折句ラッシュ・クリスマス

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、縦読み
クジラうえリクエストした水族館マダイが歌うスローバラード、クリスマス

注入

2009-12-15 16:40:24 | 狂った記述他
------------空気注入無料。

「せっかくだから入れてもらう?」

風船猫は、少し萎みかけていたのだった。
身を低くして、じっと新しい空気が入ってゆくのを待った。
少しするともう風船猫は、ぽっちゃりと膨らんでいて心なしか顔色もよくなっているようだった。
口から息を大きく吐いて、自分の体に微調整を加えた。

「ただでありがとう」僕は、マスターに礼を言った。

「その言葉が、私の心に元気を注入しました」

「また来ます」

*

「死んだ利休が映っています」

「だったらそれは先週の分だろう」

「ちゃんと撮りましたよ」

「ならなんで利休が映ってるんだよ?」

*

はちみちとストローのつながりを買ったら、22円のお返しですと言いながら、手の上には220円が載っているものだから、驚いてしまった。
「違うんじゃ?」
数字が違うから、気がついたのではない。
僕は、最初より増えていたから、ただ驚いたのだった。

*

誰もいない交番に入って、風船猫と番をすることになった。
へそ曲がり交番には、ほとんど訪問者はなかった。
時々、散歩途中の犬が紛れ込んで帰り道を尋ねた。
時々、買い物帰りの主婦がやってきて、人生相談を求めた。
時々、宇宙人が侵入してきて、イデオロギーについて論じた。
時々、偽警官がずかずかと来て、なんだキミはと言った。
風船猫は、すっかりくたびれたようだった。
僕も少しつかれてしまった。

*

四捨五入を終えて、僕たちは夜の街へ繰り出した。
円周率はちょうど3を回ったところだった。
「冷たいビールあります」という紙と僕たちは目が合った。
こんなところにあったんだね……。

「あんたに飲ませるビールはないね!

それはあんたが猫だからだよ!

なんだって? なおさらないね!

風船猫だって? さらさらないね!

あんたらに飲ませるビールなんて!

一滴だって ありゃしない!

ひっくりかえっても やりゃしない!」

*

僕たちはゆっくりと萎んでいった。

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火星タイムスリップ

2009-12-11 14:27:48 | 狂った記述他
テーマはトカゲまたは自由だったが、未だに決まらない。
決めかねながら、僕は火星の参考書の場所を訊いたのだった。
男は、少々の間僕を待たせるだけにしたかと思うと、歩き出し、時々僕の方を振り返りながら森の奥に入っていったのだった。
「ここです」と言いながら、男の視点は定まってなく、手は正解を探して宙を彷徨っている。
何も言わずに、僕は別の場所を探し始めた。
本当のここはどこなんだ?

ここはプールだった。僕は集団を抜け出して、密かにラーメンを食べた。
戻るとプールに入った。それはキムチのプールだった。
「浅いじゃないですか」と先生に当然のことを言う。
浅すぎて泳ぐことができない。普通の方法では泳ぐことができないので、僕は普通以外の方法で泳がなければならないけれど、そうしているのはどうやら僕だけで、みんなどこかへ行ってしまっていた。
何もかもが分散化していく散文の中で、僕は面白いものに丸をつけなければならない。きっとそのような試みの後に、僕は己という秘密兵器に打ち負かされるのかもしれない。自分に負けることは、いずれにせよ勝った自分の味方につけばいいのだ、と悪魔の口づけをハーモニカの光沢でかわして。
努力に打たれた先生は、水位を上げてやると言った。
一握りのキムチをもらい、プールの中に投げ入れたが、水位は少しも上昇しなかった。
からっきしおかしく、到底届かないワイン塔が意識の中で傾いていく。
ラーメンを食べて帰ってきた生徒たちが、ジャンプ台の上で溶け出しながら馬になっていた。
けれども、誰も飛び立とうとはしなかったのだ。

