眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ファイト・バンク

2023-09-29 23:06:00 | リトル・メルヘン
 昔々、あるところに危険なおじいさんがいました。喫茶店、大衆食堂、映画館、遊園地、コンビニ、スーパー、ファミレス、公園、図書館、美術館、書店。ありとあらゆる場所で、おじいさんは危険人物に指定されていました。
 ある日のこと、おじいさんは鈍器のようなものを持って銀行を訪れました。

「金を出せ!」

 おじいさんが凄みのある声で行員を脅します。すると奥から鈍器のようなものを持った支店長が現れました。

「帰れー!」

「金を出せ!」

「とっとと帰れー!」

「とっとと金を出せ!」

「はよ帰れー!」

「金が先だ!」

「帰れー!」

「金を出せ!」

「もう帰れー!」

「金出せ!」

 しばらく押し問答のようなやりとりが続きました。しかし、しびれを切らしたおじいさんが鈍器のようなものを振り上げました。するとすかさず支店長も鈍器のようなものを振り上げて応戦します。鈍器のようなものと鈍器のようなものがぶつかる鈍い音が、不快なノイズとなって通常の業務に重大なストレスを加え、皆の迷惑となっていました。

「帰れよー!」

「金を出せ!」

 おじいさんが振り上げた鈍器のようなものの攻撃は、支店長が構える鈍器のようなものによって完全に吸収されてしまいます。これでは何度やってもまるで効果がありません。危険なおじいさんは脳をフル回転させると形勢が互角であることを判断しました。そして、行き止まりのような現状を何とか打破するために、自ら鈍器のようなものを床に置きました。するとすかさず支店長も、鈍器のようなものを床に置きました。けれども、それは戦いの終わりではありませんでした。なぜなら、危険なおじいさんの手には元から最も危険な武器が備わっていたからでした。おじいさんは、その手をぎゅっと閉じて握り拳を作り出しました。

「金を出せ!」
 おじいさんの振り上げた握り拳が、支店長に襲いかかります。
「家に帰れー!」
 支店長も負けじと握り拳を作って応戦しました。

 ホイ♪ ホイ♪ ホイ♪ ハッ♪
 ホイ♪ ホイ♪ ホイ♪ ハッ♪
 ホイ♪ ホイ♪ ホイ♪ ハッ♪
 武器を持たない男と男の真剣勝負が続きました。

「金を出せ!」

「家に帰れー!」

「帰っても何もない!」

「私は知らない!」

「金だ!金だ!金だ! この世はみんな金なんだ!」

「うるさい!」

「金を出しやがれー!」

 ついにおじいさんの必殺の一撃が決まると支店長を打ちのめしました。おじいさんの大勝利です。戦に敗れた支店長は翌週には遠方への出向が命じられました。見事勝利したおじいさんにはその功績を称え一日支店長のポストと多額のファイト・マネーが与えられました。
 めでたし、めでたし。

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求人サイトのミスマッチ

2023-09-28 23:47:00 | いずれ日記
 まつりか……。夏は終わったみたいだけどまあいいか。夏の終わりに僕はまたインディードから応募したのではなかったのか。何かまつりに関連する企業のようだった。3日くらいして企業からメールが届いたのではなかったか。

「専用フォームより送信してください」

 そこで僕は様々な個人情報を入力した。何かが欠けていると次へ進むことはできない。確かそんなフォームではなかったか。最後に面接の希望日を3日ばかり入力して送信したのではなかったか。

「選考の結果を連絡します」

 面接の前に選考か。僕はそう思ったのではなかったか。それっきり、企業からの返信は途絶えた。僕は応募ページに戻り企業名を確かめた。ホームページに行って連絡先を確認した。そこに電話番号は存在しない。コンタクトするには、専用フォームから送信しなければならない。面倒くさくなって、僕はそこであきらめたのではなかったか。電話は効率がわるい。リアルタイムで対応しなければならないし、長電話になる可能性もある。そんなところを突き詰めて、テクノロジーに特化した。そんな企業ではなかったか。

 求人サイトには、様々な企業、情報があふれている。名前は違っても、元は同じ企業であるということもある。事務所も電話も存在しない。中にはそんな企業もあるだろう。電話番号と担当者の個人名が掲載されている。そんなところなら、すれ違いになることも少ないかもしれない。いずれにしろ、多く経験することも必要だ。僕はそのように思いながら日記をつけたのではなかったか。
 そうして忘れた頃に、メールの返信がきたのではなかったか。夏はまだ終わっていなかった。10月の暦には、面接の予定が毎週のように入ったのではなかったか。そろそろ長袖の準備も必要かな。僕はそんなことも思ったのではなかったか。

