経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

それでも船場商人か

2007年11月18日 | Weblog
 思い(思想)の革新を図らねば、高邁な戦略は台無しになる。また、戦術が目的化しそれがために企業全体が、崩壊しかねない、といいった事例を、メディアが私たちに知らせてくれている。船場吉兆など、まさにそれだ。

 人は考え込むと、動きを止める。いろいろむやみに動いていたのでは、ムダ、無意味と思うから、方向が見えるまで止まってしまう。
 これが「迷い」、その結果の「躊躇(ちゅうちょ)」である。

 偽装は、通常の人の神経なら、ためらうことだ。
 それを躊躇なく行動できる、行動させた、というのだから、それは経営者の思い自体が狂っていたからだと、断じ得る。だから「仕入れだ、パートが勝手にやった」と、これまた平気で、偽装出来るのである。

 中部大学の大島俊一教授から、私の配信しているメルマガに関して、ご好意溢れる、しかも長いメールを頂いた。
 そして、先生が、大学院で「実践経営思想」の講座を開いくことになり。その講座の根底なる思想を一枚の紙に纏めたので、見て欲しい、と付してあった。

 私には、少し重たかったのでしばらく考えることにし、とりあえずその図形を、手帳に挟み、、私なりの新たな思いやヒラメキをMMAP化し、そこから頂いた大きな示唆を加えて、今朝一番、遅れた返信をした。

 私は、生来から、この「図案化」が苦手で、冗長な文章で思いを現すことしか表現の術(すべ)を持っていないのだが、一方、自分が考えるときには、こうした図形が、ヒラメキ、示唆になる、といった経験は結構ある。
 それであらためてその貴重な体験を実感した。

 その図形の柱が、「民話」」

 民話といえば・・・・。
 ほとんどのものが時間軸で、ふるい落とされ、消えて入っていく中で、残るものがある。その大きなひとつが、先生が着眼されている民話。
 
 たまたま、5年ほど前か、那須大学での学会のおり、同宿した、大阪学院大学 田中道雄先生から、彼の師、宮本常一先生の話を伺って、偶然その頃、私が宮本先生の本にかぶりついていたこともあり、我が意を得た思いをしたことを思い出した。つまり、両先生とも、経営の底に「民話」がある、ということだ。
そうだ、身近な、福井の嶋崎喜一先生も、地元の民話の再現に取り組んでいるではないか。

 私は、これはなんども、このブログに書いたことだが、ある時から経営の本を捨て、歴史、といっても小説、それも宮城谷昌光さんの著書、小説の中から、経営の本質、普遍性を取り出す作業に転換している。

 世の中のすべてのものは、時間軸、歴史の篩(ふるい)の上で、生きているといってよい。栄枯盛衰は、戦略ではなく、ましてや戦術ではなく、この篩が決めている、と私は思っている。

 その篩のふるい落とす基準こそ、大島教授の言う「実践思想」にあるのではないか。
 人の思いが、実践活動、実践行為として具象化され、その結果が自分、自分の企業の栄枯盛衰を決める。こう考えたら企業犯罪の、根本にある犯人の隠れ家が明確になる。
 
 TVの人気ドラマ「相棒」の主人公、右京ではないが「船場 吉兆」の親子に言いたい。
 「立場の弱い者に振るその態度。商人として恥ずかしくないのか!船場がなくぞ」