弾丸(3分切れ負け将棋)のよいところは、終わる時間が決まっていることだ。通信の遅れ等によって多少の誤差はあるとしても、6分あれば1局の将棋を楽しむことができる。隙間時間を利用したり、予め時間を決めて指すことができるのだ。その点で言うと、野球よりもサッカーに似ている。2時間あればサッカーをしようかという話はできるが、野球となるととても不安が大きい。1つのアウトが1球で取れる時もあるし、ボールボールで押し出し続きともなれば、それだけでいくら時間がかかるかわからない。
弾丸において時間が決まっているということは、時間も勝負に含まれているという意味だ。自分にしても敗戦の半分以上は、時間切れ負けかもしれない。必勝の将棋を、あるいはあと数手で詰んでいるのに、先に時間が切れて負けになる。それで何度くやしい思いをしただろう。しかし、そういう勝負/ゲームなのだ。
優勢を拡大し必勝形とも言える局面になれば勝利は近いと考えられるが、時間切れという要素があると勝敗は最後までわからない。
優勢 → 勝勢 → 寄り筋(即詰み)
という流れの他にも、
優勢 → 勝勢 → 時間切れ負け
というのも、案外お決まりのパターンなのだ。
「自陣飛車を警戒せよ」
30秒あれば何とか寄せ切れるだろう……。
そこになりふり構わないような粘りの手が出てきて、大慌てとなる。例えば、大きな駒損と引き替えに自玉の安全を得るような手。攻撃力を完全に手放して守備に埋めるような手。通常の(秒読みつきの)将棋なら、「それでは攻防共に見込みなし」と論外になるような手が、切れ負け将棋では、時間勝ちにかける勝負手となり得るのだ。(その際には、どれほど駒損しようが、形勢に差がつこうが、全く関係ないのだ)
定番の粘りの受けとしては「自陣飛車」だ。遠くから利いている角の守備力も侮れないが、自陣飛車も相当に強力だ。(金なし将棋に受け手なし)とも言われるが、最強の攻め駒である飛車は金にも似たとこがある。最後の受けの切り札としても出てくる筋だ。
(30秒あれば、寄せ切れる)
50手以上、手を進めることも、局面によっては可能だ。寄せが筋に入りさえすれば時間はいらない。詰み筋に入っていれば1手を1秒以内に指し続けることも可能だ。しかし、寄りが見えない局面では、(いくら局面が必勝であったとしても)そうはいかない。手の広い局面で、そこまで早指しを続けることは困難だ。寄せを見えなくして粘る価値はそこにもあると言える。
「時間勝ち狙いという戦術」
サッカーの試合で得点をリードしている方は、ゆっくり自陣でボールを回したり、コーナー付近でボールをキープして、そのまま逃げ切ろうとする場合がある。弾丸(切れ負け将棋)においては、時間でアドバンテージを取っている方が、そのまま戦い/手数を引き延ばして、逃げ切りを狙うこともあり得る。時間で負けている方は、敵玉を寄せ切らない限り勝ちがないが、時間で勝っている方は、自玉が詰みさえしなければ(何も起こらなければ)、判定勝ちに持ち込むことができるのだ。少しの差なら追い上げることも可能だが、大差になるとそれも難しくなる。
持ち時間に極端な差がついてしまうと、勝負に辛いプレイヤー(戦術的プレイヤー)は、時間勝負にシフトしてくる可能性がある。切り合わない、一切加速しない、寄せ合わない、自玉が寄らないことを最優先する、といった方針を徹底されると、時間がない方はだんだん追いつめられるはず。時間ははっきり決まっているのに対し、将棋は何手で終わるかはかなり不確かだからだ。(100手前後で決着するためには、互いがある程度は純粋に勝利を追求する必要がある)
「自分で考える訓練の時間」
将棋か、時間も含めた勝負か。弾丸において、どちらを取るかはそれぞれのウォーズの棋士のスタンスによるだろう。競技として見た場合、「時間」は間違いなく勝負の半分以上を占めると言える。それぞれ(3分)は考える時間としては、また1局の将棋を終わらせる時間としては、あまりに短い。常に将棋(即詰み)によって決着することは、(互いの波長がよほど合わなければ)ほとんど不可能だろう。
勝利を追求するためには、形勢のバランスを保ちつつも、時間でも相手のペースを意識していなければならない。仮に相手がノンストップで飛ばし続けてきたら、自分も引き離されないようにする必要がある。
とは言え、将棋は考えるゲームである。将棋を好きな人の多くは、考えることも好きなのではないだろうか。
「考えたければ15分で指せば?」
と言う声には一理ある。
しかし、それでは局数がこなせなくなってしまう。多くの人は自分が困った時には考えたいけれど、相手が考えている時間は退屈なのではないだろうか。(どこで何を考えるべきかも難しい)
弾丸においても、ここぞという局面ではちゃんと考える。それも大いにありではないかと思う。今は何でもすぐにAIに聞いてしまう時代である。答えだけを知ろうとするのではなく、自分の頭で考えてみる。切迫した局面で集中して考えることは、自力をつけるよい訓練になるはずだ。自分で悩み、そこで間違えても、悩んだだけ得るものも大きい。時間切れで負けたとしても、考えた時間は無駄にならない。考えるプロセス(悩む→間違える→振り返る→修正する)によって、将棋の理解は深まっていくのではないだろうか。
早指しだけを意識する(極める)ことも難しい。(無茶苦茶指してたまに勝てたり楽しかったりもするが、デタラメなだけでつまらなくなるかもしれない)
それよりも純粋に将棋が強くなる方に目を向けたらいい。将棋が強くなれば感覚や大局観が明るくなって、考える時間を飛ばせるようになる。「早指し」は後から自然についてくるのだ。本当に将棋が強い人は、だいたい早指しだって強いではないか。