、もう1度別れ話をしよう。彼女と今日の約束をしてからというもの、今日のことを心待ちにするということはなかった。忘れている瞬間さえ、多くあった。再会を持ちかけられた瞬間だけ、うれしいと言えばうれしかった。それからは、もう何もない。それがすべてを物語っている、というのが僕の出した結論だった。彼女の名前に、指で触れた。
「今どこ?」
けれども、電話はつながってはいなかった。留守番電話サービスに転送される。回線は逆転して、メッセージを聞くのは僕の方だ。
「そちらには行けません。元のようにはいきません。毎日のように会って話せた時が、少し懐かしく思い出されます。2人の時間は、それなりに楽しい時間だったと思います。あなたにはあなたの、私には私の場所があって、今はもうその遠く離れた隔たりをつなぐ架け橋が失われてしまいました。お互い新しい道に進むために、良き思い出と共に終わりにしましょう。本当は会って伝えればいいのだけれど、やはりできませんでした。私たちはもう一緒にはなれないのだから……」
淀みない彼女の声を聞きながら、どんどん歩いた。徐々に人通りは少なくなっていった。どうせなら、誰もいない方がいい。誰もいないところまで、運んでくれる冷徹な足が欲しい。路上に止められた無人の車が鎖のように連なっている。もう千年もそこに留まっているように、深い埃を被って。ドアのない車に招かれて、僕はハンドルの前に腰を埋めた。少し離れたところで、ドアが開く音、エンジンのかかる音が聞こえた。まだ動く車があるとは、とても信じ難い。
「邪魔なんだよ!」
出られないといって車をぶつけると1台が吹っ飛ばされて、大破した。更に男は身勝手なハンドルさばきで、次々と攻撃を仕掛けると無人の車たちはそれぞれに坂を下ったり、玉突き衝突をしたり、クラクションを鳴らしたりしてお祭り騒ぎとなった。
赤い光を身にまとってパトカーが下りてくる。いつ間にか、スケボーの少年も一緒だった。
「暴走族はどこから来た? きみはどこから来た?」
警官と少年が同時に質問を投げかけてくる。
「知らない! こっちはそれどころじゃないんだ!」
騒がしくなった場所を離れて、再び歩き始めた。メッセージは続く。
「私はとてもしあわせです。毎日同じ道を通り、同じ犬とすれ違い、同じ店の同じコーヒーを飲み、同じ太陽の下に立って、毎日同じ営みを繰り返しながら、1つずつ暦を塗り潰していく。今日という日はいつも、昨日とちょっと似ているけれど、私たちは日々を堅実に生きている。それに比べてあなたは、あなたの生活はここ何年も同じところを行ったり来たりするばかりで、何1つ何1つ実になるようなことを生み出すこともなく、何1つ何1つ……」
それからメッセージは動画へと切り替わった。
彼女は以前よりも少し丸みを帯びていて、その頬にキスする相手の男も少しぽっちゃりした奴で、互いにキスを重ねる間に彼の頬にも彼女の口先から落ちた紅がありありと見え始めたのだった。視線を深く落としながら、けれども、その絵から目を離すことなく、僕は遠くへ遠くへと歩き続けた。
「私たちはしあわせです」
人ごみの中にいても、彼女1人を見つけ出すことは簡単だ。歩道橋の階段下に立つ彼女の姿を見つけて、ゆっくりと近づいた。気づかないのか、歩いていく間にも彼女はまるで表情を変えない。髪が少し、伸びたようだった。
「行こうか?」
真正面に立って、彼女に言った。
「おっ! 狙ってきたよー!」
彼女は隣にいる友達に向けて大きな声で叫んだ。どうして、友達も一緒なのだろう。友達も一緒にくるのか。まあそれならそれでもいい。友達の方を見るとどこかで会ったような気がする。時代劇の中では最初に出てくる商人の娘のようだった。それからもう1度、彼女に目をやるとどこか様子が違っている。今まであったはずの縁が、すっかり感じられなくなっていた。彼女に似せたメイクをしているせいで、彼女と見誤ってしまったのだった。
「****さんじゃない?」
もう結論は出ているのに、僕は何を言っているのだろう? そのせいで自分がより一層道化師っぽく見えてしまう。何も答えず、しつこいな、早くどっかに消えろよというような、女の強烈な視線が僕を後退させた。あらゆる何かを待っている歩道橋周りの人々が、ある種の余興でも見るかのような目で、無残な僕の敗北を見守っていた。
「駄目だったの?」
スケボーを腰に抱えた少年が、冷やかすように声をかけてきた。