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何もしなくていいんだよ

2023-09-21 03:17:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「ここは何かいい手がありそうだ。何かよくなる順があるのでは?」

 そこで手を止めて考える。少し考えてみても、ぱっとした手が浮かばない。焦った末に冷静にみればとても自信の持てない順に飛び込んで、勝手に転ぶ。相手は手に乗っているだけでよくなる。(つまりは完全なお手伝い)いっそ何もしない方がましだったということはよくある。だが、何もしないことは案外に難しい。「いい手を指さないと」という強迫観念、気負いのようなものが、払い切れないからだ。

「将棋には何も指さない方がよい局面がある」

 そうしたことを知っておくのも大事なことの1つだ。相手から次に厳しい手がなければ、慌てることもない。何かいい手を見つけようとするのではなく、逆に何もしなければ何かあるのかと考えてみる。「何もしなくても大したことはない」また、そうした余裕を持って局面を眺めることができれば、陣形を整えたり、ゆっくりと遊び駒を活用したり、落ち着いた手を発見できるものだ。(いい手ばかりは続かない)



「何もしないのが難しいのは社会的背景にもよる」

 ちゃんとしろ、しっかりしろ、真面目にしろ。もしも、幼い頃から、そういうことばかり繰り返し言われ続けていたとしたら、大人になっても引きずってしまう。しろしろという(あおり)が脳裏から離れないのだ。何をどうすべきかはやたらと教え込まれるが、何もしなくていいとはあまり教えてくれない。
 あるいは大人になっても、話はあまり変わらないのかもしれない。お前ぼーっとしてる暇があったらちゃんと働け。無駄なく計画的に動きなさい。かけがえのない人生だから何かしなくちゃ。趣味くらい見つけないと。貴重な手番を生かさなきゃ。そうした周囲にあふれる声や環境が、何もしないことを難しくしてしまうのだ。そこまでして頑張らなきゃならないのは、いったい誰のためなのだろう。

 常に何かをしてないといけない。そんな固定観念に締めつけられて苦しい時には、人から離れて窓辺の猫と寄り添ってみるのもいいだろう。ぼんやりと窓の外を眺めている内に、何かよいことが閃いたりするものだ。

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この街のエメラルドグリーン

2023-09-20 22:58:00 | アクロスティック・ライフ
この街の治安やたら不安
泥棒がよく出る
物取りが大手を振って歩いてる
飲み屋ではビール瓶で殴り合っている
ひったくり注意!


個室から大広場まで
どこでも警戒中
もれなく皆がだまし合う街
罵り合うが日常コミュニケーション
平台にあふれる盗品が展示中


根本から不安な街
逃亡者が逃げ隠れる街
「もぬけの殻か……」
乗り込んだ刑事いつも手遅れ
引っ越し先ワースト1


この街の野球チーム
どいつもこいつもならず者
ものは学ぶよりも盗め
ノーサインでも進塁を狙う
ヒットマンは指名手配中


この街のサッカーチーム
ドリブルはみんな下手くそ
持っているのは面倒だ
ノールックでキラーパス
必殺カラテカフォーメーション


好意の裏には悪意しかない
泥団子が土産物屋に並ぶ
モザイクなしでは語れない
乗り場に張り付く警備員
秘密を探れば消されてしまう


木の葉を見ても疑心暗鬼
戸締まりしても気が休まらない
諸々の無計画が横行して
ノーマネーで牛めしを食う
非常識がまかり通る


この街に古くからある
ドライブインが妖精たちのたまり場
「もう1曲選んでくれる?」
飲みかけのクリームソーダに
陽が射し込んでエメラルドグリーン

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自然消滅(ああ、やっぱりそういうことね)

2023-09-19 01:50:00 | いずれ日記
「選考の後、採用の場合は電話にてお知らせさせていただきます」
(あれっ? 電話番号は? あー、これか。ではこちらの方へ)

