経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

欲についてよく考えてみた

2007年11月19日 | Weblog
朝、7時に、うえの自治会館(平屋の築43年のあばらや)へ行き、準備。
今日は地区のコミュニティ祭り、それと、うちの上野自治会では、道路清掃奉仕活動、久々の定例会、それに豊穣祭り、と行事が重なって、大忙しの日なのだ。

草刈り機を使っての2時間の作業は、けして楽ではない。しかも80代が3人、70代が11人といった高齢化集落なのだ。全25世帯の内、5世帯は上部団体の地区のコミュニティ祭りにも掛け持ち参加しなければならない。

みな、せっかくの日曜日を潰して、地域活動に参加して下さる。けして欲得ではない。いや欲としたら、大欲だ。欲もうんと俯瞰化し、うんと抽象化出来るなら大いに望ましいことだ。

落語に、「もう半分」、「五月のぼり」といった、ついつい欲をのばしたために、えらい目に遭うといった話が多い。
昔から、人の持つ欲には限りがない、というひとつの証か。欲はどんな人にも例外なく、これまでも、今でも、これからも、無くなることはないだろう。

自欲、個人欲ではなしにお国のため、地域のため、地球のためといった大きな欲になればこれは素晴らしいことだ。だから「欲」についての性悪説には、私は与しない。

だが自己欲、その欲の突っ張りで、これだけ失敗した事例が多いのだから、それから免れるためには、欲のレートを上げて、俺から、俺たち、俺たちから、地域、地域から県、県から日本、日本からアジア、アジアから世界、世界から地球といったように、うんと俯瞰化し、うんと抽象化するように努めれば、世のため、地域のためということで、歓迎されることになるとおもうのだが。
あるいは、いい加減、いい案配、といったように分限を守ることができれば、まずは幸せな人生を全うできると思うのだ。

もっとも後者の「いい加減」は、「おまえ、ええ加減な人間じゃな」といった表現があるとおり、何か手加減した、といった意味で使われるケースもある。
その生き見本、もりや元低級官僚の場合、全身を欲に冒され、いい加減、いい案配のたがを失ったケースといってよく、小ずるいさ、醜い姿がTVを通してもろに伝わってくる。ガラスのお巡りさんが、いつぞやカキコミされていたように、私も個人的に、この男には嫌悪感を感じている。

だが、肝心なことだと思うのだが、これを、個人の問題に終わらせてはなるまい。
こんな人が、信用されない人間が、霞ヶ関では、エリート官僚として信用されていた。それ押し上げた人がいたか、そうしたシクミの存在があったからだ、といったように俯瞰し、抽象化して、追求しないと、本質的な問題解決にならないと思うのである。

その意味で、欲の突っ張りといったことには、普遍性がある。普遍性があると言うことは、同じ床で同じ夢を見る、といった可能性がある、ということが出来る。
はて、そのこの元低級官僚と、同じく、同じ床で、同じ夢を見ようと思った主は、政治家ではだれだろう。

 もくもく奉仕活動をしている人たちを見ながら、彼らはあるいは、奉仕活動を「している」といったかすかな欲すらも思うことなく、為しているのでは、とふと思った。
 ならば、無欲は大欲に似たりも霞むな。彼らの境地で、永田町、霞ヶ関の人たちが、国、国民のため、働いたらば、どんな世界が描かれるだろう。

 発泡酒で、乾杯。「汗を流した後の、ビールは、うまい」と、ささやかな宴をめいっぱい喜んでくれる我が自治会の住民達。幸せあれ。この人たちに!