経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ぬかった!久間を凌ごう

2007年11月16日 | Weblog
昨日の国会での証人尋問のこと。

 何処からか、「ぬかった!」と言う声と、「きゅうばをしのぐため、入院していてよかった」という声が、聞こえてきた。

 メルマガやブログの不特定多数への配信は、山のてっぺんで、大声で叫んでも、まったくこだまが帰ってこない一種の不気味さがある。
 モリヤ低級元官僚の証人諮問を、ラジオで聞きながら、そんなことを考えた。

 国会の室内という特定少数だけではない、自分の発言を全国国民が聞いている。その「こだま」は自分には帰ってこない。だが、自分の頭の中では、自分のことを悪し様にののしる声が聞こえる。もちろん幻想なのだが。

 そうした中で、同じことを、実は微妙に角度を変えながら、質問される。とくに一問一答は、答える。イエス、ノウ、短いフレーズの中の具体的単語が、特定化される恐れがあるからだ。それを免れるには、「記憶がない」という答えでにげるしかない。
 
 ここにも罠がある。(そのことに関しては)記憶がない」ということであれば、
 1に、この返答が連発されることで、受け取る側は、メッセージとして「記憶があり、知っているが言えない」と理解してしまうからである。だからこそ、質問者は繰り返し、繰り返し、「記憶がない」といった答弁を引き出させ、白ではなく灰色に持って行こうとしているのである。
 2に、たとえば「一切ありません」といった言葉との矛盾である。 「一切ありません」という言は、明瞭に記憶しているから、否定している。それなのに、もう一方では「記憶がない」と力を入れていうのは、明らかに矛盾なのだ。この矛盾が、第三者に理解されれば、責める側は、「うまくいった。これ灰色」ということにある。

 彼ぐらいの低級エリートだと、逆にその落とし穴に、自分が進んでいることがわかるから、後は、1に、何処を落としどころとするか、2に、これを認めて、此方へ振り、こちらへ火の粉が飛ばないように、と流れを自分の思うつぼへ持って行こうとする。3に、俺は小物。俺の上に巨悪の根源の存在がある、といったやり方で、この場合だと政治家に振る。 私たちが、日常何気なくやっている、「話をそらす」、「話を取る」、「話をふる」をやっていることになる。
 
 今回は、後見人が、うたた寝をしていたから、じっくり戦略を決めて、多分に涙を流すシーンまで、コンテを練り上げ、作り上げたシナリオ通りに、演じたにちがいない。それでないと、あのど真ん中で、昼寝は出来まい。
 
 二人の政治家、(わしの記憶によると)「一切無い」が、いつしか「記憶にない」、そして「すぐ帰った」(ことだけは記憶している)と、微妙に変化させている。
 この微妙な変化こそ、そこに「大きな疑惑がある」ということを、国民は知っている。
 
「だから時間の問題だ」
 だとしたら、単に先延ばしの茶番劇で、無駄な税金を使うことについて、国の金庫を握る財務大臣、どう思われますか。「ぬかった!」と臍をかむか、「きゅうばをしのぶか」、どちらでしょう。