 彼女がそう言っていたのは、確か先週の今日か明日か……。担当者は前の人ではなかったようだ。春にも落ちていたから、どうせ駄目だと思っていた。あまり期待はしていなかったのだ。しかし、(前もそうだったけど)話をした感触から、何か少し楽観している、望みを抱いている自分も、少しはいたのだろう。早々に返事がない場合はだいたい駄目。週を明けて返事がなければ、ほとんど駄目。そして、火曜日、水曜日。はずれくじを握りしめながらどこかでまだ逆転を待っているような自分。最初からわかっていたことも、現実として受け止めるのはまた別だ。選考は本当に存在するのか。本当に人を募ってはいるのか。

 企業によっては、採用不採用に関わらず連絡し、中にはご丁寧にその根拠にまで踏み込んで説明するところもあるらしい。あなたはどちらのタイプが好みだろうか。採用時のみ連絡という方が、合理的ではある。だが、何かもやもやとする。恋愛や友人関係が自然消滅していく時のような、緩やかな傷つき方をする。(ああ、やっぱりそういうことなのだ)相手は何も言わないので、自分の中で納得していく過程は切なくもあるだろう。合理的というなら、本当はその場で答えが出ているのなら、僕はその場ではっきり言ってもらっても構わない。

「お前なんかいらねえよ! とっとと帰れ!」

 中にはそういう尖った企業もあるかもしれない。
 いずれにしろ、僕はまた何かを探さねばならない。人でも会社でも、出会いというのはタイミング次第なのだ。歩みを止めない限り、世界のどこかにはきっとまだ希望はあると信じられる。

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早指しの極意(時間がないけど考えたい人)

2023-09-16 09:11:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 弾丸(3分切れ負け将棋)のよいところは、終わる時間が決まっていることだ。通信の遅れ等によって多少の誤差はあるとしても、6分あれば1局の将棋を楽しむことができる。隙間時間を利用したり、予め時間を決めて指すことができるのだ。その点で言うと、野球よりもサッカーに似ている。2時間あればサッカーをしようかという話はできるが、野球となるととても不安が大きい。1つのアウトが1球で取れる時もあるし、ボールボールで押し出し続きともなれば、それだけでいくら時間がかかるかわからない。

 弾丸において時間が決まっているということは、時間も勝負に含まれているという意味だ。自分にしても敗戦の半分以上は、時間切れ負けかもしれない。必勝の将棋を、あるいはあと数手で詰んでいるのに、先に時間が切れて負けになる。それで何度くやしい思いをしただろう。しかし、そういう勝負/ゲームなのだ。
 優勢を拡大し必勝形とも言える局面になれば勝利は近いと考えられるが、時間切れという要素があると勝敗は最後までわからない。
 優勢 → 勝勢 → 寄り筋(即詰み)
 という流れの他にも、
 優勢 → 勝勢 → 時間切れ負け
 というのも、案外お決まりのパターンなのだ。


「自陣飛車を警戒せよ」

 30秒あれば何とか寄せ切れるだろう……。
 そこになりふり構わないような粘りの手が出てきて、大慌てとなる。例えば、大きな駒損と引き替えに自玉の安全を得るような手。攻撃力を完全に手放して守備に埋めるような手。通常の(秒読みつきの)将棋なら、「それでは攻防共に見込みなし」と論外になるような手が、切れ負け将棋では、時間勝ちにかける勝負手となり得るのだ。(その際には、どれほど駒損しようが、形勢に差がつこうが、全く関係ないのだ)
 定番の粘りの受けとしては「自陣飛車」だ。遠くから利いている角の守備力も侮れないが、自陣飛車も相当に強力だ。(金なし将棋に受け手なし)とも言われるが、最強の攻め駒である飛車は金にも似たとこがある。最後の受けの切り札としても出てくる筋だ。
(30秒あれば、寄せ切れる)
 50手以上、手を進めることも、局面によっては可能だ。寄せが筋に入りさえすれば時間はいらない。詰み筋に入っていれば1手を1秒以内に指し続けることも可能だ。しかし、寄りが見えない局面では、(いくら局面が必勝であったとしても)そうはいかない。手の広い局面で、そこまで早指しを続けることは困難だ。寄せを見えなくして粘る価値はそこにもあると言える。


