眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

クリスマスドリーム

2014-12-25 19:04:10 | クリスマスの折句
 追われなければどこにも進めないことがわかったので、引越しの準備に追われることに決めて部屋中の整理を進めているとすぐにそれは容易なことではないことに気がつきました。引き出しを開けると書きかけの漫画が出てきました。それは昔、まだ筋書きという言葉の意味もわからなかった頃に書いていた短い漫画だったのです。ああして、こうして、そうなって、これはこれで、それでこういうわけで、あの時考えかけて、途中まで考えていたのに、結局最後まで行き着くことができなかった筋書きが、今更だけど気になって、私は手を止めて少しだけ考えてみることにしたのです。してしまったのです。ああして、こうして、これこれこれで、そうなったら、こうなったで、これならこうだけど、それはどうも、そういうわけで、つまらないことです。そういうわけだから容易なことではありませんでした。長年放置しすぎた空間に、昔の自分が置いていった忘れ物が多すぎたからです。戸棚を開けると作りかけのレシピが出てきました。それは当時夢中で取り組んでいた創作料理の1つだったのです。あれこれかけて、醤油を足して、こうしてそうして、混ぜて合わせて、固めてから一晩寝かせて様子をみる。フライパンを大きく振って、蜂蜜を加えたら、それからとっておきのエッセンス……。けれども、その秘密の部分が破れていて何かわからないのでした。これではせっかくの傑作料理も完成することができません。完成しなければ、誰かに食べさせて感想を聞くこともできなければ、自分自身の空腹を満たすことだってできません。もう昔のことだから。そうして私は正しい現在地を取り戻しては作業を進めるのでした。


作業を進めるにつれそれはとても容易なことではないのだということに、ますます気づかされます。洋服箪笥を開けると弦の切れたギターと書きかけの楽譜が入っていました。すぐに弦をつなぐと音を調節して作曲を再開しました。それは遠い昔、どこかで聞いたことのあるような曲でした。風が吹いて木が揺れています。開いたカーテンの隙間から夜が入り込んでだんだんと暗くなってしまった後でも、木は影となってより一層の激しい振りで風の豊かさを表現しようとしている。そのような曲でした。けれども、あるところまでやってくると突然空気が異様な変化を示して、指にかかった弦を断ち切ってしまうのでした。何度つなぎ直したところで、結果は同じことでした。もう2度とそこに触れることはやめておこう……。


 私は本当は漫画家になりたかったし、本当は料理人になりたかったし、本当にギタリストになりたかったのです。
そのようなことが思い出される夜、私は引越し用のロケットに僅かな荷物と一緒に乗せられて、天上まで運ばれていくのでした。遠くに映る星々が夢粒のように、生まれたり消えたりしていく様子を眺めていると、次のような歌が浮かんできました。それはクリスマスの折句でした。

熊さんは
理想のパパの
スタイルで
窓辺を占めて
スピノザを読む

 歌は、夕べみた怪獣とアップルティーの夢のようにあっけなく飛んでいきました。





「人間ってかわいいなあ」
 人間だった頃には、少しも気づかなかったのに……。
 私はしばらく天上に篭る間に、人間たちの物語でも書いてみようと思い始めました。


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漫才の鬼 

2014-12-25 01:28:55 | ショートピース
「来年はワールドカップですね」

最前列の鬼らがどっと沸いて、いきなりつかんだ。それから今年あった様々な身振り手振り、おもてなし倍返しなし崩しについてボケて突っ込んでを繰り返すものの、場内の空気は一様に静まり返っていた。

「また来年」

締めの一言でようやく小さな笑い。#twnovel
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炒飯 

2014-12-24 21:09:28 | スモールライト
チャーハンと言うとやきめしと言う

やきめしと言うとチャーハンと言う

何ですか

何ですか

中華ですか

中華ですよ

ありがとう!