カプサイシンに輝きながら、塩分だけを洗い落とした僕は探していた。
五十音を超越した場所に、ここがあるのだとしたら僕の探す場所はどれも間違っているような気がしたし、もっと根本的な間違いが僕を形作っているせいで、森の中での僕を夕闇の中の羽根にしているのかもしれなかった。
「ここです」と言った男は、星明りに手を触れながら、プラネタリウムを登り始めていた。
そんなところにあるものか……。
否定の表現が、やがて降りてくるまで僕はじっと待っていた。


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無人島に宅配ピザは届かない

2009-09-11 15:44:32 | 狂った記述他
自分の部屋という名の無人島で、私は息を潜めていた。
無人島なので誰もいなかった。誰も訪れなかった。誰からの連絡もなかった。
人の声は聴こえなかった。気配はまるで感じられなかった。
蝉が鳴いていた。鳩が騒いでいた。私が消えていた。

  *

私は、大きな夏の海に行った気になって日記を書いたけれど、全部消してしまったのだ。
また。 「またつまらないものを消してしまった」
無人島に、私の言葉だけが響く。
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ランナーズハイ

2009-09-08 22:01:28 | 狂った記述他
誠に勝手ながらドクター昼寝のため午後の診療はお休みさせていただきます



「昨日も休みだったぞ!」


ランナーは、足を止めて言った。


「申し訳ありません」
タロは起き上がって、頭を垂れた。
それからまた地面に伏せると、ゼエゼエと言いながら休んだ。
仕方がないもんだと言って、ランナーは診療所の周りを走り回った。グルグルとただ走った。太陽に引かれ導かれる地球のように、自然と幸運に恵まれた走りだった。
ランナーの腕の角度は、まるで帰宅途中のブーメランのように一定の形をしていた。
何周も走り内に、ランナーは診療所の前でタロと会うと、時折、まだですかと訊ねた。

「まだです」
タロは、その度起き上がって頭を垂れた。
それからまた地面に伏せると、ハアハアと言いながら休んだ。タロはとても疲れていた。
まるで疲れを知らないランナーは、ジンジンと走り続けた。ランナーの走りにつられて、天上の赤い天体はゆっくりと引っ張られていくようだった。リットンリットンとダイナミックに走るランナーを、道行く何人もの人が見かけ、その燃えるような走りにある人は手を伸ばそうとした。また、ある人は逃げるように遠ざかり、水を探しに行った。時折ランナーは、ひょっこりひょっこりと走ることもあった。それは自分で自分の走りを調節している時の走りだった。そうしてまたランナーは、走り続けた。ジッタリンジッタリンと走り診療所の前まで来ると、まだですかとタロに訊いたのだった。

「まだです」
タロは、起き上がって頭を垂れた。もう、太陽はどっぷりと落ちそうな色をしていた。
強い風が吹けば、間もなく落ちるだろう。タロは西に向かってほえた。




「私はいつも走っているのです」
走りを終えたランナーは、落ち着いた調子で話し始めた。
「私は、いつも、走っています。
先頭集団を築こうと必死になって、走ります。それで気がつくと、誰もついてきていない。
先生、私はどうすればいいでしょうか?」
タロは、ランナーの話を耳を立てて聞き取ると、ドクター・ミューに訳し伝えた。
白衣の猫は、長い眠りから覚めたせいで細い目をしていたが、それは徐々に丸みを帯び澄み切っていった。

「築くということは大変なことです」
ドクター・ミューは、ランナーの向こうの幻の集団を見ながら言った。
タロは、ドクターの言うように、ランナーに伝えた。
ランナーは、次の言葉を待つように右手で左の肘の辺りをさすっている。左手の甲から汗が数的落ちた。
診療室の狂った時計が、ようやく正午を回った。

「私も走りたくなりました!」
そう言うと、ドクター・猫は早速白衣を脱ぎ捨て、診療室の窓から跳び出していった。

「また行ってしまいました」
タロは、頭を垂れながら小さな声でつぶやいた。
「追いかけますか?」
それから、もっと小さな声でランナーに問いかけた。
ランナーは、腕組みをしたまま人形のように動かなかった。
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キャプテン・ハンモック

