経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

高い席から

2007年05月22日 | Weblog
壇上から、会場を見ながら、一人一人の体の動きや表情が、一種の会場の雰囲気になって、下から吹き上げてくる空気が、話している私の頬に触れる。そうしたものから情報を受け取り、話の内容や話し方等を微妙に対応させて、話をする。書けば難しいようだが、壇上に立つ仕事のプロなら、皆やっていることです。

 とりわけ、その最たる人たちは、落語家だ。時間がないので、最近はCDで聞くことでお茶を濁しているが、本当はライブ、それが叶わなくともビデオで、その全身から学び取らなければならないと思っています。

 壇上に立つ人が、檀下にいる会場の一人一人の動きを見逃さないのはプロとして、当たり前のことである。だが、壇上に立つ者は壇上に立つ者を見ることは出来ない。会場の人は、壇上に立つ人の動きに対応して、自ら動いているのに、である。ここに第一の、壇上に立つ者の、大きな落とし穴がある、と思うのです。

 第二に、壇上に立つ者は、会場の者を見下ろす形になることである。高さが違う。これは怖いことです。

 だから私は、この仕事を始めた最初の頃から、可能な限り壇上には立たす、会場に下りて話すようにしている。それでも私は立っており、会場に皆さんは腰掛けておられるから、頭が高いことには変わりがない。ただ幸せなことに、私は、短身だからまだ恵まれているのです。そういう意味では、皆で和室で、というのはいいです。


 「接客の時は、目線を合わせて」とか「相手の立場にたって」といっている本人が、高い位置からでは、笑い話だろう。 少し横道にはいるが、小・中学校の教壇、あれは何じゃ、と私はかみつきたいのです。大きい大人が、子供に対して、さらに高い壇に、というのは明らかに教育を間違って解している、と思うのです。寺子屋を見習うか、教壇は、彼らのほうが背が高くなる高校から、と法律を作っていただきたい。

 それを大きい声で言えないのは、昨日ここに書いた次の3つが、まだ私には出来ていないからなのです。
 1-教えることから教わる立場への転換
 2-学ぶことが机に座って誰かの話を聞き、本を読み、頭にそれらを写し取るといったことから、現場で見聞きして学ぶことへと重心をシフトすること
 3-講演、研修というパラダイムを、語り合いの場へと転換すること

「落語家は、会場の一人一人と対話している」といったことを桂文珍さんから、聞きました。凄い、と思いました。 プロならここまで、行かなければ、と思いました。

 それで今、できるだけ壇下に自分を置いてみることに一生懸命努めているのです。
壇上に立つことが多い仕事を25年もしていると、壇下から人の話を聞くことが、少なくなっているのです。それが知らず、知らず、高い位置から、ということになっていないか。そのために、それでお客様が掴めなくなっている。あるいは乖離が生まれているのでは、と思うからです。

 やはり、これは正解でした。
「高い位置から」、はなはだ失礼ですが・・・」と言っても目線は変わらない。だが壇から降りたら、ずいぶんと目線が近くなり、はなはだ失礼がない状態になる、といったことが体感できたからです。