経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

完了させてはならぬ。低級官僚のこと。

2007年11月08日 | Weblog
小沢さんの報道で、かき消えさせてはならない。あの悪徳低級官僚のこと。このまま完了させてはならない。

彼らの、やってきたことってなんだろう。

 経営者が「君、仕事しているか」と社員に言うときの「仕事」とは、命じた仕事、お店のための仕事であり、お客のための仕事ではないどころか、お客をだますこと、だったのだ。 お客のための仕事ではないことをやり、お客から金を得ることはできない。お客をだまして、商いが存在出来るわけはない。
 どうして彼らを、商人と呼べようか。売人、いや獣にも劣る。

 この高級官僚が「君、仕事しているか」と部下に言うときの「仕事」とは、国民のための仕事、国のための仕事であり、自分の金儲けのための仕事ではない。
 かれは、国民から得た金をもらい、自分の金儲けのための仕事をし続けてきたのである この高級官僚の仕事とは、業者を太らせることで、自分の家庭を太らせることだったのだ。

 どうして彼を高級官僚と呼べようか。低級官僚、いや獣にも劣る。

 赤福の失態で、ライバルのお福餅は通常の7倍売れたという。そしらむ顔で、仕事をしていた。その仕事は、お客のためではない。千載一遇、火事場の泥棒の仕事である。
 
 低級官僚然り。国民に奉仕することで、金が得られる。夫婦でゴルフ、焼き肉、麻雀、その合間に自分は例外の倫理規定を策定。これも国民への奉仕というのか。

 私たちは、「暇を見て、お客に電話しよう」とい、った言い方をする。このときの「暇」は、自分の暇であり、かける人が暇であるかどうかとは関係がない。
 
 このように、人はとかく自分の都合で動き、相手の都合、忙しさを忘れる。
配慮が足りないのではない。そもそも生きることの意味がわかっていないのだ。生きるためには、環境も含めて相手に「対応」することが絶対だ。なぜなら、この世は諸行無常だからだ。周囲の変化に対応する。それが出来なければ死に絶え、「ああ無情」と嘆くことになる。
 
 自分が自欲に対応したり、外が自分に対応してくれる、と思ったり錯覚したりする、思い上がりの天動説者が、生きることができるはずがない。

 夫を諭すどころか、率先してたかるハイエナ妻。父の口利きの奨学金で外国の大学で何を学べるのか考えたこともない子供。
 それにしても、一度しかない人生を、家族みんなで、こんなによごして汚して、なんとしよう。
 人として、恥をしれ。それで人間か

 おいしいまんじゆうを、「おいしいね」とお客にっこり。それを見て商人なり、職人の冥利を感じる。そうした思いを、いっぱいつくり、つなげる、それが人生なのに、自分の欲得で、消費者をだます。
 商人として、恥ずかしいと思わないのか。それで職人か。

 このような大それた犯罪にはならなくとも、私たちは自分たちの欲、自分の仕事、自分の都合、自分の段取りを主軸において、他者、お客からみてどうか、という肝心な設問を忘れてしまいがちである。それが続くと、そんなことなど意識もしなくなる。人が動物化してしまう。
それはそれで、自業自得。かまわぬが、問題は、その動物が、人の顔をしていることである。犯罪者が商人の顔と声で、人々をだますことである。野獣なら、地価よりもしないものを、200年、400年といった老舗の看板で顔を隠し、次官という肩書きでものを言われると、悲しいかな人は、信用してしまうじゃないか。
 獣にも劣る、とはこのことだ。