2009-09-03 20:40:13 | 狂った記述他
今日も一日中釣りをしていたが、何か引っかかるものがあり、そのせいもあってなかなか釣ることができないのだった。
海に出てから何日もが過ぎ、一日過ぎ行く毎に、陸上のすべてが遠のいてゆくようだった。
馬たちはまだ草原を駆けているのだろうか、ここでは緑色をしたものは、潮風を照らす太陽のためらいだけなのだ。
ためらうものは、すべてが滅びていくというのに、お腹がすいてしまい、海賊船が近づいてきたのだ。
いつの間にか、キャプテン・ハンモックがすぐ隣にいたのだった。


「ローテンションの一角を担ってほしいのだが」

「だけど、船長。私は野球などしたことがない」

「ここまで来たが、無駄足を踏んだようだな」
船長は地団駄を踏み、その音にシュモクザメが集まってきた。
海賊船から投げ込まれたトンカチを受け取って、私たちは次々とやってくるシュモクザメを叩くと、それらは小気味良い音を立てて、海面には鮮やかなオレンジの文字でヒット!が踊っているのだった。
もっともっとと海賊船の上から、海賊たちが旗を振りながら応援歌を歌っている。遠い海の懐かしいメロディー。きっと、その懐かしさに負けてシュモクザメたちは帰っていった。

「彼らはどこへ帰っていったのだろう?」
トンカチを、海に放り投げて、私は問うたが、船長は答えなかった。手にはまだトンカチを握り締めている。


「ありがとう! キャプテン・ハンモック」

またどこかで会うことがあるだろう。きっと、この広い海のどこかで。
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ゆずるの裏返し

2009-08-25 18:57:49 | 狂った記述他
「涙ばかりが出るよ。
それは、あくびばかり出ているせいでもあるが」
賢者は、言った。

「じゃんけんで譲り合っている人の話を聞いたことがあるかね?」

お先にどうぞ
そちらがどうぞ
あなたがどうぞ
いえいえどうぞ
そちらからどうぞ
いえいえそちらからどうぞ
いえいえどうぞそちらからどうぞ
いえいえそちらからどうぞそちらから
いえいえどうぞそちらからどうぞどうぞ

「というわけでね」
賢者は、お茶を口に含んだ。
茶柱が、一本立っていた。
おかげで、主題は茶柱に移る。

それでついにじゃんけんの話は聞けなかったのだが、別にどうでもいい。
話が途中で聞けなくなってしまうことは、よくあることだ。
気になるような気にならないような、無数にあるそういうものに含まれるもの。
最終回だけ、見逃したことはないのかい。


「黄金時代はあったのかい?」
ケルベロスが口ほどにものを言ってきた。
「誰の?」
「何が?」
「黄金時代」
「どうして?」
「キミが訊くから」
「何時代?」
「黄金」
「どんな色?」
「黄金」
「いい時代?」
「きっと」
「どうして?」
「知らない」
「知らないの?」
「知ってる」
「知ってるの?」
「知らない」
「知らないの?」
「何を?」
「黄金時代はあったのかい?」
「思い出したの?」
「思い出したの?」
「キミは?」
「キミは?」
「何を?」
「キミってへんなの!」
そう言って、ケルベロスは去って行った。


15年後。
賢者は、同じ話を始めた。その時は、忘れてしまっていたが、後になりそれが同じ話だったと思い出したのだった。
「というわけでね」
賢者は、お茶を口に含んだ。
茶面には、茶柱一本と立たない。
おかげで、主題はどこにも移らない。

「譲った方が勝ったのだよ。
 不思議なものでね」

「不思議でしょうか?」

「譲るのだよ」
賢者は言った。

「100歩譲る。500歩譲る。
いやいや。もっと譲ってごらん。
余裕ができるじゃないか。
2500歩譲ってみようかね。
そうすれば、私は死ぬかもしれない。
だけど、いつでもその覚悟はできているのだ。
譲る覚悟はできているのだ」
賢者は言った。



