経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

「雪国」に似合う旅籠「井仙」

2006年12月01日 | Weblog
あの「トンネルを出ると雪だった」(だったかな)の川端康成著「雪国」の越後湯沢にご縁をいただいて、もう14年になる。訪れるたびにいろんな宿にお世話になったが、ここ数年、この「いせん」(改築前)が定宿だ。わがままな私がここをお気に入りと知って世話をしてくれる高村さんが、言わなくても取っておいてくれる。改築前の「いせん」について、「商業界」に、以下のようにご紹介したことがある。

「いせん」
新潟・越後湯沢、駅前の小さなホテル「いせん」では、高齢者の同窓会にターゲットを於いて、閑散期に対応している。この戦略は見事である。またそれをフォローする戦術の細やかさも素晴らしい。同窓会場などでランダムに撮った写真のアルバムをつくり、ロビーにおいてある。販売が目的ではない。別の日に再来館した人たちが、その日のことを懐かしく思い出していただくために、である。
何年か経てリピートしてきたお客にとっては、これを見ての感慨もひとしおである。
 「今、みなカメラ持っている時代だからね。そんなことやることもない」。こうした聞いたようなセリフが先に出る経営者は、結局何もしないダメ経営者なのだ。
 戦略は大胆に、そして戦術はこうした小さなことの積み重ねを、というのが、私が主宰する脳力経営塾のテーマの一つである。私は、「いせん」に泊まるたびに、多くのことを学ばせてもらっている。(前後省略し、要約)

それが、一昨年、HATAGO「井仙」に、生まれ変わった。前の「いせん」を少しでも知っているものに取っては、そのあまりにもの様変わりに驚くであろう。また初めてのお客も、感嘆するだろう。まさにコンセプト、その外観も中も、昔の旅籠そのものなのだ。それでいて、今の良さは大いに生かしている。「旅籠を作りたい。それが私の長い夢でした」、と語る井口さんの話を聞きながら、これぞ私のイメージしていたものだと、私もはたと手を打った。
 お客がこれなら少々高くても、泊まりたい、とする意味での高級化していかないと、急激な入り込み減が続いているこの越後湯沢ではやっていけないだろう、というのが私の持論だったからである。
 詳細は、泊まって体感してもらう以外にないが、さわりはここ→HPでみることができる。
こまかな料金もきちんと公開している。こうしたところにも井口さんの、革新の姿勢が伺える。和風とうたいながら、ホテルと変わらない、ムード破りのフロントもここにはない。
 「雪国」、越後湯沢にもっとも似合う旅籠「井仙」。自分の宿みたいにPRして歩きたくなった。