「時間勝ち狙いという戦術」

 サッカーの試合で得点をリードしている方は、ゆっくり自陣でボールを回したり、コーナー付近でボールをキープして、そのまま逃げ切ろうとする場合がある。弾丸(切れ負け将棋)においては、時間でアドバンテージを取っている方が、そのまま戦い/手数を引き延ばして、逃げ切りを狙うこともあり得る。時間で負けている方は、敵玉を寄せ切らない限り勝ちがないが、時間で勝っている方は、自玉が詰みさえしなければ(何も起こらなければ)、判定勝ちに持ち込むことができるのだ。少しの差なら追い上げることも可能だが、大差になるとそれも難しくなる。
 持ち時間に極端な差がついてしまうと、勝負に辛いプレイヤー(戦術的プレイヤー)は、時間勝負にシフトしてくる可能性がある。切り合わない、一切加速しない、寄せ合わない、自玉が寄らないことを最優先する、といった方針を徹底されると、時間がない方はだんだん追いつめられるはず。時間ははっきり決まっているのに対し、将棋は何手で終わるかはかなり不確かだからだ。(100手前後で決着するためには、互いがある程度は純粋に勝利を追求する必要がある)


「自分で考える訓練の時間」

 将棋か、時間も含めた勝負か。弾丸において、どちらを取るかはそれぞれのウォーズの棋士のスタンスによるだろう。競技として見た場合、「時間」は間違いなく勝負の半分以上を占めると言える。それぞれ(3分)は考える時間としては、また1局の将棋を終わらせる時間としては、あまりに短い。常に将棋(即詰み)によって決着することは、(互いの波長がよほど合わなければ)ほとんど不可能だろう。
 勝利を追求するためには、形勢のバランスを保ちつつも、時間でも相手のペースを意識していなければならない。仮に相手がノンストップで飛ばし続けてきたら、自分も引き離されないようにする必要がある。
 とは言え、将棋は考えるゲームである。将棋を好きな人の多くは、考えることも好きなのではないだろうか。

「考えたければ15分で指せば?」
 と言う声には一理ある。

 しかし、それでは局数がこなせなくなってしまう。多くの人は自分が困った時には考えたいけれど、相手が考えている時間は退屈なのではないだろうか。(どこで何を考えるべきかも難しい)
 弾丸においても、ここぞという局面ではちゃんと考える。それも大いにありではないかと思う。今は何でもすぐにAIに聞いてしまう時代である。答えだけを知ろうとするのではなく、自分の頭で考えてみる。切迫した局面で集中して考えることは、自力をつけるよい訓練になるはずだ。自分で悩み、そこで間違えても、悩んだだけ得るものも大きい。時間切れで負けたとしても、考えた時間は無駄にならない。考えるプロセス(悩む→間違える→振り返る→修正する)によって、将棋の理解は深まっていくのではないだろうか。

 早指しだけを意識する(極める)ことも難しい。(無茶苦茶指してたまに勝てたり楽しかったりもするが、デタラメなだけでつまらなくなるかもしれない)
 それよりも純粋に将棋が強くなる方に目を向けたらいい。将棋が強くなれば感覚や大局観が明るくなって、考える時間を飛ばせるようになる。「早指し」は後から自然についてくるのだ。本当に将棋が強い人は、だいたい早指しだって強いではないか。

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何もしない男

2023-09-14 02:39:00 | リトル・メルヘン
 昔々、あるところに何もしていない男がいました。何をしていいかわからないまま時間ばかりがすぎていきました。男は徐々に何もしていないことに焦りを覚え、きっとあるところには何かがあるはずだと思ったりしました。何かとは何だろうか。とは言えこうなったからにはしかたがない。こうなったからには……。しかし、どうにもなっていない。どうなることもないこと、どうにもならないこと、どうしようもないこと、そうした言葉の整理に疲れ果てた頃、男は閉じこもっていた家を出て隣人をたずねることにしました。
 隣人をたずねてみたところ、そこには何もしていない人がいました。
 何もしていない!
 男は驚きを隠せないまま勢いその隣の家をたずねると、そこにもまた何もしていない人がいたのでした。
 何もしていない!
 男は素朴な発見に興奮して、次々と隣の家をたずねてまわり、その度に何もしていない人々を目にしたのでした。

「何だこんなものか」
 世界はまだ動き始めてもいない。
 そう思えた時、男は不思議と落ち着きを取り戻し、軽い足取りで家に帰って行きました。
 めでたし、めでたし。

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カフェという名の逃亡先(夏の決断)