いいえ どういたしまして!
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停滞物語

2014-12-24 01:32:25 | ショートピース
「どんぶらこ、どんぶらこ」おばあさんはしゃがれた声で、川を流れてくる様子を語る。「どんぶらこ、どんぶらこ」子供たちは身を乗り出して続きを待っているが流れていくのは時間ばかり。「続きを聞くにはモアモアペーパーに入会が必要」当惑する子供たち。生まれてきたのは夜だった。#twnovel
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キッカー

2014-12-23 12:04:52 | ショートピース
フリーキックを蹴るのは誰だ? 先輩ここは一つお願いします。駄目だ俺お腹痛いと10番。目立つからいいよと11番。俺はタイプじゃないよと9番。走って戻れるかよと1番の叫び。蹴るのは他でもない僕のようだね! 猫がボールをセットする。厳重な壁がゴール前に築かれる。 #twnovel

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セロテープ

2014-12-23 11:41:56 | ナノライト
ピンと張ったセロテープの上を渡る

体重はカナブン以下に保ち

表面を渡る時は滑らないように

裏面を渡る時はくっつかないよう

注意が必要
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真実の口

2014-12-23 03:28:05 | ショートピース
「もっとかけるようにしてあげるよ」甘い言葉に誘われて、ためらうことなく口の中へ入っていった。ボロボロと私は削られていく。「ありがとう。もう結構です」10センチはあった身の丈はもう見る影もなく、私はすっかり空っぽになったんだ。残された見えない芯だけを頼り、私は語る。#twnovel
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猫入門