「違うんだよ。探していたのは」
伝わろうと伝わるまいと本物の彼女の話をした。
「電話すればいいのに」
勿論、彼の言うとおりだ。
自称警備員という男が、事情を聞きたいと言って強引に腕を引っ張っていく。痛い。痛いじゃないか。ガードレールを背に許可なく写真を撮るとねほりはほりと訊いてきた。1つも答えない間に、男は更に続けてねほりはほりと続けてくる。気に入らない。腕に触れた瞬間から、気に入らないと思っていたが、ますます気に入らないので、何も答えないことに決めた。
「いいのか?」
そんな態度で済むのかと警備員風の男は言って、やたら高いところから物凄い速さで腕を振り下ろした。
「あっ、びびった」
そう言って勝手に喜ぶと今度は道端に落ちている空き缶を掴んだ。次の動作はもう想像できていた。ゆっくりと一歩、二歩、遠ざかった。やはり男は高々とそれを掲げて、こちらに向けて投げつけてきた。その瞬間、向かってくる空っぽの凶器はスローモーションで放物線を描いた。軌道を読んで、ゆっくりと肩を寄せ、わざと当ててやった。
「やったな!」
これで完全に向こうが悪人となった。スケボー少年が、確かな証人だ。
偽の彼女からできる限り遠ざかりたくて、メインストリートを離れた。離れながら、彼女に電話をしよう。いつでも、かけることができた。彼女に会ったら、もう1度別れ話をしよう。彼女と今日の約束をしてからというもの、今日のことを心待ちにするということはなかった。忘れている瞬間さえ、多くあった。再会を持ちかけられた瞬間だけ、うれしいと言えばうれしかった。それからは、もう何もない。それがすべてを物語っている、というのが僕の出した結論だった。彼女の名前に、指で触れた。
「今どこ?」
けれども、電話はつながってはいなかった。留守番電話サービスに転送される。回線は逆転して、メッセージを聞くのは僕の方だ。
「そちらには行けません。元のようにはいきません。毎日のように会って話せた時が、少し懐かしく思い出されます。2人の時間は、それなりに楽しい時間だったと思います。あなたにはあなたの、私には私の場所があって、今はもうその遠く離れた隔たりをつなぐ架け橋が失われてしまいました。お互い新しい道に進むために、良き思い出と共に終わりにしましょう。本当は会って伝えればいいのだけれど、やはりできませんでした。私たちはもう一緒にはなれないのだから……」
淀みない彼女の声を聞きながら、どんどん歩いた。徐々に人通りは少なくなっていった。どうせなら、誰もいない方がいい。誰もいないところまで、運んでくれる冷徹な足が欲しい。路上に止められた無人の車が鎖のように連なっている。もう千年もそこに留まっているように、深い埃を被って。ドアのない車に招かれて、僕はハンドルの前に腰を埋めた。少し離れたところで、ドアが開く音、エンジンのかかる音が聞こえた。まだ動く車があるとは、とても信じ難い。
「邪魔なんだよ!」
出られないといって車をぶつけると1台が吹っ飛ばされて、大破した。更に男は身勝手なハンドルさばきで、次々と攻撃を仕掛けると無人の車たちはそれぞれに坂を下ったり、玉突き衝突をしたり、クラクションを鳴らしたりしてお祭り騒ぎとなった。
赤い光を身にまとってパトカーが下りてくる。いつ間にか、スケボーの少年も一緒だった。
「暴走族はどこから来た? きみはどこから来た?」
警官と少年が同時に質問を投げかけてくる。
「知らない! こっちはそれどころじゃないんだ!」
騒がしくなった場所を離れて、再び歩き始めた。メッセージは続く。
「私はとてもしあわせです。毎日同じ道を通り、同じ犬とすれ違い、同じ店の同じコーヒーを飲み、同じ太陽の下に立って、毎日同じ営みを繰り返しながら、1つずつ暦を塗り潰していく。今日という日はいつも、昨日とちょっと似ているけれど、私たちは日々を堅実に生きている。それに比べてあなたは、あなたの生活はここ何年も同じところを行ったり来たりするばかりで、何1つ何1つ実になるようなことを生み出すこともなく、何1つ何1つ……」
それからメッセージは動画へと切り替わった。
彼女は以前よりも少し丸みを帯びていて、その頬にキスする相手の男も少しぽっちゃりした奴で、互いにキスを重ねる間に彼の頬にも彼女の口先から落ちた紅がありありと見え始めたのだった。視線を深く落としながら、けれども、その絵から目を離すことなく、僕は遠くへ遠くへと歩き続けた。
「私たちはしあわせです」