2023-09-13 18:43:00 | コーヒー・タイム
 コーヒーはおうちでも飲める。なぜ、カフェなのか? カフェに行くのは必然なのか? そんな疑問を持ち始めたきっかけは、夏の「どの店に行っても寒すぎる」問題だった。
 入った瞬間は確かに心地よい。15分で帰るなら何の不満もないはずだ。だが、1時間、2時間と本格的に腰を落ち着けて「ゆっくりする」となると話は変わる。店に行くと「ごゆっくりどうぞ」的なことを言って歓迎される。だが、ふと壁を見ると「長居は無用」的なことも書いてある。本当はどうしてほしいのだ? 
 僕はコーヒーを飲みながら考え事を始め、集中力が切れるまでゆっくりしていることが多い。(だいたい90分以上は続くと思う)だいたい途中で寒くなってくる。酷い場合には震えるほどだ。そこで夏の寒さ対策として鞄に防寒ウェアを用意している。しかし、本当に寒い店では、厚着をしてもなおごまかし切れない寒さであることもある。これは大変苦痛だ。集中の妨げにもなる。寒いからといって、真冬のようなかっこうをしているのも、違和感はある。

「何が楽しくてこんなことを?」

 安くもないコーヒー代を払って寒さにじっと耐え続ける時間。流石にこれは馬鹿らしい。ようやく僕は考え始めた。随分と時間がかかってしまったが、気づいた以上はちゃんと考えないわけにはいかない。



「テーブルを求めて」

 カフェに行くのは、集中できるテーブルが欲しいからだ。適度な刺激と喧噪、緊張感を求めるからだ。「なぜ自分の部屋では駄目なのか?」種々の誘惑に勝つ自信がない。自分独りで行き詰まってしまうことが怖い。要するにカフェは、そんな弱い自分の逃亡先ではなかったのか? 部屋から逃げ出し、時間をかけて歩き、たどり着いた達成感を求めた。ついでに立ち寄るだけでなく、自宅から出かけて往復2時間もの道を歩いてカフェに向かったこともあっただろう。(真夏の道は厳しい暑さで、たどり着いた店は最初心地よくやがて極寒となる。寒暖差にも泣かされた)せめて、片道だけでもどこでもドアやルーラが使えたらと思った日もあった。ともかく店のエアコンは自分の好きにコントロールできない。なぜなら、店は自分の部屋ではないからだ。



「マイ・デスクを片づけよう!」

 何も置いていないデスク。それこそが必要なものだ。部屋にもデスクはあったのだが、いつ頃からか完全な物置になり、あってないようなものになってしまっていたのだ。デスクの乱れは心の乱れでもあったのだろう。そこから整理しないことには始まらない。デスクを一旦更地にする。大事なものは移動して、わけのわからないものは処分するのだ。ドリンク、ポメラ、ボールペン、メモ帳、スマートフォーン。これで十分ごちゃごちゃとするのだから、最初は何もないのが基本だ。何もないデスクは、何とも心地よい。何かを生み出せる可能性しかない。

 自分の部屋なら、当然エアコンのコントロールは自在だ。コーヒーのおかわりは自由。氷はいくらでも足すことができる。ホットでもアイスでも、タンブラーに入れれば温度を保つことも楽勝だ。何より安上がりで経済的。気分転換を図るのも自由。行き詰まったら踊り始めても、誰の迷惑にもならない。カフェにない長所は、数え切れないほどあることを発見した。適度な喧噪、緊張感は望めない。集中力をどこまで保てるかは未知数だ。だが、結局それも自分次第ではないか。少なくとも夏が終わったと言えるくらいまで、「もっと部屋にいよう」と今の僕は考え始めたところだ。

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無茶苦茶将棋 ~「世界観の勝利者」

2023-09-13 02:38:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 悪手は悪い手だ。勿論、棋理の上では当然そうだ。
 だが、実戦においては悪手が好手に転じることなどいくらでもある。(特に時間の短い)人間同士の勝負では、純粋な棋理(理屈)を超えて、自分を勢いづかせる手や相手の意表を突く手が、大いに有効になるのだ。

「何だ、その手は?」

 読みにない手によって相手のリズムを狂わせたり、メンタルを揺さぶったり、時間を使わせたりできるのは大きなポイントだ。

「その手なら、何か咎める手があるのでは?」

 咎め切れない場合は、悪手もだいたい好手に化ける。(無理も通れば道理が引っ込むというわけだ)実際の話、意表を突かれながら即座に正確に対応するというのは簡単ではない。

「咎め切れないだろう」(本来悪手だとしても)

 それを見越した上での悪手は、戦術的な勝負手としても使えるのだ。評価値が振れるとか、そんなことは全く関係がない。戦っている人間が、どう感じているかの方が、より重要だ。勝負強い人ほど、そういう駆け引きにも長けているのではないだろうか。


