忍峠 (松崎町)
2010年10月8日 撮影
忍峠(しだとうげ)は松崎町沢の口と附馬牛町安居台(あおだい)を結ぶ、かつての旧道で、中世期からおそらく使われていて大正年間初めまで主要道といった位置付けであったといわれている。
今は、通る人もなく山仕事やシーズンでの山菜、きのこ採りの人々が通るのみと思われるが、昨今は「遠野物語」の著者、柳田國男が明治42年8月に遠野を訪れた際に附馬牛町に遊び、その際に通ったルートと考察され、一部研究者や遠野物語愛好者が僅かに訪ねるということもあるらしい・・・。
「まつざき歴史語たり」(松崎町地域づくり連絡協議会刊行、松崎町全世帯配布2003年)には、県内最古とされる御影石の碑が忍峠に残されているような記述と写真があり、今回、それと思われる石碑をよくよく見たつもりですが、天文6年(1537)との銘記を確認することはできなかった、
(峠頂上は切り通しになっているが、陽が射さなくて暗くて、よく見えないこともあってのこと、機会がありましたら次回は老眼鏡にライト持参で調べたいとおもっている)
天文年間といえば、北では三戸南部氏の南部晴政の弟、南部高信(石川高信)が三戸から岩手郡へ進出、雫石に迫って戸沢氏を駆逐して雫石は三戸南部氏の領域となり、岩手郡等への南下進出が本格派した頃でもある。
遠野では、阿曽沼時代ということになりますが、海上の西教寺が天台宗寺院として開基したと語られる時代でもある。
ということで難しい話は、またの機会ということで、そのまま安居台側へ下って参りますと・・・・。
???
変な矢印・・・?
矢印の先は・・・
ちょっとした小道として整備された形跡・・・。
10数メートル進むと・・・
10メートル四方位の平らな場所が・・・
あっ・・・そうか・・・ということで・・・。
市の緑化祭といいますか植樹祭が今年行われた場所ということですね。
さらに101年前に柳田國男が遠野を訪れた際に附馬牛への往復に通った忍峠から見たと遠野物語の序文に記された早池峰山の姿・・・その場所を表現といいますか再現した所ということになります。
残念ながら早池峰山は雲に隠れて見えませんが、ここなら確かに見えるはずです。
場所的には観光客がツアー組んで来れる場所ではありませんが、ハイキング気分とか、歩きでのコースなら、集落や主要道から離れているわけでもないので、案外簡単に来れますが、ただ、写真みてもわかる通り、一度とかのイベント用に少し整備して、その後は、お構いなし・・・といった雰囲気・・・(キレイに整備されて観光客が大挙来られても困りますがね・・・)
それと・・・
といった環境ですので、お薦めできませんね・・・。
とにかく訪ねる場合は単独行動は慎んで複数での行動が望ましいと思います。
遠野物語に魅かれて遠野へ来る方々にすれば、外せない場所かもしれませんが、ホント気を付けてください。
山の恵みも今が旬か?
山ぶどう・・・?
では・・・ないですね?