goo blog サービス終了のお知らせ 

眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

手抜きが君を強くする ~前進できぬ駒はない

2023-10-30 21:31:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「ぶつかった歩は取る」

 これは将棋の基本である。取らないことによって損をしてしまうリスクがある。まずは損をしないことを最初に学ぶ必要がある。初心者の内はそれでよい。ところがそこから先へ進む段階では、基本を疑うことも必要になってくる。
ぶつかった歩は何も考えずに取る。
まずは取ってから考える。
 そうした姿勢では上級に進むことは難しい。

「ぶつかった歩は取らない」

 局面によっては、こちらもまた基本となるのだ。
 例えば対抗形の棒銀の形だ。5段目で75歩と居飛車が歩をぶつけてきた局面は有名だ。これを素直に取ると居飛車の銀が進出して攻めが成功しやすいとされる。(局面を加速させたければ取るのも有力)手抜きすることによって、逆に76歩と取り込ませ振り飛車は銀を前に出すことができる。このような理屈が成立することから、ぶつかった歩を互いになかなか取らないという状況が発生する。その筋には触れず、また異なる筋の歩をぶつけてみたりすると局面はより複雑化する。

(歩があちこちとぶつかっていれば有段者)
 などと言われるのはそうした理屈からだろう。

「歩がどこでぶつかっているのか」
 それも重要だ。もしも自陣の深いところでぶつかった歩なら、と金になるリスクが大きいので、手抜けるケースは少なくなる。逆に5段目から敵陣に向かえば、手抜きの選択が有力になっていく。

 振り飛車党がさばくためには、ぶつかった歩を取らないという知恵は重要だ。同歩は無難で収まりやすいが、半面相手にポイントを与えたり、さばきのチャンスを逸してしまうことも考えられる。大事なことは、「取る取らない」を常に意識しながら感性を磨いていくことだ。
(攻められた筋に飛車を振り直す)
 攻められた筋とは、歩がぶつかったところだろう。そうして争点を一段低いところにずらして居飛車の攻めを迎え撃つ手は、さばきの基本手筋として身につけておきたい。

 歩を取らないことには様々なメリットがある。
 ・取らせることによって自分の駒を前に出す。
  (相手の駒を前に出させない)
 ・取る一手を他の有効手にまわすことができる。
 ・何でも言いなりにはならないという意志を育むことができる。
 ・相手の読み筋を外すことができる。

「何でも(いつでも)取る一手ではない」
 これは逆に言うと取ってももらえないということだ。
 取ってもらえる時に……、
(突き捨てを入れておく)(利かしておく)
 例えば、対抗形における86歩(24歩)などは永遠のテーマのようなものだ。敵陣深くであろうとも、玉から遠いほど手抜きの機会は増えていく。「入る、入らない」というぎりぎりのところを、上級者はいつも突き詰めて悩んでいるのではないだろうか。振り飛車党にとっても、86歩の対応は腕の見せ所でもある。遅いとみれば手抜いて中央に殺到する。また、早すぎるなら同歩の後88飛車として緩やかな流れに持って行くことが有力だ。

 手抜きが有力となるのは歩に限ったことではない。「取って取って……」というやりとりは明快で華々しくもあるが、単純にわるくなることだってある。例えば、片美濃の49金に58金のように絡まれている局面でどう受けるか。

「いったいどう受けたらいいものか……」

 振り飛車を指していれば、誰しも経験する悩みではないだろうか。これにはいくつかのパターンがあり、経験を積むほど判断が明るくなっていく。金を取って攻める手が早ければ同金。持ち駒が潤沢でゼットを維持したければ39金打。相手の戦力が薄いならば39金とかわすのが有力。意表の受けとしては、69金!のように58金の足を引っ張るような捨て駒で時間を稼ぐ手筋も知っておいて損はない。そして、今回のテーマは、それ以外の手。手抜きの一手だ。絡まれた状態を放置して攻め合う。終盤の寄せ合いの局面では、この選択が正解になることが最も多いはずだ。

「どう受けたらいいの……」
 受けというテーマを抱えた時、視野は自陣の狭いエリアに固定されがちだ。しかし、将棋はどんな時も盤面全体(攻防一如)でとらえなければならない。例えば、自陣に打ち込まれた飛車も相手玉を動かすことによって、王手飛車で抜けることもある。自陣しか見ていないとそうした筋を見落としがちだ。より厳しい攻め手が存在すれば、相対的に相手の攻めを甘くすることもできる。一見厳しげに映る攻めも、盤面を広く見ればそうでもないことは多い。攻め対受けの構図が定着してしまうと、主導権が攻撃側にあるように思え、(サッカーでボールウォッチャーになるように)視点が凝り固まってターンする機会を逸してしまうことがある。攻められている局面が続いていても、攻撃の谷をみて反撃に出る姿勢は大事だ。
 49金は取られても同銀と応じることで自動的に駒が入る。そこから詰めろがくるだろうか。すると更に駒が入るかもしれない。39金と埋めて再構築する手もまだ残っている。
「受けない」とい選択も、「どう受けるか」というテーマの中に持っておくべきだ。(相手の攻めがどんどん早くなっていくような受けは、だいたい駄目だ。自分の攻めが完全になくなるような受けも希望がない)

「ぶつかった歩は取る」
「ぶつかった歩は取らない」

 将棋は歩からはじまる。そして金や銀や飛車や角へと続いていく。角と角がぶつかっている。その状況でも、取らなければ? かわすと? そのままだとどうなるのか? 色んな可能性を考えることが必要だ。
 ぶつかった形は不安ではないだろうか。不安は早く解消したいというのも人情ではある。不安(不安定)であることは、含みがあるということでもある。そこに工夫の余地が生まれ、ちょっとした手順の差で技が決まったりすることがある。
 取る手の方が普通で素直だ。素直さは日常生活では歓迎される態度だろう。突かれた端歩は受ける。(端歩は挨拶)挨拶も社会では大切だ。もしも挨拶を怠ったりすれば、全人格を否定されてしまう恐れもある。素直さは上達を助けることができるが、一対局の中ではむしろ強情なくらいの自己主張があってよいだろう。(相手の言いなりになっていては負けてしまう)