2014-12-23 02:06:59 | ナノライト
のどの奥をゴロゴロ

鳴らしていると

すっかり猫になってしまった


高く跳ぶ

 深く夢見る

  春に恋する
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クリスマスループ

2014-12-22 03:34:42 | クリスマスの折句
 遅かったねと少年は言いました。1度も見たことも会ったこともない少年でした。約束なんてした覚えはないと私は言いました。少年は胸に大事そうにボールを抱えていました。
「待っていました」
「誰を?」
「約束なんてしていなかったから、僕はずっと待っていました。約束なんてしていなかったけれど、あなたはやってきました」
 ボールを土の上に下ろすと私に向かって右足を振りました。私は右足で受けて、少年に向けて蹴り返しました。少年は右足で受けて、右足を真っ直ぐ振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって、ちょうどよいスピードで飛んできました。私はそれを右足で受けて、今度も右足で蹴り返しました。理由のないパス交換が始まりました。今度は少年は左足を振りました。ボールは右足で蹴った時と同じような正確さで、私の方に飛んできました。今度は左足で受けましたが、ボールを少し弾いてしまい、小走りになって追いつくと右足でボールを蹴り返しました。ボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えていきました。
 突如、雲の切れ目から月が顔を出しました。休みなく体を動かしていたので、少し息が切れるのを感じました。月夜の中に、しばらく私は立っていました。冷たい12月の風が首から胸元にかけて入り込んできました。木々を揺らし、土を乱し、落ち葉を躍らせる風は、やがて灰色の雲をかき集めて、月を引っ張り込んでしまいました。
「待っていてくれたんだね」
 闇の中から少年の声が聞こえ、輝くボールが地を這って戻ってきました。
「約束なんてしていなかったのに、待っていてくれたんだね」
 少年は左足を振りました。ボールは真っ直ぐ私に向かって飛んできました。私はそれを右足で受けて右足で蹴り返しました。一度始まったパス交換には、もう深い理由は必要ありません。来たボールを返す。待っているとまた、やってくる。互いにただそれを繰り返すばかりです。
「もっと強くていい?」
 少年は右足を振りました。正確にコントロールされたボールは、ちょうどよいスピードで私の方に向かって真っ直ぐ飛んできます。
「もっと強くてもいいよ」
 私はそれを左足で受けて、右足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったのですが、ボールは少年の左足に難なく納まって、少年は左足を振りました。少し速いボールが真っ直ぐ飛んできて、私はそれを右足で止めると、今度は左足で蹴り返しました。少し強めに蹴ったボールは大きく逸れて、少年は闇の中に消えてしまいました。
 突如、雲が散って空の中から月が顔を出しました。ずっと動いていたせいで、冬だというのに体は汗ばみ、節々に微妙な違和感を感じました。しばらくしても少年が戻らないので、この機に乗じて逃げ帰ろうと思いました。けれども、なぜか月がすぐ傍で見張っているような気がして、その刺すような光が私の足をこの地に釘付けにするのでした。
「やっぱり、待っていてくれたんだね」
 背後から声が聞こえました。それは月が雲々に捕獲されると同時でした。
 少年が意気揚々と左足を振り抜くと、輝くボールが真っ直ぐ私の方に向かって飛んできました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「頼りなくてごめんね」
 少年は左足で受け止めるとすぐには蹴り返さずに、そのままボールを左足で踏んでいました。
「僕はすぐに見失ってしまうから」
「そんなことはないよ」
 少年の左足から返ってきたボールを右足で受けて、少し強く少し慎重に右足を振りました。ボールは真っ直ぐ少年の中心に向かって飛んでいきました。少年は右足で軽く受け止めて、右足を真っ直ぐ振りました。少し強めのボールが真っ直ぐ飛んできました。私は左足で受けるとボールは少し前に弾みました。一歩前に踏み出して私は左足を振りました。ボールは大きく逸れましたが、それよりも早く動き出していた少年の足先が失われるはずだったボールを巧みに絡め取りました。
「もしも僕がシュートを打ったら……」
 何事もなかったように、少年はパスを返してきました。私は右足で受け止めて右足で蹴り返しました。
「どうなると思う?」
 少年は右足で軽く受け止めるとすぐには蹴り返さずに右足で踏みつけました。中に含まれる空気を足の裏で味わうように触れながら言いました。
「どうなるの?」
 強く正確なシュートが想像されました。幾度も繰り返されたパス交換が、シュートの弾道を導き出していたからでした。私は決してそれを受け止めることはできないと思いました。
「虹がかかるんだ」
 少年からのパスを左足で受けて右足で蹴り返しました。徐々に私の蹴り返すボールは勢いを失い、少年の足元に届くまで少しずつ時間がかかるようになっていきました。その僅かに開いた時の隙間で、少年は何か空想を始めている様子でした。
「試してみる?」
 衰えることのない少年からのパスが、変わらない強さと正確さを帯びて、私の中心に飛んできました。少年の表現するところの虹がどんなものか、私はその美しさに憧れながら、一刻も早くこの場から消えたいと思ったのでした。 
 最後の力を振り絞って、私は左足を力一杯振り抜きました。力一杯振ったのに、その速度はあまりに遅く、私は遠く離れた場所で自分の脚が描いた軌道を見送ることができました。それはゆっくりと空に向かって伸びていったのです。もうすぐ月が現れて少年を呑み込んでしまう……。既に影へと変わり始めている少年の形を見つめていると、次のような歌が浮かんできました。それはクリスマスの折句でした。

クラウチの
離陸に合わせ
凄腕が
的当てをする
ストークシティ

 歌は、緩やかな放物線を描きながら月夜の風に乗って飛んでいきました。

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別れの言葉

2014-12-22 03:07:14 | ショートピース
女は帰途へ着こうとしていた。静寂の広場に駆け込み「もう駄目?」男は息を切らし問いかける。女は靴を手に微笑んでいる。「もう終わり?」もう1度男が問うと「あなた年収は?」と女は問うた。男は小声で答えた。「もう帰るところだから」女は答えた。じゃあ、と言って2人は別れた。#twnovel
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大胆な猿

