眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

コーヒーを返したい ~言葉遊びで頭をリセットする

2024-05-05 09:03:00 | コーヒー・タイム
 注文するや否やホットコーヒーはトレイの上にぽんと置かれた。席まで運びシュガーとミルクを入れてかき混ぜて一口飲むとすぐに違和感を覚えた。ぬ、ぬるい……。うちの家系は味噌汁でもラーメンでも、熱々じゃないと駄目なんだよ。誰かの飲みかけじゃないのか。エコも過ぎればおもてなしに反するというものだ。あるいは、急に寒くなったからか。急激な気温の変化にコーヒーがついてこれてないのだ。(いやそんなことあるはずがない)

「金返せ!」

 夢の中の純粋な僕なら、そう言って突き返すのだ。最初はふーふー、それからだんだん冷めていくのがいいんだろうよ。最初から冷めててどうすんだよ。この本末転倒コーヒーめが。
 腹立たしいのは、いつもと違うからだった。いつも通りのものを期待して、それが裏切られたからだ。ほんの少しのことで気は沈み、歯車が狂う。このもどかしさを、ポメラに打ち込むことで吹き飛ばすしかない。あなたにも、そのような経験があるだろうか。

(現代人の心はいつだって曇りがちだ)

 現実の器、社会という形式は、あまりにも窮屈ではないか。曇りがちになるのも当然だ。もやもやしたままでは爆発してしまう恐れがある。何らかの手段で頭を空っぽにしてやること、気晴らし、憂さ晴らしのようなものが必要だろう。
 例えば、ある者はちゃぶ台をひっくり返すことによって、心の浄化を図る。他にも、布団を頭から被り続ける。路上に出てひたすら走り続ける。ボールを蹴る。バットを振る。ラケットを振る。シェーカーを振る。サイコロを振る。飛車を振る。飛車を叩き切る。王手をかける。その手段は、人の数ほど存在することだろう。自分にとって何があるのか? それを見つけることができれば、いくらかは生きやすくなるかもしれない。
 僕がポメラに打ち込んでいることの大半は、言葉遊びの一種だ。まるで無意味だと言う人もいるだろうが、僕にとってはそうではない。時には、意味から離れれば離れるほど、心酔できることがある。
 例えばこんな奴……。



『野球少年にはなれない』
 (現代折句/アクロスティック お題…夏休み)

何食わぬ顔を押し通して
つくねを食べていた
野外では力が物を言うというが
相撲で勝てる相手は
見渡す範囲にどこにもいない

何を言っても言い訳になると
月を見上げてこぼしてた
野球少年にはなれないし
進むべき道なんてどこにもない
未来は口にするほど暗いだけ

縄跳びの輪の中を
通過列車が駆け抜けたと
ヤフートピックスの隣には
水球おじさんの愛犬が
ミリタリーシャツを着て笑ってる

流れる雲の集合が夕暮れ
ツキノワグマを完成させる
やまびこが無言を決め込むほどに
スタジオ育ちのアーティストを刺激して
妙な気を起こさせる法則

軟骨のから騒ぎから
罪滅ぼしの数え歌へシフトした
夜行バスの車窓から角を出している
スピード違反のワゴンを追うパトカーの屋根から
ミサイルの先端がのぞいてただならぬ気配

成り上がりをもくろみながら
机の上の傷を消し屑で埋めていた
やましいところもない奴は平気で
素通りすることに疑いはないが
ミドリガメをつれた君は足を止めた

ナックルボールが飛び交っていた
通信の乱れが止まらない街
薬局に併設された食堂から
すきやきの匂いがこぼれてきて
身内のようにまとわりついた





コメント
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