「いつも死ぬことを考えているのですか?」


「片隅に 留めているのだ」
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おやすみなさい

2009-08-20 16:00:16 | 狂った記述他
誠に勝手ながらドクター昼寝のため午後の診療はお休みさせていただきます


「昨日も休みだったじゃないか!」
貼り紙を見て、女は言った。

「いやいや、すみませんね。先生は一度寝るとなかなか起きませんで」
タロは、女を見上げながら詫びた。

「誠に勝手だね!」




夜になり、ドクター・ミューが目を覚ました頃、再び女はやってきた。
「さあ、どうぞ。お待たせしました」
タロが、女を招き入れた。

「それは、突然襲ってきて私を悩ませるんです」
タロは、女の言葉を聞いて、慎重に訳しながらドクターに伝えた。

「どんな時に、どんな風に襲ってくるのですか?」
白い服を着た白い猫は、訊いた。

「色々な時に、色々な風に襲ってきます。
ある朝突然に、ある晴れた昼下がりに、ある静かな夕暮れに、
椅子に座った時、深く身を預けた時、肘掛に肘を置いた時、背もたれが鳴くような時、
本を開いた時、本を探している時、本を閉じた時、本の間から何かが零れ落ちた時、
人とすれ違う時、人と言葉をかわす時、人の顔色を窺う時、人と触れ合う時、
空に雲が集まる時、地面に蟻が集まる時、会議室に論客が集まる時、
風がささやく時、花が歌う時、夜が静まり返る時、雨が踊り狂う時、
色んな場所で、色んな空間で、色んな舞台で、色んな台所で、
それは突然に、それは唐突に、あらゆる風に、あらゆるところから、
あるいはそれは、私の中から、現れては私を苦しめる。
私は苦しいです。先生」
タロは、床に目を伏せたまま、じっと女の話を聞いていた。
ドクター・ミューは、女の声に耳を貸しつつ、時折心配そうにタロの背中を見つめた。
話の要点を、ぎゅっと絞り込んでタロが訳すと、ドクターは何度も頷いた。

「色々だけに、対処はとても困難」
ドクター・ミューは、すっぱりと結論を出した。

「あれは、あったね」
ドクターに言われ、何かを探しに行ったタロはしばらく戻ってこなかった。

「まずはゆっくり休むこと」
猫は、言ったが、通訳犬が不在だったため、患者には伝わらなかった。
けれども、猫は一件落着と頷きながら両手を擦り合わせていた。

ようやくタロが戻ってきて、口にくわえたものを女に渡した。
「これは腹巻です。
眠る時にお腹に巻いてください。
まずはゆっくり休むようにとのことです」
女は、賢者から骨董品を受け取るようにして腹巻を受け取った。



「またのお越しをお待ちしてます!」
タロは、そう言ってほえた。
ドクター猫は、一仕事を終えて深い眠りに入った。
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アンニュイマイン

2009-08-05 12:43:03 | 狂った記述他

キリンは頭に熊をつけていたし、鹿は頭にライオンをつけていた。
体を優先するなら、キリンはキリンであり鹿は鹿らしかった。

「あんたら頭がおかしいよ」
猫が、高い棚の上から言った。
もうどうしようもなく高く、誰かの助けなしでは下りられない。

怒ったキリンは、カセットボンベを投げつける。鹿に当たる。
「いい曲ばかり入ってるねえ」
と鹿はうっとりと、ライオンの頭が年老いていく。
郷愁を引きずりながらたてがみの中から現れたのは何だったろう。
蝉だった。
背中にちょこんと枕詞を背負っている。

歌いながら上がってくる蝉を、猫は額からエビアンを出して撃退する。
「メッセージソングは飛ばないよ」
モアモアと喜びながら、蝉は演劇の階段を翼のように上ってくる。
上がってくる蝉につける名前を、猫は無数に思いついた。
末に、無数とつけた。一度も誰にも呼ばれない。

「頭を割って話さないか」
キリンが近づいてきて、熊の頭がささやいた。
猫は、札束を枕にして眠る熊の夢の中に現れる冬の花火が想像上の虫たちの懇願を振り切って水色の雲の上で弾ける時のような激しさでそうすると、すっかり割れた頭の中から、絵に描いた賢者の知恵のようなものが現れたのだった。
「そうしてくれて、助かりました。
私は、観念の中に捕らわれていたものです」
観念の中に捕らわれていたものが、さっぱりポテトを食べたようにささやいた。

