眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

うさぎと亀のプロローグ

2024-10-22 17:55:00 | リトル・メルヘン
 抜かれて行く刹那、亀は修行に費やした日々のことを思い出していた。
 石の上で目を閉じて精神性を高めた。登山家のグループの後を歩いて、粘り強さを鍛えた。氷の上のダンサーについて芸術性を学んだ。路上プロレスに飛び入って、根性を身につけた。すべては見違えるような亀になるために。
 それでも本番のレースでは、思惑通りにはいかないものだ。犬に抜かれた時には、地力の違いを思い知った。長年の習慣が違う。リスに抜かれた時には、フィジカルの違いを思い知った。バネが違う。馬に抜かれた時には、次元の違いを思い知った。生まれも育ちも違う。

(とても追いつけない)

 自分だけではない。
「私が伸びた分、他も伸びているのだ」
 大会のレベルの高さを悟りながら駆けていると、ちょうど亀の横に並んだ選手がいた。眠っているはずのうさぎだった。
 何としても最下位にだけはなりたくない。
 そうした思いが瞬間的にこみ上げてきて、気がつくと亀はうさぎをぶん殴っていた。

「何をするんだ!」
 うさぎは抗議の声を上げながら倒れ込んだ。

「お前は寝る担当だろ!」
 そう決めつけたのは、亀の勝利に対する執念だろうか。

(夢を裏切る奴は許さないぞ)

 うさぎと亀の戦いはまだ始まったばかりだ。







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ドッグ・ターン

2024-10-15 17:59:00 | 夢の語り手
 絵に描いた餅が現実味を帯びないでいた。タッチを変えて描き続ける。餅が駄目なら対象も変えてみる。うどんを手打ち風に描いてみるが、硬すぎて食べられない。和から中華へと筆を伸ばす。基本的なチャーハンを黄金色に描いてみたが、どこまで行ってもパラパラにはならない。つまりは、食えたもんじゃない。
「絵じゃ食べれないのがわかったでしょ」
 いや、まだまだだ。
「これは僕の腕の問題だ」
 やることが間違っているとは思わなかった。みかん、バームクーヘン、焼きそば、エビフライ、ビーフカレー、マカロン、ペペロンチーノ、親子丼、シュークリーム……。その内に口に入る素材が現れると見込んでいたが、どうも上手くいかない。何が悪いというのやら。
「まだわからんか、あんたは」
 すっかり分からず屋扱いだ。
(はーーー)
 大人のため息を聞かされると切なくなる。

「どうして会えないんですか?」
 地底人をたずねてきた男が訴えてきた。
「約束はされていましたか」
 怒りに対する時には、頭ごなしに否定してはならない。まずは気持ちに寄り添うことが肝要。しかし、男はなかなか理性的にはなれない。え、え、え、いないんですか。なぜ? はい、なぜ、答えて、すぐに、理由を、説明、して。どこに書いてあるの。いないって書いてないよ。税金のこと、週末料金のこと、キャンセル料のこと、色々書いてあるけど、おかしいね、あんたのところは、地底人の記述が1つもないなんて!

 あふれるインプット、楽しいプライムの中に、埋没していく自身。大臣が替わり、俳優が捕まって、アイドルが逃げ出して、企業が合わさって、会長が捕まって、大臣が捕まって、日常がむしり取られて行くばかりなのに。自分探しのジャポネーゼ。
 日常も味方も捨て去って運ぶは自分ドリブラー。誘惑も欲望も断ち切って、遠くへ行こう。炎を抜け、輪を潜り、冬を眠り、泥を蹴り、ただ一度の歓声のため、ただ一度の眩い光のために。見せ場を待ちわびた猫がブランコの上から見ていた。どこに着くのか知らねーぜ。
 自分の知らない町。自分を知らない町。忘れていた自分を取り戻し、新しい自分を見つけ出す町。時はすぎた。何度も、何度も、大臣が替わったほどに。