2014-12-16 00:43:48 | 夢追い
「今度はヘディングでいくよ!」
 ボールを持って再びゴールから離れる。無人のゴールでも、外してしまうことはあるけれど、決まったとしてもどこか味気なくもある。その点、キーパー1人いれば、話はまるで違ってくる。全くキーパー1人が前に立っているというだけで、ゴールはどうしてこんなにも小さくなってしまうのか。どれだけゴールを決めることが複雑で、難易度の高いものになってしまうことか。そして、ゴールを決めた時の喜びが、何倍にも何倍にも増すことか! ゴールが決まった時に、キーパーが少しくやしそうに笑う時の顔が好きだった。全く、キーパー1人いれば、朝から晩まで、春から夏まで、子供から大人まで、いつだって、いつまでも、永遠に遊び続けることができるのに……。だいたい期待はいつもふっと裏切られて、キーパーは家族や大事な誰かに呼ばれたり、家族や複雑な事情が絡まって遠くに引っ越していってしまうのだ。
 振り返った時には、やっぱりキーパーはいなくて、無人のゴールが風を食べながら膨らんでいた。

「1対1の力なんだよ。足元の技術なんだよ。ボールを懐に入れたら、厳しく冷たく自分のものにし続けるんだよ。保持する力は、奪取する力にもなるんだよ。激しさが足りないね。君はすぐに寝ちゃうからね。もっと激しくないと駄目だろうよ。1度ギャラクシーの練習に顔を出しなさい」とコーチは持論を述べて、山岳の秘密特訓に招き入れたのだった。

 頭からドリブルだと思っていたのだが、案外メニューは動きながらのパス交換から始まった。止めて、蹴る。基本が大事。蹴る時は大きな声で hola!と声を出すように!
「hola!」
 日本語で大声を出すのは恥ずかしかったが、横文字だということで、気楽に声を出すことができた。止めて、蹴って、走る。厳しい山岳地帯の中で、素早くポジションを変更しながら、パスを交換する。転ばないことにも細心の注意が必要。
「hola!」
「hola!」
「hola!」
「hola!」
 順調につながっていたが、逆に調子に乗りすぎて、動きが先走ってしまった。自分のところにパスが届く前に、次のポジションに走り出してしまったのだ。遅れて届くパスの受け手は、誰もいない。岩の間を縫って、ルールを失ったボールが転がっていく。戻らなければ。責任を持って、戻らなければ……。
「大胆な猿がいるぞ!」
 誰かが山を見上げながら叫んだ。賑やかな特訓に、興味を持って下りてきているのかもしれない。逃げていくボールを追っていくと、まだ手乗りサイズの小さな猿が地面を歩いていた。カブトムシのように小さい体で、目はぱっちりと開いて顔から突き出ているように見えた。不規則に跳ねるボールと手乗りの猿に注意が分散されて、気づくと小さな岩に足を取られてしまった。咄嗟に手をついて、全身をかばった。大丈夫、骨は折れていない。
 気がつくと、青年の猿が目の前に立っていた。
「何を磨いているんだ? こんなところで」
「個の力です」
 今度はこちらが質問する番だったが、言葉に詰まった。
「あなたはなんて素敵なんだ!」
 猿の方から沈黙を破って言った。
「立派な猿になることを目指しています!」
 さわやかに青年の猿は続けた。
 それはそれは。(誠によい心がけ)
 また会う日まで。
 話も済んだし、立ち上がろうとしたが、体が岩のように重たかった。
 青年の猿も、直立したまま傍を離れなかった。
 そして、山の流儀と言わんばかりに大量のおしっこを浴びせてきた。
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ブラック・アンド・ブルー

2014-12-13 20:23:45 | ショートピース
ガンバって何なのという問いに1990年から答えかけてすぐに無力感に包まれた。火星人にアメリカの首都を説明する時の気だるさを思い出していたのだった。聞く相手と話すべき内容を合わせなければ虚しくなるだけ。重要なのはコンパクトにすることだ。
「ヤットのいる場所だよ」 #twnovel
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法の煙

2014-12-11 00:59:48 | ショートピース
百害あって一利あることが確認され、全面禁煙禁止法が施行された。今後はどんな小さな店でも必ず一人前の喫煙スペースを確保しなければ、法律違反となるのだ。
「いらっしゃいませ。お煙草はお吸いになりますか?」
はいと答えるとランチボックスの中に押し込められてしまった。 #twnovel
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飛行機!飛行機!