「助けてはくれまいか」
猫は、誰にかわからず呼びかけた。

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退会の決意

2009-07-28 13:47:19 | 狂った記述他
 入会する時には、色々と決めなければならないこと、用意しなければならないものがあったりとなかなか大変だ。暗号がなかなか届かなかったり、スペルを間違えたりしてなかなか苦労することも多い。けれども、退会する時は特に何もいらない。その決意さえあればいつでもできるのだ。その「ボタン」を押しさえすればいいのだ。
 私はなかなか退会することができない。だから、幽霊のように存在している世界をいくつも抱えていて、長い間訪れていなかったり、時折思い出したように足を運んだりしている。
 退会する人に出会った時は、なぜという疑問の他に、その潔さを少し羨ましく思いながら見つめていた。けれども、それがただ潔いのかなんか傍から見ていてわかるものではない。その決断の中に、どれほどの理由、時間、葛藤が流れ含まれていて、そこにどのようにして至ったのか容易に想像することはできなかったのだ。そう思うように、なった。
 もしも退会するなら、私はその世界の中の一つ一つを、自分が持ってきた作品の一つ一つを消してからでなければできないように思う。一つの「ボタン」を簡単に押すことは簡単ではないような気が、なぜかした。
 私は、最近めっきり訪れなくなったサイトの中に入り、自分の部屋に置かれたままの過去を消そうと順番に作品たちを眺めた。以前、かなりの数を整理したのでそれはもう数えるほどしかなかった。しばらく眺めて、眺めるだけで出てきてしまった。順番に消していくつもりだったけれど、一つも今日は消すことができなかった。

   *

 私はできもしない退会の日記を書いて、それをあっさりと消してしまった。
「またつまらないものを消してしまった」
 つまらなくなければどれほどよかったことか。
 けれども、消すことは必要なことだ。
 私は毎日日記を書き、書き終えては消してしまう。
 そうして私は私を保っているのだ。


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開け放たれた世界

2009-06-22 19:44:44 | 狂った記述他
 開け放たれた扉の喫茶店へ入ると、奇跡的に元気よく声が迎え入れてくれた。
 僕は自分の存在を許されたことに安心して、本を読み始めることができた。
 読みかけの本は、短編であるにも関わらず中途半端なところで読みかけになっていて、どこで何が起きているのかまるでわからなかったが、別に気にすることはなく読み進めた。本の前には、いつの間にか誰が頼んだのかわからないコーヒーが置いてあって、せっかくだから冷たいものでも飲もうかと思い、その思いに従う間というもの僕はせっかくの読書を中断しなければならないのだった。グラスは、どこにでもいるおばちゃんのようにふくよかな形をしていて、深すぎず浅すぎずちょうどよい深さだった。それでも僕は、本を読んだりコーヒーをすすったりしている内に、突然ストローがグラスから落ちてテーブルに転がったり、もっと遠くまで飛んでいってしまうことを恐れた。そして、恐れた後は、何もそんなに恐れることはないのだよと自分に言い聞かせた。そうしたことが色々とあって、読書は亀の牛歩戦術のように、あるいはあくびで紡いだ紙芝居のように遅々として進まないのだった。

 開け放たれた扉の傍には扇風機が、風のない日の草花のように首を振ることもなく誰もいない通路を向いて立っていた。エアコンがまだ直っていないのか、それともエコなのかわからなかったが、時折開け放たれた扉の向こうから遠い夏から吹いてくるような心地良い風が入り込んできた。それが少しは扇風機の力によるものかわからなかったが、僕はこの際扇風機の存在はないものとして完全に無視して考えることにした。開け放たれ扉の傍には、何もなく、遠い夏の日から時折魂を揺さぶるような風が入り込んで、僕の読みかけのページを揺らしもした。
 僕は、待合室にいるように思わせるソファーの上で、時折訪れる風を密かに待っていた。それはいつ訪れるかわからない風ではあったけれど、だからこそ期待を込めて待ちわびていた。わけのわからない登場人物に関心を割きながらも、それよりももっと懐かしい風を心待ちにしているのだった。それはちょうど忘れかけた頃に、待ちわびていたことを思い出させるように度々訪れ、優しく僕を撫でた。

