毎朝、新聞に折り込まれるチラシは、中の表現の違いはあっても、ほとんど「今、うらんかな」型である。DMも然り。
数日前に投資のMというところから、DMが来ていた。その場で封も切らず捨てた。
今日、仕事中に、事務所の転送電話から転送された電話が携帯に入った。「先日、DMをお送りしましたので、お読みいただいたと存じますが・・・・」。「みてない。捨てた」。ガチャン、である。
「大感謝祭」、「大蔵さらえ」、「トクトク市」、「こだわり市」、「大創業祭」、「びっくり市」、「クリアランスバーゲン」、「買わなきゃ損、損」等々、表現はさまざまながら、みな即効性を期しての、ぎんぎん、ぎらぎら、自分の欲をちりばめた、きれいごと、うまいことばかりのチラシやDM。これで集客が高まるから、やっている、といった見方もあろうが、実際の所、どうなのだろう。
永田町、霞ヶ関、大手著名企業など、国民や消費者の信頼を大きく裏切るようなことが、毎日のように報道されている。これにより、国民、消費者は詰まるところ、ことごとく不信感を抱いている、といってよいのではないか。
これをもうひとつの側面からみると、「信頼」、というこの2文字の中に含まれる、重さが、企業を支え、少なからず繁栄に貢献をしている、と言えるのではないか。
つまり信頼が積み重ねられて(老舗として)繁盛していた。だから、積み重ね(老舗)自体がより、重要なキーは「信頼」の方である。だから老舗といえど、信頼が損なわれると、この積み重ねが崩れる。それだけではない。
それだけではないところが重要である。売れる、繁盛するといった根底が崩壊することを意味するからである。
その証として、国民、消費者は、自らの生活周辺におけるあらゆる“もの”や“こと”に対して「不信感」を募らせ、疑いの目でみる。消費に躊躇を見せ始めている。
こうしたとき、従来の販促、イベントや上に挙げたようなDM、チラシのありかたでいいはずはない。
チラシを撒き、それによって消費者に、こちらの情報を伝えている。これは同時にそのチラシを通じて、その撒き手の、たとえば陳腐化した、大仰なチラシを通して、その根底には軽薄、かつ惰性的、学ばない、愚鈍な、企画者担当者の存在があり、そうして輩(やから)に給料を払い、存在を許す、少し遅れた経営者がいる、ということを、消費者に垣間見させている、ということを、多くの経営者は考えてもいない。そしてこうした自ら流す内部情報が蓄積された結果、これがその企業、その商品を、消費者が経営し、選ばない理由になっている可能性もあるのだ。
「あんな大企業ですら、そうなのだから、こんな低俗なチラシを蒔いている企業なぞ・・・」といったことで、消費者がその企業に背を向けた例で、わたしが強い印象を持つ事例として、「カネボウ」を挙げたい。代々の経営書の不祥事。伝統的な労働争議の繰り返しは、ファッション、化粧品を主力とする当社のには致命的だったと、思う。
今、カネボウにそっくりな企業は、あの航空会社。またそうしたイメージやブランドを自ら破壊する体質を持つ業界として、私は銀行業界を挙げておきたい。この法律的制約の多い業界に、異業種からの参入がみられても、たいした危機感がなく、ましてや預金者などへの横柄なありかたでは、いかに革新を図らないことによって消費者から法外な利益を得られるか、という証といえる。
信頼を得る、信頼を蓄積する、ということを命題に販促、PR,、CM、コピー、ブランディング、POP、ショウカード、といった細々(こまごま)もそうだが、根本的に経営のあり方、とりわけ消費者へのアプローチを構築し直さねばならない、と私は考えている。
今、私自身もその重大性に気づき、様々な実験を始めた。
そうしたことを「売れて儲かるシクミ研究会」で、皆さん方と討議し、煮詰めていきたいと考えている http://jatsudon.in.coocan.jp/newpage4uresiken.bak
数日前に投資のMというところから、DMが来ていた。その場で封も切らず捨てた。
今日、仕事中に、事務所の転送電話から転送された電話が携帯に入った。「先日、DMをお送りしましたので、お読みいただいたと存じますが・・・・」。「みてない。捨てた」。ガチャン、である。
「大感謝祭」、「大蔵さらえ」、「トクトク市」、「こだわり市」、「大創業祭」、「びっくり市」、「クリアランスバーゲン」、「買わなきゃ損、損」等々、表現はさまざまながら、みな即効性を期しての、ぎんぎん、ぎらぎら、自分の欲をちりばめた、きれいごと、うまいことばかりのチラシやDM。これで集客が高まるから、やっている、といった見方もあろうが、実際の所、どうなのだろう。
永田町、霞ヶ関、大手著名企業など、国民や消費者の信頼を大きく裏切るようなことが、毎日のように報道されている。これにより、国民、消費者は詰まるところ、ことごとく不信感を抱いている、といってよいのではないか。
これをもうひとつの側面からみると、「信頼」、というこの2文字の中に含まれる、重さが、企業を支え、少なからず繁栄に貢献をしている、と言えるのではないか。
つまり信頼が積み重ねられて(老舗として)繁盛していた。だから、積み重ね(老舗)自体がより、重要なキーは「信頼」の方である。だから老舗といえど、信頼が損なわれると、この積み重ねが崩れる。それだけではない。
それだけではないところが重要である。売れる、繁盛するといった根底が崩壊することを意味するからである。
その証として、国民、消費者は、自らの生活周辺におけるあらゆる“もの”や“こと”に対して「不信感」を募らせ、疑いの目でみる。消費に躊躇を見せ始めている。
こうしたとき、従来の販促、イベントや上に挙げたようなDM、チラシのありかたでいいはずはない。
チラシを撒き、それによって消費者に、こちらの情報を伝えている。これは同時にそのチラシを通じて、その撒き手の、たとえば陳腐化した、大仰なチラシを通して、その根底には軽薄、かつ惰性的、学ばない、愚鈍な、企画者担当者の存在があり、そうして輩(やから)に給料を払い、存在を許す、少し遅れた経営者がいる、ということを、消費者に垣間見させている、ということを、多くの経営者は考えてもいない。そしてこうした自ら流す内部情報が蓄積された結果、これがその企業、その商品を、消費者が経営し、選ばない理由になっている可能性もあるのだ。
「あんな大企業ですら、そうなのだから、こんな低俗なチラシを蒔いている企業なぞ・・・」といったことで、消費者がその企業に背を向けた例で、わたしが強い印象を持つ事例として、「カネボウ」を挙げたい。代々の経営書の不祥事。伝統的な労働争議の繰り返しは、ファッション、化粧品を主力とする当社のには致命的だったと、思う。
今、カネボウにそっくりな企業は、あの航空会社。またそうしたイメージやブランドを自ら破壊する体質を持つ業界として、私は銀行業界を挙げておきたい。この法律的制約の多い業界に、異業種からの参入がみられても、たいした危機感がなく、ましてや預金者などへの横柄なありかたでは、いかに革新を図らないことによって消費者から法外な利益を得られるか、という証といえる。
信頼を得る、信頼を蓄積する、ということを命題に販促、PR,、CM、コピー、ブランディング、POP、ショウカード、といった細々(こまごま)もそうだが、根本的に経営のあり方、とりわけ消費者へのアプローチを構築し直さねばならない、と私は考えている。
今、私自身もその重大性に気づき、様々な実験を始めた。
そうしたことを「売れて儲かるシクミ研究会」で、皆さん方と討議し、煮詰めていきたいと考えている http://jatsudon.in.coocan.jp/newpage4uresiken.bak