「何を考えているのだ?」

 取る一手。取るしかない。当然のようにみえるところで、強い人ほど足を止めて考えることができる。
 ほとんどの場合、取る手は正解だ。しかし、時によっては緩手となったり悪手となったりする。
(ところによっては雨でしょう)
 ほとんどは降らないとわかっているのに、あなたは傘を備えて歩くことを選ぶだろうか。だが、真実(棋理)を探究するということは、すべて疑ってかかるということだ。局面をゼロベースでみることが理想となるが、それには人間に与えられた時間が限られているという現実もある。

「挨拶しないことは許されない」
(決して手抜いてはいけない)

 将棋の中でそれは唯一王手だけだ。だから王様が一番偉い。プロアマを問わず、王手を無視することは、どんな時も決して許されない。早く自分が王手をかけたいからといって、自玉にかけられた王手を手抜くことはできないのだ。だが、王手をかけられた状況で敵玉に王手をかける手段も存在する。それが逆王手だ。(飛車角香による距離のある王手に対する合駒によって成立する)その逆王手にしても、王手を無視してできるものではない。ちゃんと王手を防ぎながら、同時に(逆に)王手をかけているに過ぎない。

 野球の日本シリーズなどで角番に追い込まれていた側のチームが追いついた時に、新聞やテレビ等で「逆王手」をかけたなどと表現されることがある。将棋を指す人からみれば、これに違和感を覚える人も多いだろう。逆王手をかけたからには一方の王手が消えていなければ棋理に合わないからだ。
(マッチポイントを握っているのはどちらか一方でなければならない)
 互いに王手をかけたまま玉を取る権利を持ち続けている。そのようなことは将棋では起こり得ない。だから、強いて用いるならば「同時王手」の方が的確だろうか。そもそも王手を切ってないのだから、逆でも何でもない。単に後から追いついたというだけだ。
 将棋でないものを将棋用語で表現すれば、少しの矛盾が生じてもおかしくはない。だが、矛盾というのは遊び心(ファンタジー)でもある。言葉と言葉、世界観と世界観をぶつけ合ってこそ新しいものは生まれていくのではないだろうか。

「言葉は正確であることだけが正しいのか?」

 そのようなことから疑いながら、歩を前に進めて行こう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とてもかなわない ~将棋とは何か

2023-10-08 09:15:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 感想戦はしない。その代わりに、戦った相手に決まってたずねることがある。
「将棋とはどんなゲームですか?」
 小考の後、棋士は答える。面白いのは、その答えがみんなバラバラだということだ。だから、この問いかけもやめられない。思ってもみなかった答えを聞けるのは、とても刺激になるのだ。


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「王手をかけるゲームである」

「ときんを作るゲームである」

「駒をはがすゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「棒銀です」


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「考える人のためにあるもの」

「大駒をさばくゲームである」

「飛車を取るゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「中飛車です。それがすべてです」


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「向き合って対話するものである」

「王手をがまんするゲームである」

「盤上を制圧するゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「筋違い角です。手番がすべてです」


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「焦った方が負けるゲームである」

「金を狙うゲームである」

「飛車を切って勝つゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「アヒルです。他は関係ないです」


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「長所を探すゲームである」

「必至を狙うゲームである」

「玉をさばくゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「友達です」


「将棋とは、どんなゲームですか?」

「相手の狙いを消すゲームである」

「何もしないゲームである」

「飛車を取らせて勝つゲームである」


「あなたにとって将棋とは?」

「詰将棋の練習です。おかしいですか?」


 将棋とは何なのか。それを一言で言い表すことはとても難しい。だが、それぞれの棋士から帰ってくる答えは、とても興味深いものだ。迷いなくあてはめられた言葉からは、世界観のようなものが見えた。いくつもの引出を持ち、局面に応じて取り出すことができれば、戦いを有利に導くことも可能ではないだろうか。自分にとって何が大事か。それを知っている者にはかなわないなと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

投了ボタン(先生わかりません)

2023-10-01 01:57:00 | 将棋ウォーズ自戦記
中飛車棒銀が
鬼の勢いで攻めてくる

将棋は中央を制したら勝ちなのか?
55の銀がそんなに偉いのか?

僕は向かい飛車に振り直して
美濃の端に手をつける
玉頭からの反撃はきっとより厳しい
香交換に成功して
さて 次はどう手をつなぐ

「わからない」

止まっては駄目だ
わかっているのに止まってしまう
止まってしまったことに焦りを覚える
焦るほどにわからずに
焦るほどに時間はどんどん削られていく

止まるのは自分だけで
どうして相手は少しも止まらず指し続けられる?

なぜ時間を使わない?
勝ちたくないのか?
勝ちたいからこそ使わないのか?

わからない

千年将棋を指したつもりだったが
次の一手が何も何もわからない
どうしてこんなにわからないのだ

先生わかりません

だから僕の負けです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何もしなくていいんだよ

2023-09-21 03:17:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「ここは何かいい手がありそうだ。何かよくなる順があるのでは?」

 そこで手を止めて考える。少し考えてみても、ぱっとした手が浮かばない。焦った末に冷静にみればとても自信の持てない順に飛び込んで、勝手に転ぶ。相手は手に乗っているだけでよくなる。(つまりは完全なお手伝い)いっそ何もしない方がましだったということはよくある。だが、何もしないことは案外に難しい。「いい手を指さないと」という強迫観念、気負いのようなものが、払い切れないからだ。

「将棋には何も指さない方がよい局面がある」

 そうしたことを知っておくのも大事なことの1つだ。相手から次に厳しい手がなければ、慌てることもない。何かいい手を見つけようとするのではなく、逆に何もしなければ何かあるのかと考えてみる。「何もしなくても大したことはない」また、そうした余裕を持って局面を眺めることができれば、陣形を整えたり、ゆっくりと遊び駒を活用したり、落ち着いた手を発見できるものだ。(いい手ばかりは続かない)



「何もしないのが難しいのは社会的背景にもよる」

 ちゃんとしろ、しっかりしろ、真面目にしろ。もしも、幼い頃から、そういうことばかり繰り返し言われ続けていたとしたら、大人になっても引きずってしまう。しろしろという(あおり)が脳裏から離れないのだ。何をどうすべきかはやたらと教え込まれるが、何もしなくていいとはあまり教えてくれない。
 あるいは大人になっても、話はあまり変わらないのかもしれない。お前ぼーっとしてる暇があったらちゃんと働け。無駄なく計画的に動きなさい。かけがえのない人生だから何かしなくちゃ。趣味くらい見つけないと。貴重な手番を生かさなきゃ。そうした周囲にあふれる声や環境が、何もしないことを難しくしてしまうのだ。そこまでして頑張らなきゃならないのは、いったい誰のためなのだろう。

