4年前の話。ある離島の青年部から、「嫁対策の一環として、若い女性を格安ご招待といったイベントを続けたが、全然応募者が集まらない。なぜか、どうしたらいいか」、と、ご相談があった。よくぞ気づかれた、と嬉しくなった。企業のイベントでも同様である。国や企業の場合は、さらにあの手この手を考える余裕があるので、当たらない企画でも、「最近の消費者は・・・・」で、新たな企画に逃げてしまう。だからいつまでも空振りが続く。
取引には人と人の接点が絶対的要件になる。取引増には、一人の取引量が増えたと言うこともあるが、基本的には人の接点の増である。
人と人の接点は、点というぐらいだから最小単位。1対1。これを原点とする。点がもう一つの点と出会い、意気投合して接点になるのだが、意気投合せず取り不成立、ということも当然ある。だから接点を、点として求めていたのでは大変不効率になる。
ここに、「場」が必要とされるひとつの理由がある。たとえば、荷を背に負って、一軒一軒訪問して歩く行商は、1対1の接点。全国に今も見られる、「市」は、売り手と買い手を一カ所に集める「場」である。お見合いは通常、一対一だが、集団お見合いとなれば「場」。
このように接点を求めるのに、「場」だと、そこに多くの人が、それぞれ接点を求めて群がってくる。それもその「場」の目的が概ね決まっていることが多いので、意気投合の確率も高くなる。また「場」自体に目的やテーマがあったとしても、そこへ群がる人は、場の目的とは別に、様々な人が、さまざまな目的を持っているのが通常だから、思いがけない方との、思いがけないつながりができる可能性がある。これはメリットだ。
たとえば新車発表メッセといったものは商取引という目的性を、さらに新車と絞り込んでいるのだが、そこで出会った男女が結婚する、といった形の取引成立もでる、といったように、思いがけないことで、思いがけない人と意気投合する可能性だってある。
また、「場」から、新たな、また想定外の1対1の関係、取引もでてくる。その場だけではない。次への楽しみといった異質のつながりが生まれることだってある。
「場」にはそうした多様的な機能があり、実に魅惑的なものである、と考える。
ただし、メリットの裏はデメリット。こちらも冷厳に、科学的計算性をもって検証し手置かねば、ことはうまくいかない。
以下、次に譲る部分が、本稿で申し上げたいことである。(続く)
取引には人と人の接点が絶対的要件になる。取引増には、一人の取引量が増えたと言うこともあるが、基本的には人の接点の増である。
人と人の接点は、点というぐらいだから最小単位。1対1。これを原点とする。点がもう一つの点と出会い、意気投合して接点になるのだが、意気投合せず取り不成立、ということも当然ある。だから接点を、点として求めていたのでは大変不効率になる。
ここに、「場」が必要とされるひとつの理由がある。たとえば、荷を背に負って、一軒一軒訪問して歩く行商は、1対1の接点。全国に今も見られる、「市」は、売り手と買い手を一カ所に集める「場」である。お見合いは通常、一対一だが、集団お見合いとなれば「場」。
このように接点を求めるのに、「場」だと、そこに多くの人が、それぞれ接点を求めて群がってくる。それもその「場」の目的が概ね決まっていることが多いので、意気投合の確率も高くなる。また「場」自体に目的やテーマがあったとしても、そこへ群がる人は、場の目的とは別に、様々な人が、さまざまな目的を持っているのが通常だから、思いがけない方との、思いがけないつながりができる可能性がある。これはメリットだ。
たとえば新車発表メッセといったものは商取引という目的性を、さらに新車と絞り込んでいるのだが、そこで出会った男女が結婚する、といった形の取引成立もでる、といったように、思いがけないことで、思いがけない人と意気投合する可能性だってある。
また、「場」から、新たな、また想定外の1対1の関係、取引もでてくる。その場だけではない。次への楽しみといった異質のつながりが生まれることだってある。
「場」にはそうした多様的な機能があり、実に魅惑的なものである、と考える。
ただし、メリットの裏はデメリット。こちらも冷厳に、科学的計算性をもって検証し手置かねば、ことはうまくいかない。
以下、次に譲る部分が、本稿で申し上げたいことである。(続く)