「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

大沢不動宵宮2005

2005-08-02 21:43:07 | 遠野
8月1日(月)・気温は30度を超えている、しかし、例年の真夏と比べればウダルような物凄い暑さではないっ、そんな中、松崎町駒木妻の神の最深部、昔は倶利伽羅峠とよばれ、川井村を経て宮古や大槌といった海岸方面へ通じる道が存在した辺りに大沢不動があって、その大沢不動の宵宮が催された。
午後3時、福泉寺住職、副住職、隣の食堂のご主人、私の長男、地区内に住む長男の友達、そして私の6名が先発隊となって大沢不動へ出発した。
車で20分程度か、牧道を進み鳥居がある場所から山登り、約300メートル、一年ぶりにお堂が開け放たれ、焚き火係りとお堂の掃除係りと分担して作業を行い、宵宮に備える。
後発隊は例年は午後6時前には到着、着いたらすぐ宵宮でのお経が始まるが、今年は少し到着が遅れている、しかし、定刻の午後6時、先発隊より少し後に到着の別当さんとで先に済ませてしまう・・・。
その後、後発隊も到着、地域の方々も三々五々到着するも今年は15名程、少し人数的には寂しい・・・。
最近は、駒木菊池家の宵宮みたいで、福泉寺関係者以外は全部菊池姓、別当家は駒木菊池家の総本家の家柄、考えてみれば別家となった菊池家等・・菊池一族の大沢不動ということかもしれません。
しかし、古より駒木地区の生活用水、灌漑用水として地域の人々が生きていくうえでの糧、大沢川を一番に崇拝といいますか、大切に考えてきた経緯もあって、宵宮は別当さんとその関係者、翌日は地域の各家々がほとんど参加の大沢不動の祭礼というべき御神酒あげが行われているので、やはり地域全体が関わっているといっても過言ではないっ。
昭和初期までは現川井村小国や土淵の栃内からも宵宮には峠道をいくつも越えて、参拝したといわれております。今は当時のことを語る方々は皆無ながら雰囲気は当時の信仰等を偲ばせる雰囲気は十分ございます。

画像は先発隊、別当さんのみで宵宮がはじまっている風景です。
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