 常に何かをしてないといけない。そんな固定観念に締めつけられて苦しい時には、人から離れて窓辺の猫と寄り添ってみるのもいいだろう。ぼんやりと窓の外を眺めている内に、何かよいことが閃いたりするものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早指しの極意(時間がないけど考えたい人)

2023-09-16 09:11:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 弾丸(3分切れ負け将棋)のよいところは、終わる時間が決まっていることだ。通信の遅れ等によって多少の誤差はあるとしても、6分あれば1局の将棋を楽しむことができる。隙間時間を利用したり、予め時間を決めて指すことができるのだ。その点で言うと、野球よりもサッカーに似ている。2時間あればサッカーをしようかという話はできるが、野球となるととても不安が大きい。1つのアウトが1球で取れる時もあるし、ボールボールで押し出し続きともなれば、それだけでいくら時間がかかるかわからない。

 弾丸において時間が決まっているということは、時間も勝負に含まれているという意味だ。自分にしても敗戦の半分以上は、時間切れ負けかもしれない。必勝の将棋を、あるいはあと数手で詰んでいるのに、先に時間が切れて負けになる。それで何度くやしい思いをしただろう。しかし、そういう勝負/ゲームなのだ。
 優勢を拡大し必勝形とも言える局面になれば勝利は近いと考えられるが、時間切れという要素があると勝敗は最後までわからない。
 優勢 → 勝勢 → 寄り筋(即詰み)
 という流れの他にも、
 優勢 → 勝勢 → 時間切れ負け
 というのも、案外お決まりのパターンなのだ。


「自陣飛車を警戒せよ」

 30秒あれば何とか寄せ切れるだろう……。
 そこになりふり構わないような粘りの手が出てきて、大慌てとなる。例えば、大きな駒損と引き替えに自玉の安全を得るような手。攻撃力を完全に手放して守備に埋めるような手。通常の(秒読みつきの)将棋なら、「それでは攻防共に見込みなし」と論外になるような手が、切れ負け将棋では、時間勝ちにかける勝負手となり得るのだ。(その際には、どれほど駒損しようが、形勢に差がつこうが、全く関係ないのだ)
 定番の粘りの受けとしては「自陣飛車」だ。遠くから利いている角の守備力も侮れないが、自陣飛車も相当に強力だ。(金なし将棋に受け手なし)とも言われるが、最強の攻め駒である飛車は金にも似たとこがある。最後の受けの切り札としても出てくる筋だ。
(30秒あれば、寄せ切れる)
 50手以上、手を進めることも、局面によっては可能だ。寄せが筋に入りさえすれば時間はいらない。詰み筋に入っていれば1手を1秒以内に指し続けることも可能だ。しかし、寄りが見えない局面では、(いくら局面が必勝であったとしても)そうはいかない。手の広い局面で、そこまで早指しを続けることは困難だ。寄せを見えなくして粘る価値はそこにもあると言える。


「時間勝ち狙いという戦術」

 サッカーの試合で得点をリードしている方は、ゆっくり自陣でボールを回したり、コーナー付近でボールをキープして、そのまま逃げ切ろうとする場合がある。弾丸(切れ負け将棋)においては、時間でアドバンテージを取っている方が、そのまま戦い/手数を引き延ばして、逃げ切りを狙うこともあり得る。時間で負けている方は、敵玉を寄せ切らない限り勝ちがないが、時間で勝っている方は、自玉が詰みさえしなければ(何も起こらなければ)、判定勝ちに持ち込むことができるのだ。少しの差なら追い上げることも可能だが、大差になるとそれも難しくなる。
 持ち時間に極端な差がついてしまうと、勝負に辛いプレイヤー(戦術的プレイヤー)は、時間勝負にシフトしてくる可能性がある。切り合わない、一切加速しない、寄せ合わない、自玉が寄らないことを最優先する、といった方針を徹底されると、時間がない方はだんだん追いつめられるはず。時間ははっきり決まっているのに対し、将棋は何手で終わるかはかなり不確かだからだ。(100手前後で決着するためには、互いがある程度は純粋に勝利を追求する必要がある)


「自分で考える訓練の時間」

 将棋か、時間も含めた勝負か。弾丸において、どちらを取るかはそれぞれのウォーズの棋士のスタンスによるだろう。競技として見た場合、「時間」は間違いなく勝負の半分以上を占めると言える。それぞれ(3分)は考える時間としては、また1局の将棋を終わらせる時間としては、あまりに短い。常に将棋(即詰み)によって決着することは、(互いの波長がよほど合わなければ)ほとんど不可能だろう。
 勝利を追求するためには、形勢のバランスを保ちつつも、時間でも相手のペースを意識していなければならない。仮に相手がノンストップで飛ばし続けてきたら、自分も引き離されないようにする必要がある。
 とは言え、将棋は考えるゲームである。将棋を好きな人の多くは、考えることも好きなのではないだろうか。

「考えたければ15分で指せば?」
 と言う声には一理ある。

 しかし、それでは局数がこなせなくなってしまう。多くの人は自分が困った時には考えたいけれど、相手が考えている時間は退屈なのではないだろうか。(どこで何を考えるべきかも難しい)
 弾丸においても、ここぞという局面ではちゃんと考える。それも大いにありではないかと思う。今は何でもすぐにAIに聞いてしまう時代である。答えだけを知ろうとするのではなく、自分の頭で考えてみる。切迫した局面で集中して考えることは、自力をつけるよい訓練になるはずだ。自分で悩み、そこで間違えても、悩んだだけ得るものも大きい。時間切れで負けたとしても、考えた時間は無駄にならない。考えるプロセス(悩む→間違える→振り返る→修正する)によって、将棋の理解は深まっていくのではないだろうか。

 早指しだけを意識する(極める)ことも難しい。(無茶苦茶指してたまに勝てたり楽しかったりもするが、デタラメなだけでつまらなくなるかもしれない)
 それよりも純粋に将棋が強くなる方に目を向けたらいい。将棋が強くなれば感覚や大局観が明るくなって、考える時間を飛ばせるようになる。「早指し」は後から自然についてくるのだ。本当に将棋が強い人は、だいたい早指しだって強いではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無茶苦茶将棋 ~「世界観の勝利者」

