経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

暇つぶし、時間つぶし

2006年12月12日 | Weblog
 停車中の列車に乗っていて、左右の列車が反対の方へ走っていると、こちらの列車が走っているように錯覚する。

うかつにも錯覚と何気なく書きましたが、私の人生を考えたとき、なんだか錯覚ではない。毎日、何かがあって一日が過ぎていくのですから、じっとしているだけでも、私は前に進んでいる。私自身がじっとしていても、進んでいる。

 それは私が進んでいるのではないけれど、進んでいるように見える。だから錯覚、と書いたのですが、「考えてみたらそれは錯覚ではなくて、人生ってそんなものだ」、というところがあるのかも、と朝からそんなつまんないことを考えています。

それじゃつまんないし、第一退屈でたまらないから、人は暇つぶし、時間が通り過ぎていくように上手に、時間つぶしする。
それでは自分が悲しく、わびしくなるから、それを「勉強」、「仕事」といったりしている。

単に暇つぶしで人生を過ごすのが不安だから、「一生、勉強なんだよね」、といったり、「今日は付き合いゴルフなんだ」、とか、「今日は、3つも会合をこなしてね。疲れちゃったよ」とかいったりする。

「人生は、いわば巨大な空の器。それに何を入れるかは君の自由な選択、君次第なのだよ。それで君の人生が決まるのだからね」

 遠い昔、読んだ本でしたか、あるいは英会話の勉強のために通っていたいた教会の牧師さんでしたか、あるいは萬福寺での座禅の後のお説教でしたか、そんなことを読んだか、聞いたことを思い出します。

いえ。誤解しないでください。私の話です。仕事をしてもしなくても、忙しい時でも忙しくなくても、なぜか私は一日中忙しいのです。そのことを思って、考えを整理してみて、そんな風に思ったのです。

私は忙しさに飢えていて、あるいは忙しさにあこがれていて、あるいは暇に恐怖していて、一生懸命、時間つぶし、暇つぶして、それで一定以上の忙しさを確保、維持することで、安心と心のバランスをとっている。
 そうしたことを人生の幸せ、充実した一日と思いこんでいる。

どうせ、じっとしていても1日の方がかってに過ぎ去って、その分自分が、それが錯覚であろうと前に進むのです。 ですから、師走で多くの人が走っているときぐらい、自分はじっとしていようと、朝目が覚めたときには思うのですが、一時間もたたないうちに、今日の「時間つぶし、暇つぶし」のテーマを探している自分に唖然とするのです。

 こうしてここまでキーを叩きながら、頭に浮かべていることは、「これ、老子の”空”の考えにあったな。今日確認しとこう」。

 老子ではなくこうして、 昨日より忙しい今日をと、走っている列車の中で、走っり始めるのです。