「無茶苦茶な手で負けた」

 棋理に背くようなデタラメな手で負けた後は、そうぼやきたくもなる。だが、それはよくあることだし、自分の方も無茶苦茶な手をいっぱい指しているのだ。


 人間の将棋においては、指し手の善悪、AIが指すところの評価値の他に、指し手の好み(好き嫌い)、難易度、自分の棋風・ペース(世界観)といった要素が大きく影響するのではないか。例えば、形勢はやや不利でありながら振り飛車ペースとか、実戦的に勝ちやすいといったニュアンスで語られることが多々ある。評価値がいくらプラスでも、自陣に飛車が封じ込まれている形より、評価値が多少マイナスでも敵陣に竜をつくって攻めを狙える形の方が、好き(うれしい、自信が持てる、テンションが上がる)という人は多いのではないだろうか。また、そうした自分の好きな形・展開に持ち込めることによって、より自分の力を出しやすいのではないだろうか。攻めが得意だという人は、多少無理気味でもいいから、自分が先攻できる形に持ち込んだ方がペースをつかみやすいだろう。

 形勢がいいと言っても「どう指していいかわからない」ような局面で力を出すことは困難だ。(時間を使わないことも難しい)多少局面が悪くても方針が決まっていれば、迷わずに済む。終盤戦では、攻めか受けか一方だけ考えることは容易でも、攻めたり受けたり(詰ましたり詰まされたり)を同時に処理するとなると極端に難易度が上がる。苦しい時には、相手にそうした負担を強いることも勝負の上では重要だろう。AI的に99%勝勢だとしても、その根拠が自分には到底読み切れない長手数の即詰み故だとしたら、その勝勢は無意味に等しい。

 人間は自分の「好きなこと」をやっている時の方が生き生きとする。
(好きこそものの上手なれ)
 好きなもの、夢中になれるものを見つけられることは幸福だ。好きで生き生きとしていれば、上手くもなるだろう。世界の中で将棋を見つけられたように、将棋の中で更に好きなものを見つけ出せた時、あなたはもっと強い世界観を手に入れることだろう。

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図書館みたいな場所にいた

2023-09-12 16:30:00 | アクロスティック・ライフ
こう言ったら何だけど
図書館みたいなところだな
物思いに耽る人
糊付けに励む人
人知れず打ち込む人


コツコツと続ける人
読書に耽る人
黙々とこなしている人
のんびりと過ごす人
昼寝の真っ直中の人


コナンを読む人
時の経つのを忘れた人
森を読む人
ノートを広げた人
額に手を当てた人


公園にいられなかった人
鳥になりたい人
モールを抜けてきた人
ノマドのような人
日陰を好む人


腰の重い人
トークが苦手な人
物語を好む人
のど飴をたくさん持った人
ひそひそと明かす人


恋に疲れた人
鳥のようになりたい人
もっとあると考えた人
のけものにされた人
久々に目覚めた人


米粒に記す人
登山帰りの人
毛布に巻かれた人
ノヴァーリスを開く人
肘を抱えたままの人


虚空の中から無数の分岐がみえて
図書館みたいなところだった
もうどれくらいここにいるだろう?
乗り遅れたから順調でなかったから
漂着することになったのだ


コッペパンを愛する人
鳥になりたいような人
木琴をまっすぐ背負った人
ノックするドアを探す人
独りになれた人

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夜逃げバス

2023-09-12 03:47:00 | ナノノベル
 太陽に見つかる前に。こっそりと迅速に抜かりなく、私たちは逃げ出す。誰も置いていかない。奴らが来た時には、もぬけの殻だ。絶対にバラバラになったりしない。私たちはどこに行っても、上手く溶け込んでみせるだろう。
 運転席のボスが順に皆の着席を確かめる。

ばあちゃん「はーい」
タク「はい」
チビ「わん」
ミー「ヒヒーン」
チャコ「にゃあ」
ビット「にゃあ」
ピース「みゃあ」
船長「おー」
ドン「わん」
ピピ「にゃあ」
チップ「にゃあ」
ポー「みゃあ」
ポメラ「ちっ」

よーし 出発!