2014-12-10 05:32:57 | 夢追い
 人の気配を感じて開けかけたドアを閉じた。
「誰だ?」 
 威厳に満ちた声に吸い込まれるように、部屋の中に入った。
「いつもと違う方向から来たので、迷ってしまいました」
「迷った? ここは金庫室だぞ」
「迷子で……」
 更に追及されることを恐れ、体は硬直していた。
「それならこちらから帰りなさい」
 特別に社長の家の中を通り抜けることを許された。脱いだ靴を手に持って、光沢のある床の上を歩いた。長い廊下を抜けて、奥へ奥へと進む。突然、足元に小さなボールが転がってきた。拾うかどうか迷っていると更に次のボールが飛んできて、頭に当たった。子供たちの笑い声がして、今度は一斉に飛んできた。拾うどころではない。新しい標的を見つけてうれしいのか、集まった子供たちは次々とボールを投げつけてくる。ボール遊びが好きな家のようだ。当たりながら、居間を抜け、台所を抜け、裏庭に出ると今度は犬が吼えながら追ってくる。両手を上げ、怪しいものではないと示しながら、社長宅を抜け出した。


 席に着いて待っていたが、誰も注文を聞きに来ないのでトイレに立った。ドアを開けると真っ暗で、明かりをつけるスイッチを探した。ボタンは幾つもあって、どれがそうなのかわからず適当にオンとオフを繰り返したが、どれも駄目だった。あきらめて帰りかけた頃になぜが明かりがついた。とめどなくおしっこが出て、水風船をぶつけられたせいだと振り返った。
「何を押したの?」
 店の人が押しかけてきて、大変なものを押してくれたなという顔をした。
「電気は違う!」
 間違えたのは悪かったが、もっとわかりやすいようにしておけばいいのにとも思い、反省は浅かった。
「あなた痩せたんじゃない?」
 水を持ってくると女の人は、僕の顔を見て言った。誰かと思い違いでもしているのだろう。
「今だけですよ」
 怖い思いをして、逃げてきたから、痩せても見えるに違いなかった。
 コーヒー代を払うとお金は底をつき、歩いて実家へと向かった。米俵を背負って延々と国道を歩く。車は時折、自転車を見かけるのはもっと稀で、道を歩く人は、誰も見かけることはなかった。靴底が磨り減って、足の裏まで痛くなってきた頃、幻のように道の遥か下方に我が家の輪郭が見えた。ガードレールを乗り越えて、近道をしていけば、早く家まで帰れるのだ。
「正しい鳥居を潜って町に入るのよ」
 その時、山の向こうから母の声が聞こえてきて、足が止まった。そんなはずはない。もう1度耳を澄ます。ぺたぺたと足音が近づいてくる。薪を背負ったおばあさんが、ゆっくりと僕を追い抜いていった。当然のようにガードレールを跨ぐと、草花が一斉に道を開いた。おばあさんは悠然と道を下りていって、すぐに見えなくなってしまった。
(自分だけずるいな)


 少しずつ余計な物を整理して部屋の中を綺麗にしていった。捨てるにしても捨てないにしても、とりあえず目を通してからでないと気がすまない。「詩と私」文字を追うのも疲れてきた。いつの間にか部屋に兄がいて、記憶とは違う本棚が高々とそびえ立っている。今まで部屋を片付けていたのは自分だと思っていたのは、間違いだった。自分が留守の間に、精力的に動いていたのは他の人で、母と兄が新しい本棚も運び入れたのだった。よく見れば、絨毯だって……。絨毯は、今は白い、絨毯だった。
「替えた?」
 何もかも替えたのだと兄は白状した。今までのことは全部忘れて、そして……。一旦本を閉じて部屋を出ることにした。カーペンターズは? 止めていこうか、どうしようか。部屋を離れるのに、つけたままにしておくのはどうかと思った。また一方では、自分が離れるくらいでわざわざ止めていくというのも、どうかという思いも生まれた。どちらの思いも尊重していると部屋は出口を閉ざした。老いることへの心配が募る中で、本棚はまた一段と成長して天に近づいていた。
 服を脱いでお風呂に行くとすっかり湯船も片付けられ、広々と感じた。その分シャワーは高々と掲げられているように見えたが、ひねるところが足りないように思えた。
「どうやって温度を調節するんだ?」
 考えている内に、自然と高々としたところから勢いよく水が飛び出してきた。はっとして身を引く。
 冷たいだろうか? ゆっくりと手をかざす。
 滝の向こうからも、白く細長い手が伸びて、僕を招いた。
「こっちにもおいで」