2023-09-13 02:38:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 悪手は悪い手だ。勿論、棋理の上では当然そうだ。
 だが、実戦においては悪手が好手に転じることなどいくらでもある。(特に時間の短い)人間同士の勝負では、純粋な棋理(理屈)を超えて、自分を勢いづかせる手や相手の意表を突く手が、大いに有効になるのだ。

「何だ、その手は?」

 読みにない手によって相手のリズムを狂わせたり、メンタルを揺さぶったり、時間を使わせたりできるのは大きなポイントだ。

「その手なら、何か咎める手があるのでは?」

 咎め切れない場合は、悪手もだいたい好手に化ける。(無理も通れば道理が引っ込むというわけだ)実際の話、意表を突かれながら即座に正確に対応するというのは簡単ではない。

「咎め切れないだろう」(本来悪手だとしても)

 それを見越した上での悪手は、戦術的な勝負手としても使えるのだ。評価値が振れるとか、そんなことは全く関係がない。戦っている人間が、どう感じているかの方が、より重要だ。勝負強い人ほど、そういう駆け引きにも長けているのではないだろうか。


「無茶苦茶な手で負けた」

 棋理に背くようなデタラメな手で負けた後は、そうぼやきたくもなる。だが、それはよくあることだし、自分の方も無茶苦茶な手をいっぱい指しているのだ。


 人間の将棋においては、指し手の善悪、AIが指すところの評価値の他に、指し手の好み(好き嫌い)、難易度、自分の棋風・ペース(世界観)といった要素が大きく影響するのではないか。例えば、形勢はやや不利でありながら振り飛車ペースとか、実戦的に勝ちやすいといったニュアンスで語られることが多々ある。評価値がいくらプラスでも、自陣に飛車が封じ込まれている形より、評価値が多少マイナスでも敵陣に竜をつくって攻めを狙える形の方が、好き(うれしい、自信が持てる、テンションが上がる)という人は多いのではないだろうか。また、そうした自分の好きな形・展開に持ち込めることによって、より自分の力を出しやすいのではないだろうか。攻めが得意だという人は、多少無理気味でもいいから、自分が先攻できる形に持ち込んだ方がペースをつかみやすいだろう。

 形勢がいいと言っても「どう指していいかわからない」ような局面で力を出すことは困難だ。(時間を使わないことも難しい)多少局面が悪くても方針が決まっていれば、迷わずに済む。終盤戦では、攻めか受けか一方だけ考えることは容易でも、攻めたり受けたり(詰ましたり詰まされたり)を同時に処理するとなると極端に難易度が上がる。苦しい時には、相手にそうした負担を強いることも勝負の上では重要だろう。AI的に99%勝勢だとしても、その根拠が自分には到底読み切れない長手数の即詰み故だとしたら、その勝勢は無意味に等しい。

 人間は自分の「好きなこと」をやっている時の方が生き生きとする。
(好きこそものの上手なれ)
 好きなもの、夢中になれるものを見つけられることは幸福だ。好きで生き生きとしていれば、上手くもなるだろう。世界の中で将棋を見つけられたように、将棋の中で更に好きなものを見つけ出せた時、あなたはもっと強い世界観を手に入れることだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくなりすぎて勝てない? (メンタルがぶれる)

2023-09-11 21:06:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 序盤早々に銀得を果たす。どう考えても「うっかり」に違いない。気の早い人ならば、また普通の時間の将棋なら、投了しておかしくない。
 しかし、相手には全くその気もないらしい。その時、あなたはどんな感じを持つだろうか。


・投げない相手への恐怖、不信感

 どうして平気で指しているのだろう。
 もしかして、自分は弱いと思われているのでは?
 そういうちょっとした心の揺れが、指し手に影響することもある。


・気が抜けてしまう

 これならどうやっても勝てる。これくらいでもいいだろう。いくら形勢が大差でも、楽観しすぎてよいことはない。銀得くらいでは、どうやってもいいとはならない。


・プレッシャーがかかる

 この将棋は、絶対に負けられない。
 形勢がよくなった時に、過剰なプレッシャーを背負ってしまう。実は、弾丸(3分切れ負け)では、よくなって負けることも多いのだ。悪い方は負けても元々なので無茶苦茶指してくる。(それはそれで怖い相手だ)絶対などということはなく、まだまだ大変くらいに思っているくらいがいい。
「金持ち喧嘩せず」という格言も忘れた方がいい。大事にしたいと思いすぎることで、思い切りを失い、守勢に偏る。慎重になるあまり妥協を重ね、ポイントを与える。気持ちが守りに入ると視野が狭くなり、攻める手が指せなかったり、ミスも出やすくなる。無理せずリードを保ちたいと考え、最善を追究する姿勢が崩れる。迷い、震え、決断が鈍って時間を使いすぎてしまう。要するに、いつもの自分でいられなくなる。
 いつも伸び伸びと指して好きなように攻めていく気風の人が、突然守りに入っては、自分のよいところが少しも出ない。そうなっては、勝てる将棋も勝てないだろう。


・ちゃんと勝つことは難しい

 いい手なんか1つもなく、全く勝ち目のないような将棋を指すのは、正直つまらなくもある。だが、勝負の上ではそれも正しいとは言える。自らは積極的によくする手が全くなくても、相手が勝手に間違えてチャンスが巡ってくることもあるからだ。ミスをしない人間はいないし、悪手は山ほど転がっている。(時には、ほぼすべての手が悪手だ)
 将棋は逆転のゲームとも言われ、弾丸のような極端に短時間の試合形式では、その傾向はより顕著に表れると考えられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気分のわるい時もある

2023-09-01 17:54:00 | 将棋ウォーズ自戦記
君は勝負に負けた時
どんな態度をみせるだろうか

ぷつりと接続を断ってみたり
ただただ時間切れになるまで放置したり
思い切って盤をひっくり返したり
リアルでもネットでも色々だから

「負けました」
と素直になれないものもいる

たかが将棋に負けたくらいで
相手をボコボコにする奴も
いたけどね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終盤の覚醒(自陣二枚飛車の失敗)

