経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ヒーロはなぜ一人で勝てるか

2006年12月16日 | Weblog
 「信頼」、「信用している」、「友達」という言葉が、いかに空しいものであるかはスエーデン映画の秀作「太陽の誘い」をみたら実感できる。
主人公のオロフ(ロルフ・ラッスゴル)が、文字の読み書きも出来ないことをいいことに、年下の友人が親切ごかしにいろいろズルをする。それがストーリィの縦軸になっている。

この映画を観た翌日、ソフトバンクなど携帯電話会社のCMが公取から問題指摘があった。「消費者の味方、親切ごかしに、消費者を誘導した」というのが、公取の見解。

 これはあまりにもひどすぎるから公取が動いたのであるが、日常、多分にお店の販売員も、企業の営業マンも、否、国も、行政も、政治も企業も、自分たちにとって都合のいい情報を流して、情報開示。情報を秘匿して、個人情報保護、と上手に使い分け、映画の主人公 オロフのズル友人みたいに操作している、といったことは珍しくはない。いやごく普通に、当たり前のごとく行われているのではないか。

手元も新聞広告、チラシ、TVのCM、IT上でなにかダウンロードするたびにでる、「同意する、しない」、保険の契約書などなど。
共通していることは、すべて作り手・売り手なりが用意した文面を、買い手、受け手側が、判断する、という流れになっていることだ。
 ここでは事の是非、だからだめだ、といった指摘や論議をしたいのではなく、最初からそうした流れになっている、ということを確認しておきたいのである。
 
だから、流す側の意図、もっというなら作り手、売り手に都合のいい文面になっている要素は、もう一方の当事者である受け手、買い手側の判断に委ねられる、ということになる。だがそうした文面は用意周到にその道の専門家が練って作られたもの、それを判断する消費者なりは、そんな知識など持ち合わせている方が例外。ましてやたいてい短時間での判断で決済する。

こうしたことが本来、対等の関係にある売買契約における片方にハンディが生じることになるのだ。上に述べた映画の主人公オロフには、文盲というハンディがあったように。 ハンディがある方に、フォローを付加することで、はじめて対等になる。これがごく常識的な考えである。だが企業の多くは、こうしたハンディを逆手に取った売り方なり宣伝をしている。

このことを如何、どう思うか、と問うているのである。いつもの通り念を押しておきたいが、道徳的とか倫理とかといった観点からではなく、企業としてどちらが消費者から支持されるかという企業論理から見て如何、と問いたいのである。
 
 以下、実験の実例。
 新潟の有名な笹団子の話。お土産品店では、「日持ちが良いです。」、「何日までは持ちますよ」と、こうした売りにしている。
 これを、「当店の笹団子は、2日しか持ちません」というショーカードを付け、事実、2つにしか持たない笹団子を売り出した。 そうしない場合の6倍売れた。
 
 次に、これを青森の銘菓専門店でもやってみた。やはり1月で13%ほど売上が伸びた。

 これはなにも私のアイデアではない。伊勢市の赤福が、2日しか持たないことをきちんと伝えている。それを用いたに過ぎない。

 昔、「正直者が馬鹿を見る」、すなわち「作り手、売り手は消費者に馬を鹿と、うまい話をし、儲けた」
 今、「正直者が、金銭を得る」、すなわち「作り手、売り手は、馬は馬、鹿は鹿と、消費者にしかと伝えることで、儲かる」。

 なぜなら、「正直者が、馬鹿を見る」の、馬鹿になりたい消費者は皆無。たいして後者は、みな望むからである。正義の味方は、何処の国でも、どの時代にも少数派。紫ずきんも、怪傑ハリマオも月光仮面も水戸黄門(例外的に少集団ティームであるが)も、ヒーローになるのはたいてい一人で、一人勝ちしている。

 そういう目で、どの企業が消費者のヒーロになり、どの企業が消費者をだます悪代官なのか消費者はよく見ている。観ているだけではなくヒーローを押し上げる。このことを企業経営者は、もっと重視し、活用すべきである。