経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ギンギラギンの続き

2006年12月25日 | Weblog
前稿の続きである。
ただし、この「場」に目的的、テーマ的といったことが強く出ると、いきおい場のマイナス面、デメリットがでる。さらに、場に強い目的性がつくと、みんな自分の目的に最適の「場」を求めて群れることになる。目的にそぐわない人々は、必然的に「場違い」の人として排除されるか、「場違い」として加わらない。ここまで昨日触れた。
こうしたことから、少なくとも2つの問題が生じる。
1に、需要と供給のバランスが崩れることだ。釣れるポイントに大勢の釣り人が群がるとどうなるか。当然結果競争の激化になる。2に、大勢が集まる場は、必然的に拡散、総花的、濃度が希薄になることだ。その結果、「場」に場末と場の中心といった格差が生じ、場当たり的にならざるを得ない。3に、「場」であろうとなかろうと、取引、契約はマン・ツー・マン。一対一の接点であることだ。その当たり前のことに関して、意識が希薄になっていく。端的な事例で言えば、個別対応の軽視、接客のマニュアル化、・・・・。
 このことは、接点を増やす場合に、点を求めることより、「場」の方が、効率的、合理的ということで、この「効率的、合理的」が目的化し、接点がなおざりにされ、切り捨てられてきた。こうした主客転倒現象が起きている。これが、今の好景気といわれている経済情勢で、個人消費が弱いという理由である。つまりマクロの場の好景気ではあっても、ミクロ、個人の好景気ではない。否、上に述べた場、ここでは法人優先の反作用として、個人をなおざりにし、その結果、個人消費における大きな機会損失を生じさせた、ということである。
つまり、今の好景気は、個人消費ではなく、法人重需要に依存している背景にあり、個人が豊か感を感じていない理由と、私はみている。
 冒頭のイベント。
「ご家族や、カップル、お一人も歓迎、何もないところで何もしない時間を過ごしませんか」、といったものにした。それから3年目。2組のカップルが誕生した。

「場」の目的具現には、皮肉なことだが、「場」に目的性を可能な限り希薄にし(無目的であっては、人は集まらないし、場はしらける)、縛りを緩やかにし、出来るだけ、「場違い」のが自由に参加できる。そういう「場」にすることである。ぎんぎらぎんの油ぎった目的志向、こうした「場づくり」の行き過ぎが、消費者が消費を躊躇している理由である。
映画「たそがれ清兵衛」で、清兵衛が友人と、川で魚釣りするシーンで、全く釣れない友人に、「そう釣ろう、釣ろうと力んでは、魚は逃げようぞ」、と言う。これである。

繰り返しておきたい。経済取引は、双方対等。消費者の選択権を縛るあり方が拒絶されるのは、自明の理である。
 来年は、のびやかにいきたいものだ。