2023-04-06 04:02:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 振り飛車党の人には、美濃囲いを心から愛する人が多いのではないか。囲いの長所や弱点、勝ちパターンも経験を積むことで理解している。最も大事なのは、49の金だろう。囲いの要の金が無事なのかどうかで勝率は大きく変わってしまうように思う。それをはがされて勝つことは容易でなく、逆に言うと達人レベルの人はそうした窮地でさえも何とか凌いで勝ち切ってしまうのだ。
 その時、僕の美濃は49の金を既に失っていた。そして、銀の腹から48金と張りつかれた。中飛車の59飛車に当たっていて痛そうだ。相手は持ち駒に角を持っている。まず考えたことは飛車取りをどうしようかということ。そして、この金を放置しておくのは気持ちが悪いということだ。そこで僕は持ち駒の飛車を自陣に投入して、49飛車!?と打ちつけた。言わば金の代用として飛車を使ったのだ。受けとしてはある意味で最強ながら、疑問手だった。なぜなら、手抜いて攻め合いに出る絶好のチャンスだったからだ。では、なぜ受けてしまったのか? 攻め合うという判断ができなかったのだろうか。


・攻め対受けの構図・リズムができていた

 しばらく前から居飛車の猛攻を受ける展開が続いていた。攻め潰されてなるものかという心構えで、視線が主に自陣の方に向けられていた。あなたがぼけて、私がつっこむ。あなたが食べて、私が作る。あなが命じて、私が動く。人間は役割が固定され定着してしまうと、なかなかそこから抜け出すことが難しくなる。言わばそれは必然的な手拍子だった。受け止めようとして逆に攻めが調子づいてしまうということはよくある。
 結果、どんどん攻め込まれて、受けの難しい形に追い込まれることになった。
「受け方がない!」
 そうなって初めて攻め合うという発想を抱くけれど、それではほとんどの場合、一手遅れているのだ。
 最初から攻める発想を持っていれば、それ以前にそのタイミングはいくらでも見つけることが可能だ。受けがないということは、攻めが厳しさを極めているという証で、本当に攻め合いに出るべきタイミングは、受け方がないところではなく、受ける必要がないところだと言える。要はより主体的に、積極的に見つけるべきということだ。


・受けを学んでしまった

 もっと以前なら、そもそも自陣に飛車を打って受けるという発想自体浮かばなかったかもしれない。当然、ノータイムでそこに手がいくということもあり得ない。言わばそれは学習の結果、あるいは途中経過としての(前向きな)失敗でもある。攻めだけに満足していれば、受けを学ぼうとしなければ、受けて間違うことはないはずだ。新しい言葉を覚えた子供は、的外れでも何でもやたらとそれを使ってしまうものだ。デタラメを交えながら、だんだんとバランスを取り精度を向上させていく。将棋にもこれと似たようなところがあり、上達の過程で失敗はあるし、成績が下がることも珍しいことではない。


・一段落をつけたかった

 まずはしっかりと受け止めてから。一段落をつけてから、思い切って攻めたい。どこかにそういう考えもあっただろう。例えば、ちゃんと宿題をやってから心置きなく遊びたい。歯を磨いてから眠りたい。大掃除を済ませてから年を越したい。そのような考えの人は多いのではないだろうか。だが、よほど形勢が離れていれば話は別だが、際どい将棋であるほど、それほどわかりやすい段落をつけることは、現実的ではない。
「完全に憂いが去るのを待ってから……」
 言わばそれは絵空事だ。遊びながら宿題に当たり、歯磨きしながら仮眠を取り、モップをかけながら餅をつく。将棋の中の暦はいつもカオスなのだ。一段落を待って攻め合うことはできない。では、どこで?


・終盤の覚醒 ~強さとは?

 もしも、寄せ合いのモードに入っていれば、飛車取りでも何でも手抜くことを考えるだろう。だが、入っていなかったら……。
 感覚の切り換えが上手くできなれば、「駒損の壁」を越えられない。損をしてはいけない。ただで取られてはいけない。飛車を取られてはいけない。と金を作られてはいけない。「損をしない」ことに囚われている内は、攻め駒ウォッチャーとなり視野が限定的になりがちだ。駒の損得というものは、元から相対的なものではないか。例えば、序盤の角交換だ。一瞬、角を取られるがすぐに取り返せるので駒損ではない。代償があればよいのだ。剣術的に言えば「肉を切らせて骨を断つ」だ。将棋という激しいゲームの性質上、そのような感覚の切り換えが重要になる。

「終盤の強さ」=「寄せの技術/詰将棋の力」?

 そこは潜在能力/底力とはなるが、それだけでは上手くいかないことも多い。人間はAIとは異なり、最初から最後まで一貫して手を探すことはできない。現在地を探りつつ読みを絞っていかなければならない。初手から詰み筋を読むような真似をしても無駄に疲れるだけだろうし、終盤は終盤を感じてスイッチを入れることが普通だろう。
 いくら詰将棋が得意でも、手がみえても、終盤がみえなかったら? 発想が終盤的に働かなければ、力を出し切れないのではないだろうか。
 重要なのは「覚醒の早さ」(的確さ)だ。
 終盤は序中盤でも現れる。故に本当に終盤が強い人というのは、序盤から強い。または序盤も含めて強くなっていくものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

純粋振り飛車党の試練

2022-11-15 07:38:00 | 将棋ウォーズ自戦記
端角に浮き飛車玉は中住まい 久々君のアヒル戦法

こいなぎの猛者がのぞいた端角に一か八かの端攻め決行!

筋違い角に対して飛車を振る純粋振り飛車党の覚悟

中飛車を離れて振った向かい飛車 こいなぎ流の弱点はどこ?

嬉野の攻撃陣を軽くみて頼るは美濃の一路の深さ

厚みから押し潰されてさばけない振り飛車党の歯痒き未熟

ミレニアムかと思いきや怪しげな動きをみせて地下鉄飛車だ!

ごきげんに微笑み返し飛車を振る君も純粋振り飛車党か

戦法に名があるなんてすごくない? 君は飯島流の使い手

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表現者たちの角不成 ~似て非なるもの

2022-11-01 06:15:00 | 将棋ウォーズ自戦記
76歩 34歩 22角不成!