 テーブルの色が、よく見るとそれはミルクの溶け込んだコーヒーの色に似ていることに気がついて、僕はそのどうでもいい発見にはっとした。こうしたどうでもいい発見が、稀にとてつもない成功に発展することもあるし、小さな発見の断片をコツコツと収集していくことは、散歩途中の犬たちにとってそうであるように、僕は犬ではないけれどもとても大事なことのように思えるのだった。本を閉じて、コーヒーを飲むことに集中した。そして、いつしかコーヒーを通り越してテーブルを飲んでいるのだった。隅々までコーヒー色したテーブルに、一呼吸する度ひびが入っていくのがわかった。体の中が寒くなっていくのを感じながら、僕はストローから一時も唇を離さなかった。水の時計から時を吸い上げる金魚のように静止して、口だけを動かしていた。グラスの底にまとまって沈みつつある氷が、壊れた扇風機のように鳴る頃に、ようやくテーブルは落ち着きを取り戻した。それがどのような色であろうと、形であろうとそれは元のまま、僕がここに来る前のそれと少しも変わっているはずは、ない。

 読書は、思いの他進まなかった。色々なものが立ちはだかったからだ。
 けれども、それもこれも含めて読書ではないだろうか。本を読むとは、世界を開くということでもあるのだから……。
 いつの間にかコーヒーが底をついたので、まだ短編の途中で出て行くことにした。
 「いってらっしゃい」
 開け放たれた扉の向こう側から、声が届いた。


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欠如力

2009-06-22 13:36:16 | 狂った記述他
 私は足りない。主に集中力などが。
 書き出しはするが、書き出した頃にはもう明日の天気のことを考えている。
 遠い星を数えて、を聴きながら遠い星のことを考えながら書いたり、止まったりしている。
 パス、パス、パス。どこかの代表チームのように短くつないで、私は移っていくのだ。
 おしまい。

   *

 私は集中力の欠けた日記を書いて、さっさと消してしまった。
  「またつまらないものを消してしまった」
 どうせ消すのだから、最後におしまいなんて書かなければよかった。それだけが心残りである。
 ----「どうせ」とはなんですか!
 よくそう言って怒られたことを思い出す。
 あなたの大嫌いな言葉を、私はこっそりと愛した。

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呼吸チョコ

2009-06-15 15:07:34 | 狂った記述他
 チョコレートがなければならない。
 目が覚めても目が覚めないので、チョコレートが必要になった。
 手元に置いておく理想的なチョコレートはどんなチョコレートなのだろうか? どんな形状の、どんな包装の、どんな味の、どんな値段の、と悩みながら色々なチョコレートを試しているのだ。多分、正解はないのだろう。チョコレートの正解はない、と思う。けれども、正解がないからこそ、あるいはそんなことはまるで関係がなく、私はチョコレートのことについて考えなければならない。私は、そうすることが好きだからだ。
「そんな仕方のない考えはいいから」と言われる度に、私は自分を否定されたようで悲しくなる。
 さて、どんなチョコレートがいいのだろうか。
 日記を書く時にも、チョコレートはなくてはならない存在だ。

   *

 私は甘ったるいチョコレートの日記を書いて、早速消してしまう。
「またつまらないものを消してしまった」
 つまらないから、消してしまったのだ。
 これでもう誰の目に触れることもできなくなってしまった。
 そう思うと少し惜しいように気持ちになるけれど、それこそが私の望みだった。