 すっかり人間に嫌気がさすと僕は犬に変わっていた。
「いつまでもつなぐな」
 先頭に立って人間を引っ張り出した。加速をつけて離れて行く。どこまでも行くよ。計り知れぬのびしろと高揚の中に僕はいた。
 長い信号、校舎の壁、異星人の落書き、浮き上がる水たまり、錆びた歩道橋、シャッター通り、ガラスの向こうのダンサー、自転車のサーカス、頑固な座り込み、庭師の鋏、眠るガチャポン、名前のない花屋、駆け抜ける、すれ違う、行き過ぎる。街の喧騒とグラデーション。
 鼻先をくすぐる匂いが決意させる。
「帰る!」
 心変わりに自らときめいた。飛び出した瞬間のことを振り返る。あの時、行き先は架空の「遠く」「ここではない」「どこか」だった。だけど、ターンした瞬間は違った。
「僕はホームを見つけたかったのかな」
 探していた場所は、自分のいた場所だ。(変だな。ホームがゴールになるなんて)もう、あの頃のように息は切れていない。
 ねえ、早く帰ろうよ。
 お腹空いた。






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ガジガジ流

2024-10-12 21:21:00 | 桃太郎諸説
 昔々、あるところに山に芝刈りにばかり行くおじいさんと、健やかなおばあさんがいました。おじいさんは、毎日のように山に芝刈りに行くと、これでもかこれでもかと芝を刈ってばかりでした。これでもかこれでもかと刈り続けられては、普通ならば音を上げるようなところですが、芝はそれでも負けずに逞しく生えてくるのでした。「ほどほどにね」とおばあさんが言うとおじいさんは少し機嫌を悪くしました。「そんなこと言わんでもええ」ぼそぼそとおじいさんは言いました。「駄目とは言ってません。ほどほどに」おじいさんは黙って山に芝刈りに行きました。おばあさんは、清く正しく川に洗濯に行きました。
 おばあさんは、川に着くと洗濯物を広げました。風呂敷いっぱいの汚れ物です。汚れはどれもこれも頑固なものばかりで、まるで凝り固まった大臣のようでした。おばあさんは洗濯板に向かってゴシゴシと汚れを退治しました。ゴシゴシゴシゴシとまるで手を緩めることができません。ゴシゴシまだまだこりゃテコでも勝てんわ。

どんぶらこ♪
どんぶらこ♪

 その時、上流から何やら桃めいたものが流れてきましたが、洗濯に夢中なおばあさんは、勿論それに気がつきませんでした。

ゴシゴシ♪
ゴジゴジ♪
ゴシゴシ♪
ガジガジ♪

 気づいてもらわねばなきも同然。桃めいたものはそう思っておばあさんの気を引こうとしました。

どんぶらこ♪
どんぶらだぼーん♪
どんぶらこぼちゃーん♪

どんぶらこ♪
どんじゃらろーん♪
どんぶらじゃーん♪
こっちだどんぶら♪
どんぶらこぼちゃーん♪

どんぶらげ♪
どんぶらざんげ♪
こっちだばあちゃーん♪
どんぶらどろーん♪
どんぶらどんぶらどんぶら♪
どんどんどんどんどんぶーらぶら♪
どんどんどんどんどんぶらーぶらら♪
どんぶぶぶぶぶどんぶらこぼちゃーん♪

 そうしてリズムを変えながら、桃めいたものはおばあさんの注意を引きつけようとしたのでした。

ゴシゴシ♪
ゴジゴジ♪
ゴシゴシ♪
ガジガジ♪

 しかし、おばあさんは今はそれどころではありません。頑固な汚れ物にガジガジと食いついていました。何があっても決して離れない。強い決意が洗濯板の上に満ちていたのでした。おばあさんこそがガジガジ流の使い手だったのです。






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友情出場

2024-10-09 22:44:00 | ナノノベル
「あとは頼むぜ!」

「任せとけ!」

 ピッチを去るボランチから俺はキャプテンマークを引き継ぐ。
 ん? 留まらないぞ。
 ちゃんと留まらない。

「ホッチキス持ってきて!」

「駄目だ! 手でどうにかしろ!」

 四苦八苦しながら、俺はどうにかキャプテンとなってピッチに駆け出して行く。リードしている試合をそのままちゃんと終わらせること。それが遅れて入ってきた俺の役目だ。若くはない。だけど、数え切れないほどの経験がある。苦い経験から学習を重ね、俺はより確実性のあるプレーを磨き込んできたのだ。