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よくなりすぎて勝てない? (メンタルがぶれる)

2023-09-11 21:06:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 序盤早々に銀得を果たす。どう考えても「うっかり」に違いない。気の早い人ならば、また普通の時間の将棋なら、投了しておかしくない。
 しかし、相手には全くその気もないらしい。その時、あなたはどんな感じを持つだろうか。


・投げない相手への恐怖、不信感

 どうして平気で指しているのだろう。
 もしかして、自分は弱いと思われているのでは?
 そういうちょっとした心の揺れが、指し手に影響することもある。


・気が抜けてしまう

 これならどうやっても勝てる。これくらいでもいいだろう。いくら形勢が大差でも、楽観しすぎてよいことはない。銀得くらいでは、どうやってもいいとはならない。


・プレッシャーがかかる

 この将棋は、絶対に負けられない。
 形勢がよくなった時に、過剰なプレッシャーを背負ってしまう。実は、弾丸(3分切れ負け)では、よくなって負けることも多いのだ。悪い方は負けても元々なので無茶苦茶指してくる。(それはそれで怖い相手だ)絶対などということはなく、まだまだ大変くらいに思っているくらいがいい。
「金持ち喧嘩せず」という格言も忘れた方がいい。大事にしたいと思いすぎることで、思い切りを失い、守勢に偏る。慎重になるあまり妥協を重ね、ポイントを与える。気持ちが守りに入ると視野が狭くなり、攻める手が指せなかったり、ミスも出やすくなる。無理せずリードを保ちたいと考え、最善を追究する姿勢が崩れる。迷い、震え、決断が鈍って時間を使いすぎてしまう。要するに、いつもの自分でいられなくなる。
 いつも伸び伸びと指して好きなように攻めていく気風の人が、突然守りに入っては、自分のよいところが少しも出ない。そうなっては、勝てる将棋も勝てないだろう。


・ちゃんと勝つことは難しい

 いい手なんか1つもなく、全く勝ち目のないような将棋を指すのは、正直つまらなくもある。だが、勝負の上ではそれも正しいとは言える。自らは積極的によくする手が全くなくても、相手が勝手に間違えてチャンスが巡ってくることもあるからだ。ミスをしない人間はいないし、悪手は山ほど転がっている。(時には、ほぼすべての手が悪手だ)
 将棋は逆転のゲームとも言われ、弾丸のような極端に短時間の試合形式では、その傾向はより顕著に表れると考えられる。

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覚えていますか?

2023-09-10 16:05:00 | いずれ日記
 夏の終わりに、新しい仕事に応募した。インディードからの返信に、僕は驚いた。応募した先と違うぞ。どうやら運営元の会社が、あの会社のようだ。募集ページではそこは伏せられていただけだ。世の中は狭いものだ。あるいは、例の運営会社が手広いと言うべきか。僕はバーチャルレストランの存在を思い出していた。メニューは全然違っても、作っているとこは案外同じだったり、そんなことはよくあった。
 いずれにしろ、明日はあのビルの6階のドアを訪ねることになった。

(約束したからもう仕方がない)

 担当者は春に会った人と同じだろうか。
 どうせまた落とされる。そう思えて少し気が乗らない。

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空白の一日 ~今日は泥棒を追いかけなかった

2023-09-08 17:34:00 | アクロスティック・ライフ
コーヒーを飲まなかった
ドーナッツを食べなかった
ものまねをしなかった
農作業をしなかった
雛壇にいなかった


小鳥をみなかった
ドッジボールをしなかった
物語性に欠けていた
乗り物に乗らなかった
冷や麦を食べなかった


怖い話を聞かなかった
透明人間にならなかった
文字起こしをしなかった
のど飴をもらわなかった
ヒップホップをきかなかった


小松菜を食べなかった
図書館に行かなかった
持ち物検査されなかった
乗り物酔いしなかった
羊に追われなかった


恋をしなかった
ドーナッツ屋の前を通った
モップをかけなかった
ノイアーになれなかった
飛車を切らなかった


コートに立たなかった
泥団子を作らなかった
桃太郎を読まなかった
海苔茶漬けにしなかった
飛行機雲をみなかった


公共交通機関を使わなかった
トリートメントしなかった
戻りオフサイドをとられなかった
野沢菜を食べなかった
日傘をささなかった


こんな一日はまるで
ドーナッツのように詩的
もしも明日が変わらないなら
ノートにまた日常を綴ろう
日々がいつまでも繰り返しますように

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八百屋さんへ行こう!