 その瞬間、あなたは何を思うだろうか。
(あるいは思わないだろうか)

 対局が進むとわかってくる。ああ、この棋士は不成の人なのだ。恐らくは完全に必要不可欠でない限り、角を飛び込む時(ほぼ同何かの時)には不成だということがわかってくる。
 成っても成らなくても取る一手ならばほぼ(結果は)同じ。
 一方で駒は強く使うことが通常だ。角と馬ではその差は歩とと金ほどではない。たとえ取る一手だとしても、歩を不成で使うケースは希だろう。また、銀、桂、香の場合は成れば必ず強くなるとも限らない。不成が現れて何か自然でないと感じるとすれば、圧倒的に角なのだ。たった3手目で実現できるのも角のみだ。
 ソフトの桂不成などはおなじみだ。どう考えても成った方がいいと思える場面でも、不成を選択する場面がある。

(取り返す一手ならば同じこと)

 合理的に考える人はそう結論づけることができるかもしれない。だが、ソフトと血の通った人間のすることでは、別の意味があると思う人も多いだろう。アナログとデジタルの違いもある。実際の盤では、駒を反転させて成るという行為は、明らかに一手間かかる。秒を読まれてやむなく不成になったという局面はいくらでもある。
 将棋ウォーズの場合はどうだろう? 右か左か、どちらも手間は変わらない。むしろ、ほぼ成った方が正解なのであれば、そちら側に癖がついていても自然だろう。完全に手間が同じであるなら、その角不成を棋士はあえて選んで指しているということだ。(面倒で成らないというアナログ的主張は成立しない)

(取る一手ならば同じこと)

 同じであるということは、どちらでもいいというになる。問題は何も存在しないとも言える。
 どちらでもいい。どうでもいい。これは同じことだろうか?
 同じであるはずなのに、決まって不成……

「棋士は、それによって何かを表現しているのではないか」

 不成の棋士と対戦した後、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
 アナログの名残、弾丸における時間切迫の演出、何らかの怒り、0.1秒と合わせての威圧、合理主義者の矜持、そうした何か、またはそのすべてを語ろうとしている。
 あるいは、(表現している)と思わせることに狙いの本質がある場合もあるだろう。もしも、対局中に「表現」などについて考えてしまったとしたら……。それは棋理とはまるでかけ離れすぎている。余計なことを考える内に指し手が乱れ、まともな将棋が指せなくなってしまうことだってあり得るのではないか。
 盤を離れてからあれこれ思うことは別に悪くはない。けれども、対局中は局面にだけ集中すべきだ。心の裏まで読み取ろうとする試みには、将棋を壊してしまう危険も潜んでいると知っておきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の出番

2022-06-24 01:55:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 わるい局面では一手も勝ちがない。(相手を楽にさせないことが望まれる)ぎりぎりの局面では一手しか勝ちがない。
 よい局面では、勝ち方が何通りも存在することがある。その意味では最善手は1つではない。勝ち方を選ぶ自由が許されるのだ。(また、将棋の局面には絶対地点と分岐地点が存在するようである。例えば、駒が当たっている時にはこの一手であるという傾向が顕著だが、割と手が広くどれを選んでもそうわるくならないという局面がある)
 どこからどのようにして勝つか。よい局面では考えることができる。
 その時にこそ人間が出る。(個性を出せる)
 AIにとっての最短ルートをなぞる必要はない。
 人間には「この一手」として見逃さない一手と、全く発想の外に出てしまう手が存在する。自分にない手で将棋を作ることはできない。人間にとっての強さとは、自分を知ることだろう。
 自分にとって明るい道を行くことだ。

「最善手はお前が決めろ!」
 そう言って棋神が僕を突き放す。


~AIの寄せを真似することはない

 ソフトの推奨する最善手を人間が引き継ぐことはない。人間には人間同士の戦いがあり、人間なりにやった方がいい。ソフトは1秒で億の手を読めるが、人間は一瞬にして何も読むことなく悟れるし、感じることができる。人間には人間の領域があって、人間と人間の戦いの中では、人間力を頼るべきなのだ。

 AIの寄せをみていると持ち駒をため込んで一気に詰まし切るような傾向を多く感じる。(そこで駒を取ってるのか。何か温いな。でもよくみるとこれでちゃんと詰んでいますよみたいなことがある)詰む詰まないがはっきりわかるから何の問題もないのだろうが、人間的にみていると少し「危なっかしい」とも思える。最終的に将棋は詰む詰まないのゲームだから、そこの読みの精度の差はどうしようもないが、短い時間の将棋の中で詰みを読み切るというのはとても大変だ。(そればかりか慌てている状況では、初歩的な詰みさえ見逃してしまうのだし)だけど、詰ますことが絶対じゃない。状況が許す限り、別に詰まさなくてもいいではないか。

 人間的にわかりやすい順であることが何より大切だろう。玉を包むように寄せるとか、下段に落とすとか、基本に沿った方がいいと思う。
 人間にとってわかりやすい寄せは、自玉を瞬間的にゼット(絶対に詰まない形)の状態にして、敵玉に必至をかけることだ。 



明け方の将棋ウォーズで振り合った
ライバルは香一枚強い
(折句「アジフライ」短歌)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詰んでいるのに負けてしまう

2022-06-22 03:58:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 集中力を持続させることは難しい。今日はそんなことを学んだ。

 相振り飛車は囲い方に迷う。金無双はバランスが良さげだがつぶれる時のあまりの脆さは悲しいほどだ。美濃に組んだら組んだでいきなり端攻めを覚悟しなければならない。できれば自分から攻めたいものだが、相手がいることでそう上手くはいかない。

 相手は端に力を集めて攻めてきた。少し無理だったので受けが成功した。玉が先頭に立つ受けで相手の攻めを受け止めて、中段玉の陣を築いた。相手の攻撃陣にプレスをかけて押し返した。攻守逆転、とうとう相手の飛車を11の地点にまで追いつめた。そして完全に飛車が詰んだ。必勝だ。潔い相手なら投了も考えることだろう。とは言え、まだ相手の玉は王手もかかってない。時間勝負の要素も残っている。相手は投げる気配もなく、詰んだ飛車を放置したままかゆい攻撃を繰り出してきた。

「はいはい、何ですか?」
(いつでも飛車は取れる)
 なぜなら詰んでいるのだから。そして急ぐ必要は何もない。
 同歩同歩。ささやきでも何でもすべて聞いておこう。雨が完全に上がって大人しくなってから、ゆっくりと飛車を取ればいいのだ。(細かなことを気にして時間がなくなったら大変だ)僕の方針はシンプルなものだった。