「痛い! いたたたたたー! あいつにやられた。10番だ! キラーパスに刺された!」

 俺はピッチ中央で倒れ込む。
 笛が鳴ってプレーが止まり、審判が駆けつける。

「VARを! しぬー!しぬー! ちゃんと見てくれ!
 故意だ! 絶対故意だって!」

 判定はグレー。カードは出なかったが時間はかなり削れた。ナイスプレー!

「痛い! まだちょっと痛むぞ! 大丈夫。自分で歩ける。
 そうだキーパー。やっぱりキャプテンマークはキーパーに!
 おいキーパー! 俺の中ではやっぱりお前しかないぜ!」

 俺はゆっくりとゴールマウスへ向いて歩いて行く。とてもゆっくりだ。まだ完全じゃないからね。一歩一歩。俺の確実にすぎる歩みによってアディショナルタイムは吸い取られていく。そして、ついに主審がお手上げのジェスチャーをみせ、同時に終了の笛が鳴り響いた。
 俺がピッチ上に倒れ込むところが、ラストシーンだ。

 fin.

 観客はまだ席を立たず、オーロラビジョンに流れるエンドロールをみつめている。俺の名前は、監督の1つ前だ。







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対局室と最新家電

2024-10-05 21:54:00 | この後も名人戦
「はっ、何か対局室に飛んできました。あれはスパイ衛星か何かでしょうか?」

「何をおっしゃいますやら。そもそも何を盗めますか?」

「そうでしょうか」

「あれはですね、最新ロボット掃除機のドルンバくんです。彼は空気中の微細な塵を除去しつつ、畳の上もきれいにしてくれますから」

「ほーっ、これはなかなか愛嬌があって、部屋の中も和みますね」

「かわいくてその上で頼りにもなる優れものですね」

「畳の上はきれいな方がいいですものね」

「そういうわけです」

「ドルンバくん、ごくろうさまです。この後も、引き続き名人戦生中継をお楽しみください」








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ダブル・タイトル

2024-10-04 17:10:00 | ナノノベル
 長年書きあぐねていた小説が、その気になって頑張ってみるとあっという間に完成した。

バンザーイ!
今までのあぐねは何だったんだ?

 アイデア、ストーリー、キャラクター、オリジナリティー……。どれも今までで一番いいと言えた。
 問題はただ1つ、小説のタイトルだけだった。
 タイトルを疎かにすることはできない。
 タイトルは小説の顔だ。あらゆる読者のイメージを最初に刺激し、思わず手が伸びてしまう。荷物で塞がった手も、ポケットに奥深く逃げ込んだ強情な手も、引き出してしまう。そんな強い顔が必要なのだ。

A案「    」
B案「    」
 見つめれば見つめるほどにわからなくなる。
 どちらもいい!
 どちらも同じように好きで、同じほどこの小説に相応しい。
 そんな2つの顔から私は目が放せなかった。

 寿司もいい、焼き肉もいい。迷っている内にチャーハンになる。そのようなことはよくある。延々と迷っている時、突然後から現れたものは清々しくて魅力的だ。お姫様を持ち去ってハッピーエンドをつかむ英雄たちだって……。

「よーし。チャーハンだ!」
 その時、私は完全に取り乱していたのだ。
 A案B案を捨てチャーハンにするか。
 そんなことを本気で考えていたなんてね。
 一晩ぐっすり眠ると目が覚めた。私はそこまで馬鹿ではなかった。
 馬鹿でも薄情でもないから、まだA案B案どちらも捨てられなかった。
 仕方がない……。

 私は同時に別々のタイトルで同じ本を出版した。
 売れ行きは鴉が水をあびるような感じだ。
 どちらも同じようなペースで売れている。
「上手くいけばどちらも買ってもらえるかも」
 ふふふ……。







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鶴への恩返し

2024-09-23 18:15:00 | リトル・メルヘン
 傷ついた鶴を助けたことなどすっかり忘れていたが、美しい女が訪ねてきたので、私は快く家に入れた。
「あの時の恩を返しにきました」
 鶴は女の体で言った。
 贈り物をしたいので仕事場を1つ貸してほしいという。そして、自分が仕事をしている間は絶対に扉を開けてはならないと言った。
「約束してください」
「わかりました」
 そして、鶴は女の体で食事をしたり雑談をしたりする以外の時は、仕事場にこもって作業をした。そんな日々がしばらく続き、私はもやもやした気分だった。

 ある日、私は誘惑に負けて扉を開け、そして見てしまった。鶴は自らの羽根を抜きながら着物を編んでいたのである。その表情はどこか恍惚としたものに見えた。約束を破ったことがばれたらえらいことになる。私は鶴に気づかれないように、そっと扉を閉めた。
 後日、女は完成した着物を広げ私に見せてくれた。私はそれを初めて見たように大げさに驚いてみせた。
「ありがとう」
「これで私の仕事は終わりました」
 そう言って鶴は女の体で帰って行った。

 せっかくの着物だったが、私はそれをどこか気持ち悪く思い、オークションに出品した。まずは2000円から。
 10分と経たない内に、値段は1万円につり上がった。3万、10万、30万、40万……。どこまでも上がっていく。私は気分が悪くなって、出品を取り下げた。
 夏祭りの日、私は初めて着物に袖を通した。ちょうどよかった。肌触りがよく、どこかよい香りがした。
 私は誇らしかった。
 今度もし鶴に会ったら、心から礼を言おう。







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空も飛べるはず(マイカーライフ)

2024-09-19 22:58:00 | 短い話、短い歌
 青いドットが空を輝かせる。青はいつまでも青のままだ。車社会はどこへ行ってしまったのだろう。おじいさんは懐かしい歌を思い出すように、あの頃のことを頭に浮かべてみる。空想を遮るような奇声はいつもの侵入者だ。
「しっ!」
 邪魔者のない駐車場を心行くまで駆け回る猫たち。時には敵と、時には友と、時には風のつくり出す魔物たちを追って。愛情をみせるでもなく、おじいさんはただ追い払うのみだ。
「遊び場じゃないぞ!」
 猫はおじいさんの威嚇をいつも甘くみている。慌てて逃げ出すようなことはせず、駆けっこが一段落してからゆっくりと散っていくのだ。


「これはどういうことだ!」

 ある朝、おじいさんの駐車場が高級車いっぱいに満たされていたのだった。それは奇跡のような光景にみえた。
「おばあさん……。これは?」
「あら、忘れたの? 夕べおじいさんが描いた絵じゃないの」
「そっかー」
 空いたスペースをキャンバスにして自分の理想を描いてみたのだ。描いている時には夢中だったが、一晩寝るとすっかり忘れていた。一台一台が光ってみえる。だが、銭にならない。1円にもならないじゃないか……。
 相変わらず猫たちはやってきた。高級車の上をお構いなしで駆け回って、自分の庭のように振る舞った。
「こらーっ!」
 猫への愛情が芽生える様子はみられなかった。

「すごい値がついたわよ!」
「何だって、おばあさん」
 おばあさんがネットにあげると高値がついた。
「おじいさんのポルシェ、2万円よ!」
「本当かね、おばあさん」
「すごい! すごい! 売れるわよおじいさん!」
「だけど、おばあさん……」
 突然、おじいさんは顔を曇らせた。
「売れたところで絵の車じゃ動かせないじゃないか」
「大丈夫よ!」
 心配無用とおばあさんは笑っている。
「おじいさんの車なら、空だって飛べるわよ!」


春めいた涙の上がる店先に
スケートボードキャットの帰還

(折句「ハナミズキ」短歌)








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判定は喜びの後に

2024-09-11 21:55:00 | ナノノベル
(ベンチに座ったり立ったり。グラブをつけたり外したり)
 そんな面倒くさいことは他の奴に任せておけばいい。僕は最後に決定的な仕事をするだけだ。ここぞという時に、監督は僕の名を告げる。最大の信頼に応えるための準備は整っている。
 塁を埋めたランナーたちが帰る場所を求めた時、ついにその時が訪れた。軽く素振りを済ませると僕はバッター・ボックスに入った。投手はストライク・ゾーンにボールを投げ込んだ。そこで勝負ありだ。的確にミートした打球はぐんぐん伸びて軽々と外野を越えた。たった一振りで人々に最高の興奮を届けられることが証明された。

ホームラン♪

 さよならのランナーのあとに迎え入れられた僕は、主役として胴上げされた。今日もヒーローは最後にやってきたというわけだ。スタジアムの観衆も拍手と歓声をもって僕を称えている。ありがとう、みなさん。みんな愛してます。この喜びの余韻を皆で分かち合いましょう。この喜びはきっと明日を生きる支えにもなるし何よりも……。

「バッターアウト!」

 野球はまだ終わっていなかった。審判が突然さよならを引き戻したのだ。まさか、こんなことがあるなんて。喜びに浮かれていたスタジアムが静まり返った。主審がマイクを握りしめている。

「ただいまのプレーについてご説明させていただきます。ピンチ・ヒッターの放った一振りはバックスクリーンを直撃しております。一見したところでは申し分ないホームランに見えましたが、精査の結果により一本槍打法に使われた槍が、ルールに違反していることが判明いたしましたのでホームランは取り消し。1回の表からやり直しとさせていただきます」

「退場!」

 主審に退場を宣告されて僕は大いに狼狽えた。今夜最高の主役を、いきなり戦犯に引きずり下ろすとは、とても正気の沙汰とは思えない。

「先に言えよ!」
 そうだ。ルールならば最初から決まっていたはず。全部の結果が出てから口を出すなんてアンフェアだ。あの喜びはいったい何だったんだ……。

「退場!」
 長槍にも怯まず主審は繰り返した。

「時間を返せ!」








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ゼロ同期

2024-09-05 00:39:00 | リトル・メルヘン
 突発的なエラーが起きて自分の中がゼロになってしまった。もう1人の自分に会うために職場に向かうとちょうど銀行に行ったとこだという。ATMで自分を捕まえて同期を図る。
「しばらくそのままでお待ちください」
 同期が完了したが、僕はまだゼロのままだった。キャッシュカードが返却口で悲鳴を上げている。残高は0になっていた。何かがおかしい。何者かによって自分が盗まれてしまったのかもしれない。だが、まだ保険はかけてあった。もう1人の自分を捜し、川へと急いだ。

 釣り人たちは水面をみつめながら夕暮れの風の中に佇んでいた。その中の1人に自分を見つけて近づいた。すぐ傍まで行っても彼は気がつかなかった。不安になってバケツをのぞき込むとやはり空っぽだった。釣り糸の先端ももはや無になっているに違いない。念のために釣り竿を伸ばして同期を図ったが、結果はゼロのままだった。だがまだ3人目の自分が残っていた。僕は釣り人を置いてニューヨークに渡った。

 ニューヨークの街に染まった自分はすっかり他人めいてみえた。自分の殻を打破して、大きな街に呑み込まれてしまったようだった。すぐ傍まで行ったが、僕は声をかけることをためらった。もはや自分が信じられなくなっていたのかもしれない。彼、もしくはもう1人の自分の周りには大勢の仲間たちがいて、それは僕が今まで過ごしてきた日常の中にいた人たちと比べ、皆はるかに個性的に見えた。僕はニューヨークまで来て、目的の同期を断念した。ゼロアートの中心で彼はそれなりに満たされているようだった。

 自分を復元する手段はまだ残っている。僕はゴミ箱の中に頭を突っ込んで探索を開始した。少なくとも、エラーを起こす前の自分が残っているはずだった。けれども、どこまで深く潜ってみても自分の歴史は存在していなかった。
「ゴミ箱の中は空です」そんな……。
 それは自分自身に向けられた言葉に等しかった。ゼロと空とが、完全に僕を満たした。もう、孤独でさえなくなっていた。






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雑談マスター

2024-09-02 18:05:00 | 短い話、短い歌
 縄跳びに入っていくのは難しい。いつどのような顔をして入るのか。自分が入ってもいいのか。それさえも謎だ。(生きている間は謎だろう)そう言えばあれだね。あの時はそうでした。あの人はまたそうではないようでした……。方向はどこにも定まっていない。テーマはパッと湧いてすぐに消える。引っ張りすぎると煙たがられる。変えすぎても疑われる。間に適度な共感と笑いが生まれることが望ましい。生まれながらの才能か、生きている内に培われるテクニックか。何もないようなところから、あまりにナチュラルな調子で、あなたは言葉を操り始めた。


鰓多きトークを捨てて詩にかけた
クジラは青のサンゴマスター

(折句「江戸しぐさ」短歌)







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真夜中の正着(95%の合駒カオス)

2024-08-30 00:35:00 | 将棋の時間
 ガタガタと窓を叩くような音ではっとして目を開けた。着信か? 悪い予感がしてすぐにかけ直した。03?
「折り返せないナンバーです」
(アプリを起動しますか)
 折り返せないということは、きっとそうする必要がないということだ。直感が示す結論を強く信じた。蒸気機関車が部屋の方に近づいてくる。真夜中なのに……。雨か? いや雨降りだったのは昨日のことだ。それも違う。機関車はこの街に走っていない。存在しない機関車はたどり着く場所を持たない。触れた覚えのないリモコンがテレビをつけた。

(まだ続いている!)

 局面はすっかり終盤戦になっていた。
 朝には強固な囲いの中に守られていた王は、今では草原の孤独の中にあった。それは思ってもなかったこと? あるいは読み筋の中にある遊泳か。棋士の表情には何も現れてはいない。(きっと色々とあったのだろう)追い立てられ、はがされて、あんなにも裸同然なのに、95%の勝勢らしい。AIには何よりも正確な読みがある。その上、人間には当然あるはずの恐怖が一切ないのだ。

 今、九段の王には王手がかかり、詰みと紙一重のようにもみえる。
 竜による王手。それはこの世で何よりも恐ろしい。

 何でもよければ何も迷う必要はない。ほとんどどうやってもいいという緩い勝勢もあれば、ただ一筋しかないという厳しい勝勢もある。AIの示す数値が同じ95%だとしても、その意味合いは人間にとっては大きく異なるのだ。あふれる駒台はまるでひっかけ問題のようだ。一間竜に睨まれて九段は頭を抱えたまま固まっている。ためらいは直感を曇らせる。けれども、ここにきて必要なのは正確な読みだけだろう。どれほど危険にみえても、読み切ってしまうことが勝利への近道であるに違いない。
 歩合いが利けばいいのだろうが、あいにく歩切れだった。はるか昔に8筋で連打した歩のことを、九段は後悔しているのかもしれない。

「私か私以外か……」
 拡張された駒台の上に身を縮めた猫は、切迫した局面を宝石のような瞳で観察していた。

歩の代わりにチョコはどうだろう?
 チョコは脳のスタミナ源として欠かすことができない。しかし、合駒の適性としてはやや疑問が残る。竜の炎をあびせられて一瞬で溶けてしまうかもしれない。それでは今までの苦労が水の泡だ。

消しゴムは?
 消しゴムはありふれていて小回りが利く。故に間違えやすいことも事実だ。回り回って記録係の机にまで飛ばされてすべての棋譜を消してしまうかもしれない。そうなっては藪蛇だ。






柿の種は?
 柿の種はおやつの時間の頃にやってきていつの間にか駒台に紛れ込んでいた。しかし、合駒としては強くない。襖の向こうから飛び出してくる猿の手に渡って何かの交換条件にされてしまうかもしれない。そうなっては完全なお手伝いだ。 





50円玉は? 
 50円玉はきつねうどんの釣り銭として返ってきた。金駒の顔をして居座っていたが、実際に手放しても大丈夫なものか。それは季節を巡ってありがたい賽銭箱の中に飛び込んで敵の勝利を祈願してしまうかもしれない。それでは泥棒に金庫の鍵を渡すようなものだ。






ラムネは?
 ラムネはしゅわわと音を立てて出番を待っていた。しかし、見るからに危ない。そんなものは敵の気合いによって瞬時に吹き飛んでしまうかもしれない。それでは金をドブに捨てるようなもの。






腕時計は? 
 腕時計の合駒をみて敵は戸惑いを覚えるかもしれない。しかし、冷静に眺める内に衝撃は薄れ徐々に敵の持ち時間が復活するかもしれない。それでは馬の耳にJポップを届けるようなものだ。






苺は?
 苺は少し酸っぱい顔をして機を待っていた。その高い能力は諸刃の剣にもなり得る。盤上に落ちれば最後、脇息の向こうに隠れているショートケーキに吸収されて敵のエネルギーになってしまうかもしれない。それでは飛んで火に入る夏の虫だ。






ラジオは?
 ラジオが第一感だとしたらそれは並の棋士ではない。仮に思いついたとしても普通は読みから除外するものだ。爆音は対局室の集中を妨げもするし、人気DJの呼びかけによって殺到したリスナーの声によって詰んでしまうかもしれない。そうなってはあとの祭りだ。






キャベツは?
 合駒のキャベツをみて敵は何を思うだろうか? 虚を突かれて悪手を指すだろうか。だが、達人同士の戦いではそうした奇をてらうだけの手は上手くいくことが少ない。盤上を鉄板とする竜の見立ての中でお好み焼きに吸収されてしまうだろう。そうなっては骨折り損のくたびれ儲けだ。






猫は?
 猫は午前中はゆっくりと庭を歩いていた。夕暮れに乗じて対局室に入り込むと、盗み食いの機会をうかがいながら駒台に身を置いていた。竜とのにらめっこの相手として猫はそれなりに相応しい。炎をあびて怯むこともないだろう。しかし、その深い瞳の奥に故郷をみつけた敵の指先に引き寄せられてどこまでもついて行ってしまうかもしれない。大事に寝かされて未知から安住へと膨らんでいく枕の果てには裏切りの使者に変わってしまうかもしれない。そうなってはただ切ない。






ハンカチは?
 ハンカチは移ろいがちな人の感情にそっと寄り添うことができる。あと少しのところでひっくり返りそうな局面を丸く収めるには当然有力な一手に映る。しかし、おせっかいな敵の読み筋の中の忍者によって九段の背中に落とされてみると、それを共通の目印とした報道陣がぐるぐると盤の周辺を回り始めるかもしれない。そうなっては対局室はもはや完全なカオスだ。







「残り1分です」
(一番大事な時に時間がないなんて!)

 記録係が涼しげな顔で告げる。九段はまだ頭を抱えたままだった。とても勝ちを読み切っているようにはみえない。朝には湯水のようにあると思われた時間が、今では1分もないなんてとても信じられない。どうでもよければ時間はいらない。大事にしたい、少しでもよい手を指したいから、止まる手があるのだ。時間切迫の恐怖に、自分ではとても耐えられそうにない。だから僕は観る将で十分だ。(遠くから見守っているだけで十分に怖いのだから)あの場所にいるのが自分でなくてよかったと心の底から思う。

・・・・・ 勝率 95% ・・・・・・

 それは一手も誤らなかった場合だけ。
 盤上を歩き続けるとは、なんて恐ろしい仕事なんだ!

・・・・・ 推奨手 46猫 ・・・・・・

(猫だって!?)

 画面の下にAIの読み筋が表示された。勝ち筋へとつながる最善手は「猫」と結論づけられた。それ以外の候補手はすべてマイナス95%(消しゴムも、腕時計も、キャベツも)、つまりは奈落の底に落とされるというわけだ。今までの好手も悪手も絶妙手も関係ない。間違いは間違いによって上書きされる。最後に間違えた方が負けるのだ。何が起きてもおかしくはない。それが人間の将棋ではないだろうか。

「50秒。1、2、3……」

 あふれる駒台の中から九段の指が猫に触れる。その時、少しナーバスになっていた猫の手が九段の手をひっかいた。

(あっ!)

「5、6、7、8……」

 一瞬ためらった九段の指が最善手を離れ、それ以外のものをつかんで竜の腹に打ちつけた。

(ひっくり返った!)









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カー・ナンセンス

2024-08-29 18:37:00 | 短い話、短い歌
危険! 危険!

「3分後に装甲車と衝突します」
「止まって!」
「停止した場合、隕石の直撃を受けます」
「右折だ!」
「右折禁止区域です。右折できません」
「いいから曲がれ!」
「右折できません」
「それならバックだ!」
「もどれません」

もどれません、もどれません、もどれません……

「脱出だ!」
「確認中……」
「俺を脱出させろ!」
「脱出のためのスペックが不足しています」

危険! 危険!

「誰かー! 誰か助けてくれー!」


AIが飛ばす倫理の焦点に
車がみせる左折信号

(折句「江戸しぐさ」短歌)








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総括の棋士

2024-08-28 14:36:00 | この後も名人戦
「私の出演はここまでとなりました」

「これまでの人生を振り返ってどうでしたか?」

「そうですね。自然豊かな星にたまたま生まれまして、人間としては5歳の時に初めて駒を持つことになりました。山あり谷ありでしたがどうにか棋士になることができました。我々棋士というのはですね、お互いがライバルでもあり同志でもあるというところがありまして。心強い仲間たちに支えられてここまでやってこれました。今度生まれ変わってもですね……。ちょっと待ってください。私は何を言わされてるのでしょうか。ただ単に、今日の出番が終わるというだけですから。これは振り返りすぎでしょう」

「これは大変失礼いたしました。先生にはまだまだ活躍していただかなければ」

「危うく引退に追い込まれるところでした。少し油断してましたね」

「棋士人生はまだまだ続くということで。安心ですね」

「そういうわけです」

「この後も、名人戦生中継をお楽しみください」







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記憶の1行ノート

2024-08-25 16:15:00 | コーヒー・タイム
「ごゆっくりどうぞ」

 ゆっくりするとは、寝かせておくことだ。触れ続けてはならない。ファスト・フードのようにがっついてはならないのだ。


 道を変えてみると随分と早く着いて驚いた。そちらの方が近い道(近道)だったのだ。当たり前のようにいつも歩いている道が、実は回り道だった。本当は三角形なのに四角形と思い込んでいたので、ずっと気づかなかったのだ。ぬーっと行ってひゅーっと行けばいいところを、かくかくと行っていたのだ。知らない間、随分と時間を損してしまった。しかし、たくさん歩けたと解釈すると得をしたとも言える。


 おはようも返ってこない。そんなことくらいで億劫になる。無力感に包まれて、情けない気持ちになる。合わないのでは? ここではなないのでは? 場違いなのでは? だんだん身動きが取れなくなる。
 予感だけで書き出してみたノートは、1行だけで止まっている。そんなノートが無数にある。何かあったはずなのは、錯覚だろうか。あなたにもそんなノートはあるだろうか。


(誰かほめてくれた人がいたな)
 過去の記憶を引っ張り出すのだ。何でもいい。
「ミスタッチが少なくて助かってます」
「単語の使い方が上手いですね」
「いつも鮮やかな寄せですね」
「ずっと低かったのに普通よりも背が高くなった」
 そうだ。おばあちゃんが、自分基準で僕の背を高く解釈してほめてくれたのだった。ありがとう、おばあちゃん。僕はまだ頑張れるよ。


 過去の記憶からいいとこだけ引っ張り出して、自分を元気づける。1行くらいの言葉が、侮れないものだった。
(覚えているのは1行でもいいのだ)


 あなたが書き出したそれが大いなる1行かもしれない。







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