「すごいところに住んでいるね」
 まるで漫画図書館みたいだった。
 ソファーに深く埋もれた僕の足に、彼女は緑の靴を履かせ、首筋に何かを塗りつけた。何だ?
「ひんやりとするものよ」
 ひんやりとして気持ちよく、ますますこの場所を離れたくなくなった。宝の山と彼女の優しさをいつまでも独占できるなら、いつまでも柔らかなソファーの中に深く身を沈めていられるだろう。好きなだけ吸収できる教養と、抑揚のある彼女の声と文体、しなやかに触れる指先と、何かわからないけど、ひんやりとしするもの……。安住の地があるなら、僕はそれを見つけたのかもしれない。
 何かの合図のように窓を鳥の嘴がつついた。学校帰りの子供たちが押し寄せて、瞬く間に部屋の地図を塗り替えた。まるで拡張された学校の一部のように。先生でも子供でもないものは、存在することも許されない。急き立てられるように、最上段に「幻のケン」を探す。邪魔するように(彼らは彼らなりの任務に沿って)最上段には、文化祭のポスターやチラシが貼られていく。言葉のカーテンを開けて、幻へと急ぐ。学期末の挑戦で、僕は目を見開く。正解を引き当てたと思えたのは、既知の4巻セットだった。

「また来るよ」
 別れの言葉が彼女に届いたことを信じて、飛び立った。
 大草原を行く馬の群れが、1頭の牛に追い立てられて逃げていた。何かに怒り狂ったように、牛は執拗に追いすがるが、馬は馬で組織立った守備の陣形を崩さずに、攻撃目標を絞らせないようにしていた。根負けしたように、ゆっくりと牛が距離を開けられていくのがわかる。けれども、大木の陰から飛び出した子犬が、馬の逃げ足に巻き込まれて転んでしまった。遅れてやってきた父犬が、申し訳なさそうに立っている。

「飛行機! 飛行機!」

 遠くから彼女の声が届く。両腕を下ろして飛んでいたら、人間であることがばれてしまう。彼女の忠告に従って、翼を広げた。回転をつけて加速する。うまく風に乗ると一気に橋を越えた。
 まだ、靴を履いたままだった。
 地上の人が見える。
 太鼓を叩く人、火を掲げる人、歩く人、縄を編む人、バスを待つ人、笑う人、手をつなぎ歩く人、ラケットを振る人、土を掘る人、歌う人、魚を釣る人、花に水をやる人、想像する人、くじを引く人、ピアノを弾く人、泣きながら笑う人、本を読む人、鞄を持って歩く人、猫を抱いて歩く人、みんなで並んで歩く人、人、人、人、人、人、人、人、人……。人の家に戻る時が近づく。
 0.5センチ、緑の靴は小さかった。

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結婚の知らせ

2014-12-10 02:13:38 | ショートピース
明日を考えるなら、歯ブラシだ。今の気持に正直になれば、お菓子だ。葛藤は、自身の内面に向かってのみ泳ぐものだった。おぼろげに夢見る未来の自分と、衝動に満ちた現在の自分の間で引かれ合う綱を、断ち切れるのも自分しかいない。一つの決意に到達した時、私は二人の結婚を知った。#twnovel
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