「はいはい、みんな取りますよ」
 突っかけられるかゆい歩はみんな取った。
 続いて相手は馬に働きかけてきた。勿論、大事な馬をやるわけがない。詰んでいる飛車との交換など論外だ。(まあ要の金と差し違えるならありだな)僕は馬を逃げながら敵陣の一段目に潜り込ませた。すると相手は自陣にいた香を走らせた。

「まだ何か?」
(そろそろ雨は上がらないかな)
 僕は当然のように香の相手をした。
 その時だった。
 相手の飛車がさっと動いた。

「えっ?」どこへ行く?
 何と詰んでいた飛車が動いて一段目の馬を取った。
 飛車が生き返った!
 馬を取られた!
 まるで魂を素抜かれたみたいだ。

(投了もやむなし)

 頭を下げるのは今や僕の方になってしまった。
 ああ、将棋とはなんと恐ろしいゲームだろう!
 その後、目標を相手の玉に切り替えて何とか食いつこうとしたものの、戦力不足は否めない。最期は復活した飛車が活躍して見事に詰まされてしまった。


 ~巧妙なトリック(種明かし)

 仕掛けは単純だ。相手の自陣にいた香が走ることで飛車の進路が開けた。同時にそれがこちらの馬にも直射していた。勿論これらは偶然なんかではない。こちらの油断を利用した巧妙な罠だった。

(詰んでいるのは絶対じゃない!)

 将棋において唯一絶対と言えるのは、王様が詰んだ時だ。将棋ウォーズでは、即ゲームオーバーとなる。優勢や勝勢、必勝なんていうものは、それに比べれば全く危うい状態でしかない。「飛車が詰んだ」などという状況はまだ何も手にしていないのだ。逆転は心の隙に潜んでいる。
 飛車が詰んだという一瞬の状況を、僕は楽観してもう飛車を手にしたような気になった。相手のかゆい手に応接する内にもう勝ったかのように楽観した。「かゆい」部分こそが相手の罠の中のカムフラージュなのだった。あえて緩い手、どうでもいい手を交えることにより、こちらを油断させ視野を狭くさせ従順にさせていた。そして、頃合いを見計らって馬に狙いをつけ、香をおとりにした飛車復活&馬ただ取りの大技を成功させた。本当なら詰んでいた飛車だし、取られることない馬だった。(自陣に打った香が動いて大駒の利きが通るというのは視野が狭くなっていると見落としやすいので特に注意したい)

 いくら楽観しているとは言え、すぐに香を走ったりすれば、相手の狙いに気づけたと思う。そこの間の取り方が上手い。しばらく死んだ振りをして、弱い手、意味不明の手、どうでもいい手を、色々と挟んでいる。そういう逆転術もあるのだ。
 どうでもいいような話を長々とする人がいる。しかし、どうでもよさげな話の中に、重要な秘密が隠されていたりすることがある。あまり決めつけてはいけない。
 飛車が取れそうなだけで勝ったように決めつけては、勝てる将棋も勝てなくなる。玉が詰むか相手が投了するまでは勝ちではない。極めた人ほど、そこに至るまで感情の揺れは少なく、楽観もしない。
 けれども、ほとんどの人は飛車が取れればやはりうれしいのではないか。


 ~将棋の喜びはどこにあるのか?

 一番うれしいのは玉を詰ませた時か?
 形勢優位を実感して勝つためのビジョンを頭の中で組み立ている時間。そこにも将棋を指していて幸福な時間がある。
 天王山に角が躍り出た時、相手の飛車を取った時、要の金をはがした時、と金を作った時、馬を引きつけた時、一間竜で迫った時、底歩を打った時、穴熊を再生させた時、よい手を指せた時、形勢に手応えを感じた時、その時々で喜んだり楽しんだりすることは、決して悪いことではないと思う。
 楽しむのはよい。(但し、浮かれないこと)


「悪くなかった。勝負には負けたけど」

「ふん、つまるところは言い訳よ」

「内容は光るものもあったのでは?」

「手拍子が出てしまうのも、3手詰めを逃してしまうのも、みんな実力よ」

「でも時間がなかったし」

「ちゃんと考えたら指せる?」

「少なくとももう少しは」

「そとは限らぬ! 直感が指すところにこそ実力は表れるものじゃ」

「時間に追われれば人間はおかしくもなるんです。神さまにはわからないかもしれないけど」

「わしは今忙しい! お前と違って引っ張りだこじゃ!」

「また教えてください」

「好きに楽しむがよい」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の最後に惜しくなる ~一手で風景は変わる

2022-06-21 01:30:00 | 将棋ウォーズ自戦記
「決め手を逃すと勝ちは逃げて行くもの」

 特に切れ負け将棋では、決め手/明快な順を逃さないことが大事になってくるかと思う。どんなに形勢がよくても、勝ち切るということは大変である。直前まで筋よく指せていたのに(子供のようにのびのびと指せてたのに)、勝利が近づいた瞬間、足が止まってしまうことがある。

 勝ち切ろうとすると負けがちらつく。安全に勝ちたい。リスクを冒したくない。損したくない。王手されたくない。頓死したくない。何もさせたくない……。様々な邪念に突然支配されはじめると指し手が止まり、直感を曇らせ判断を狂わせてしまう。

 詰みまである局面で必至もかけられず、重い手を指して駒得に走り玉を逃がしてしまう。急に10級以前に戻ってしまったような指し回しになる。

 最後の最後になって惜しくなるのだ。
(いったい何が?)