2023-09-07 15:30:00 | いずれ日記
 本を手にしたい時には、本屋さんへ。コーヒーが飲みたい時には、カフェへ。では、野菜が欲しい時には? 何の疑いも持たず、僕はずっとスーパーに足を運んでいた。(本当に何も疑わなかった)だが、今日になって僕は目覚めた。随分と時間はかかってしまったけれど、目覚めることはよいことだ。これをきっかけに、もっともっと色んなことに目覚め始めるかもしれない。当たり前だった日常に一筋の光が射した。光は大通りを逸れて、少し寂れかけた商店街の方へ伸びる。すっかり忘れていたのは、八百屋さんという存在だった。

 今までずっと長いものに巻かれていたのだろうか。なぜ、スーパーだけにとらわれていたのだろうか。スーパーを過信しすぎてはいなかったか。反省の意を込めて、スーパーについて考え、また八百屋さんについても考えてみたいと思う。

 スーパーには、様々なストレスや危険も待ち受けているようだ。だいたいのスーパーは入り口が自動ドアになっていて、外部と完全に遮断されている。中に入ろうとすると、出てくる人とぶつかりそうになることも多々あるのではないか。一方、八百屋さんの多くは通りに面していて、だいたいはオープンになっていることが多い。店に入るまでもなく野菜に近づくことができるのはうれしい。

 スーパーは店が広いだけあって、客も多い。(時には多すぎる)密閉された空間に効ききずぎた冷房は、体にわるい。人が多い分、身動きも取り辛く思うように買い物が捗らない。歩く内に迷ってしまったり、歩き疲れてしまうこともある。時間帯によっては、レジには長蛇の列ができてしまう。八百屋さんなら、時間帯によっては貸し切りだ。列に並ぶようなことはほとんどなく、店主に直接お金を渡すこともできるだろう。

 レジに並んでいる間に余計な物まで買ってしまうという人も多いのではないか。それもスーパーが仕掛けた罠の一部である。色んなものを(ついでに/何となく)買ってもらおうとするのが、スーパーなのだ。コーヒーの近くには、シュガーやミルクが置いてある。うどんの近くには、天ぷらやきつねが置いてある。何でもあるというのは、便利な半面、危険でもある。もはやあきれるほどに価格が上がっていくこんな時代だからこそ、本当に欲しいものだけを買うべきではないか。その点、八百屋さんなら心配はいらない。八百屋さんには野菜がある。あるのは主に野菜だけだ。

 スーパーは賑やかで楽しいという人もいるかもしれない。「いらっしゃい! いらっしゃい!」確かに、威勢のいいスーパーもあるだろう。だが、その声は本当に生の声か。天棚の上にあるCDが回っているだけということもある。「いらっしゃいませ!」その言葉は、果たして本心なのか。実際には、マニュアルを読んでいるだけということも多い。八百屋さんは違う。「いらっしゃい!」店主は心より客を歓迎していることがわかる。

 スーパーは安いとチラシを見て思い込んでいる人も多い。だが、価格は二重表示になっていることも多く、安いと思わせたい方が大文字になっている。とても良心的とは言えない。一方、八百屋さんではラップの上に230円と貼られていたら、だいたいそのままだ。つまり明瞭会計だ。余計な物を買ってしまうリスクがないのも安心である。

 大きいスーパーの方が安全・安心だと考える人もいるかもしれない。だが、それは幻想かもしれない。スーパーの品質管理はある程度徹底されてはいるが、業務に携わっている人数が多いことも厄介であり、決して完璧ではない。陳列棚を掘り返せば、期限切れの商品がみつかることも珍しくはないのだ。野菜の鮮度はどうか? 品数が多いほど管理するのも大変だ。責任者は誰だ? チーフは誰だ? 店長は忙しい。(いったい店長はどこにいるのだ?)野菜だけを見てはいられない。一方、八百屋さんなら心配はいらない。店主はいつでも野菜に向いている。「いらっしゃい!」そして、あなたが来ればあなたの方を向いてくれる。

 スーパーだけで何でも済ませればそれは楽だろう。八百屋さんに行ったり、パン屋さんに行ったりするのは、面倒かもしれない。しかし、面倒もまた「楽しい」と考え直すこともできるように思う。

 いずれにしろ、(あなたが行っても行かなくても)スーパーはびくともしないだろう。けれども、あなたの今日からの行動によって救われる八百屋さんはあるはず。よければ一緒に救う方に動きませんか。きっとあなたにもできますよ。

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