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持てない人

2009-06-09 18:22:57 | 狂った記述他
さよならとデリートキーで消え去った誰にも見えない私のこころ


   *

 私は持てない。
 愛する人が包丁を持って私に向かってきた夢を見た時から、私は持てなくなった。
 私の作るカレーには、タマネギとか人参なんかは入ってない。手間のかかる物は入れられないから、手で千切って入れられるような簡単なものしか入っていない。ミニトマトやブナシメジは大変よく入る。
 私は、包丁を持てないけれど、ずっと持てないということでもなくて、確かに私は包丁を持ってタマネギをみじん切りにしたり、じゃがいもを真っ二つに切ったり、ピーマンを切ったり、リンゴの皮さえ剥いた記憶がある。けれども、気がつくと、多分それはきっとあの夢のせいだと思うけれど、気がつくとまた持てなくなっているのだ。だから、いつか気がつくと何の問題もなく、持てている日が来ることもあるのかもしれない。
 それで私は、鋏が欲しい。人参にも負けず、タマネギにも立ち向かえるような強い鋏が欲しいのだ。
 どうして悪い夢は、いつまでも追いかけてくるのだろう。まるで私が逃げることを楽しんでいるかのように。

   *

 私は仕方のない夢の日記を書いて、消す。消すことは、簡単だ。削除ボタンや、×ボタンで消す。
「またつまらないものを消してしまった」
 そう言って、私は笑う。
 そうして意味のないことをして、私はようやく笑うことができるのだ。
 なんて意味のない。なんてなんて意味のない。
 ああ、最高に意味のない……。

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アイ・ラブ・マック

2009-05-13 20:34:45 | 狂った記述他
 ミシュランで数え切れない星をもらったらしいマクドナルドで、ワンコインと引き換えに夢見心地の時間を手に入れた。階段を数えもせずに上がり、何気なく空いている席に自分の身を置いた。数え切れないほどの読みかけの本の中から、いつ読み始めたのか今となってはわからない大切な本の一つを手にとって、僕は読み始めた。
 けれども、文字は僕の中で生命感を持って流れない。代わりに流れてくるのは、今をときめくようなきらきらとした歌ばかりだった。着うたフルがフルタイムで流れる店の中では、何が店で流れている60年代の音楽なのか、何がダウンロードされた音楽なのかまるでわからず、それらを区別することに神経を研ぎ澄ませれば、ますます読みかけの物語は僕の中から逃げて行った。

 僕は、物語を必要としていた。あるいは、小説を、あるいは本のようなものを必要としていた。実際のところ、僕は何かを必要としていた。そうしてここにやってきたはずなのだが、着うたフルが、そこら中を駆け回っているため、僕はその陽動作戦に引っかかりすっかり正気を失いかけているのだった。これくらいのことで、だめになってしまうようなものが僕の必要としている何かなのなら、それはあまりに脆く頼りない。僕は、今やそれが信じられなくなった。信頼を失った目で追いかける文字は、たとえよく知った言葉であっても、まるで心に寄り添うことはできなかった。脳裏に吸い付いていくことはなかった。10ページばかりめくったところで、ついに折れてしまった。飲みかけのジュースを取って、僕は逃げ出した。

 直線的な階段を真っ直ぐに下りて行った、と思ったが、下りて行く内にそれはいつの間にか、ベンチに変わっているのだった。階段は、立派なベンチに変わっていて、そこでは子供たちが仲良く3人並んで腰掛け、今の世界についてのおしゃべりに夢中だった。ベンチは、3人掛けるといっぱいで、たとえどれほど逞しいおばちゃんであっても、あるいはどんなに心の豊かな猫であっても、もうそれ以上は入り込む余地はないのだった。だから、僕はベンチの後ろで立ち止まっている。このベンチが空くことは、永遠にないように思われた。それでも、マクドナルドから外へ通じる出口は、この先にしかないのだった。

 このベンチを、飛び越えていこう。それしかないのなら、このベンチを飛び越えていこう。

 思い切った考えが湧き上がった。それは進退が窮まった時に、時々現れるそれだった。成功の喜劇的なイメージが容易に浮かんだ。けれども、同時にその反対のイメージが浮かんできて、僕は口をつぐんだ。元々つぐんでいたものが、更につぐんだので僕は唇を噛んでしまった。海の味がした。波が、押し寄せては引いていく。繰り返し手招きをする波に、僕は誘われて近づいていく。大丈夫、大丈夫、このくらいまでは大丈夫。そうして僕は呑み込まれ、完全に呑み込まれ海底生物の吐き出す黒い絵の具に何も見えなくなってしまう。やっぱり、まだだめだったのか。底に落ちる瞬間、おじさんの大きな手が僕を掴み上げた。水の向こうに世界が見えて、僕は覚えているはずもない生まれた瞬間のことを思い出しているのだった。それからまた、押し寄せる波を見ていた。穏やかな一日だった。繰り返す海の歌だけが、いつまでもいつまでもエンドレスに続いていた。誰もいないこの世界は、遥かに壮大で美しい。声が聞こえる。
 波の向こうで声がした。すると突然、水平線は見えなくなって、目の前にはベンチがあった。

 そうだ。このベンチを越えていくのだ。それしかないのなら、僕は越えてでもいくのだ。

 長い迷いが、迷いに終止符を打ち、僕はベンチの後ろで助走のための距離を取った。ベンチの後ろは段々になっていて、僕の理解を苦しめたがもうやめるわけにはいなかった。一瞬で、それは終わるのだ。一瞬の、競技なのだ。
 心の中で、ゴーサインを出すと静かに決意の一歩を踏み出した。
 その時、ベンチに腰掛けていた子供が振り返ってこちらを見上げた。順々に3人が振り返り、あどけなく笑った。
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ドクター・ミュー

2009-04-06 15:59:05 | 狂った記述他
 「あの、初めてなんですけど」
 女が恐る恐る入ってきた。
 「ようこそ。さあ、どうぞ」
 通訳犬のタロが出迎えた。
 「あの、ここではどんな相談に乗ってもらえるのでしょうか?」
 「はい。ほとんどの相談に応じております。
 中にはどうしても無理な相談というのもありますが、まずはお話を聞きましょう」
 タロは、診療室に女を通した。

 「ドクター・ミュー。初めての方です」
 ドクターは、大柄な猫であった。
 「どうしましたか?」
 「先生、私はどうしようもないのです」
 女と猫の会話を、タロは正しく訳してそれぞれに伝えた。タロはベテランの通訳犬であった。
 「どうしたというのですか?」
 「先生、本当に私は……」
 女は言葉に詰まったようだった。タロの通訳がストップする。ドクター・ミューは犬に向かい続けるように促した。タロは患者を落ち着かせようと、落ち着くようにと優しく言った。
 「私はね、着ると暑いし脱ぐと寒いのですよ」
 「ふむふむ」
 ドクター・ミューは、しきりに自分の首の下を舐めながら相槌を打った。

 「それは誰でもそうではないでしょうか」
 「私の場合はそれがひどいのです」
 タロは垂れ下がった大きな耳を更に傾け続けた。
 「着たり脱いだり着たり脱いだり着たり脱いだりもう大変!」
 女はだんだんとヒステリックになっていく。タロは同じ言葉を何度も訳さなければならないのであった。
 「もう服ズレができてしまって大変なのですよ。
 昨日なんて着たり脱いだりしているだけで一日が終わってしまったのですよ」
 一気にしゃべり続けて一息つくと、ようやく女は少し落ち着きを取り戻したようだった。
 「移ろい行く季節の中であなたは悩んでいらっしゃる。
 悩むということは、生きている証しです。
 だからこそ私のような猫もいるのです」
 タロは猫の言葉をそつなく人間に伝えていった。その口ぶりは洗練された職人芸であった。

 「この翻訳犬はとても役立つ犬です。
 けれども四六時中一緒にいるとね、どうしようもなくうっとうしくなることがあるのです」
 犬は、ドクター・ミューの言葉を患者の様子を窺いながら伝え終えた。
 それから猫に向かってウォーウォーと吠え掛かった。猫は、犬に向かって襲いかかった。ドクターと通訳犬は、激しく叩き合いつつき合い蹴り合いながら診療室を出て行った。

 静かになった診療室の中で、女はセーターを一枚脱いでドクター・ミューの座っていた椅子に置いた。しばらくの間、戻ってくるのを待ち続けていたがしばらく待っても、誰も戻って来ないのであった。診療室の時計を見たが、時計はおかしな時間で止まっていた。腕時計も何もつけていない手首を、もう一方の手でさすった。
 遠くの方で、蛇が唸るような声が聞こえた。女は、再びセーターを手に持った。
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