 将棋というのは怖いゲームで、たった一手緩んだだけでガラリと風景が変わってしまうということがある。大きく形勢をリードしているようにみえる時でさえ、「どうやっても勝ち」とか、そういうことはまあないと考えておいた方がいい。
「最後は何も置いていくな」
 全部捨てて(使い切って)勝つという心がけが大事になる。


~終盤とモラトリアム なぜかぼんやりとした手を……

 何かを惜しみ、何かを恐れて
 まるで手番なんか欲しくないというように
 攻防の一手/価値の高い手とは反対の方へ
 局面が忙しくなることを避けているのか

 起点をつくり 
 それが消えていく間に次の起点をつくる
 そうしてどんどん手をつくっていく
 本来、寄せとはそういうものだろう

 戦力が整えば
 機が熟したならば
 道を狭めていく
 蓄えたものは捨てていくもの

 ためらうものではない



♪♪ 時間切れ負け ♪♪

「お前には極められぬかもしれんの~」

「途中はよかった。指が遅かっただけだよ」

「指が遅いんじゃない。指し手が緩いんじゃ」

「何だって?」

「相手は考える必要もないくらい余裕なんじゃ」

「余裕……」

「やっぱりお前には極められぬかもしれんの~」

「手が緩いのか」

「手を厳しく鍛えることができねばとてもとても無理じゃ」

「弾丸はスピードだけじゃ駄目なんだね」

「スピードにおいてもお前は並以下じゃ。遙かに以下じゃ」

「厳しいな」

「お前には何年かかっても極められぬかもしれぬ」

「……」

「お前じゃない誰かが極めることになるやも」
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

居飛穴の強襲とと金攻め

2022-06-18 01:01:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 3分切れ負けはスリリングなゲームである。高い集中力を持ち決断よく指していかなければとても勝てない。けれども、どういうわけか自分の時間ばかりが減っていく。割とぽんぽんと指しているつもりなのに、気づくと1分以上も離されている。攻めつぶされて負けることもあるし、せっかく勝ちになったと思ってもしぶとく受けられて詰みまでたどり着く前に時間切れ負けになってしまう。何とも言えぬあっけない感じから逃れて、10分切れ負けで挑むことにした。それなら少しはちゃんとした将棋になるかもしれない。

 三間に振ると相手は居飛車穴熊に組んできた。石田に組もうとすると相手は早速仕掛けてきた。角道をこじ開けようとする手に桂を跳ねずに角を上がったので角交換になった。一歩得でそう悪いようには思えなかった。角を打ち込まれて香は拾われるが、さて。そう思っていると相手は直接飛車取りに角を打ってきた。桂取りを受けて馬に当てると相手は1秒で馬を切って飛車を走ってきた。3分のゲームなら慌てふためく間に負けてしまうかもしれないが……。これは10分、これくらいの強襲は(相手の穴熊も完全体ではないし)何とかなると思った。

 僕は6筋の銀を前に進めて単純に飛車をさばいた。しかし、これには居飛車の金銀をさばかせる意味もあって、もう少し厚く攻める方が勝ったようだ。相手は美濃崩しの金を打ってきた。僕は自陣に歩を打って竜の利きを遮った。すると相手は自陣に金を打ち竜に当てた。竜を追い払うと強引に歩を払い竜を活用した。銀取りだ。

 僕はあまり考えずに銀の横に金を打った。受けの形だ。但し、それはと金攻めがない場合で、ある場合は遠くから角で受ける方が勝る。(と金攻めに対しては、遠くから受けた方が受けやすい意味がある)相手は竜の力を頼りに歩を垂らしてと金攻めを狙ってきた。竜とと金。これはなかなかうるさいコンビネーションだ。堅陣をバックにと金だけで負かされることもあり得る。しかし、と金攻めを完全に受け切ろうとすることも危険である。(受け切ることは大変)ある程度は面倒をみながらも、機をとらえて寄せ合いに持ち込む方がよい。(相手の玉が鉄壁でなければ可能)

 しつこいと金攻めは受からないという反面、攻撃が重くなる意味がある。攻めの厚いと金が壁となって竜の直射を邪魔することで、玉にたどり着く前にはゼット(絶対に詰まない形)になりやすい。その形を狙って、一気に反撃するのだ。完全に「受け止めよう」とすると受けに主眼がいってしまい、攻め合うという発想そのものに蓋をしてしまう。

 僕はもう一枚の金を投入してと金づくりを防いだ。すると相手は銀を打ち、銀を成り返って数的優位を築きあくまでもと金づくりを狙ってきた。僕は自陣角を打って竜を追った。ここだ! と思って狙いの桂を跳ねた。(天使の跳躍)銀取りになっているが真の狙いは別にあった。相手はと金をつくった。

 僕は予定通り盤の中心に角を打った。次に竜で穴熊の要の金を食う手があり、間接的な王手飛車ほど厳しい一手のはずだった。飛車が消えれば受け切れる。それが僕の(甘い)読み筋だった。相手は竜を切ってきた。同じく玉の一手にと金でもう一枚の金を取る。またもや同じく玉の一手に、一転して自陣で当たりになっている銀を上がって角に当てた。その瞬間、天使の跳躍が完全に空を切った。王手王手で玉を囲いから引き出されたことが痛すぎ、角を渡すとこちらが詰めろになってしまう。そうでなければ角を切って攻めたいところを、後手を引いて逃げるようでは明らかに変調だった。こういう筋は、と金が重くなっている間に決行すべきだが、竜が直射している時に技をかけにいっているところが感覚的に甘かった。

 後手を引いてもまだ耐えられるかと思っていたが、玉のいたスペースに金を打ち込まれると簡単な寄り筋になっていた。6筋に成り返った銀と金との迎撃から逃れるには、受ける駒がなさすぎる。仕方なく銀の上の歩を突いて逃げ道を開けたが、銀の下に金を重ね打たれていよいよ受けがない。角取りに繰り出された中段の銀が、抜群の存在感を持って輝いている。僕は力なく銀を引いた。(取られて駄目だ)すると相手は右辺に香を打って更に力を溜めてきた。そうか、それでも駄目なのか。

「何とかあの成銀にアタックできないかな……」

 引いた銀が負担になっているのが痛く、そんな筋はどこにもなさげだった。自陣に眠る角が泣いている。銀が……。
 残り1分。あきらめかけたその時、盤上この一手とも言える一着に気がついた。そうだ。銀を動かせばいいのだ。相手の香はやはり逸機だったのだ。取りそびれた銀を左に上がりあの成銀に当てる。僕は力を込めて銀をタップした。一瞬の大逆転だった。驚くほどに寄りがない。(やはり終盤は怖い)以下は、二枚飛車を使って寄せていけばいい。

 僕は玉を一つ上がり絶対に寄らないようにした。相手は自陣に駒を埋め、何とか時間を削り逃げ切ろうとする。王手がかかる。少し逃げ場所に迷う。輝いていた銀を角で切る。自陣に眠っていた角が、とうとう寄せに参加する。また王手をかけられる。中段にまで飛び出していく。あと少し。要の金を竜で切る。これで受けはない。最後はすべての大駒が大活躍して居飛穴玉を詰ますことができた。残りは4秒だった。10分だから、少しよい将棋が指せたと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする