経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

知恵と行動

2007年05月24日 | Weblog
知恵は、行動による試行錯誤(これこそ、「考えること」なのだ、と私はかってに思っていますが)」にはよって生まれるものなのだ、とおもいます。学んだものを知識、これを材料として、動くことで、知恵になす、というプロセスは、食材を、料理し口や胃、小腸などの活動で消化することで体に取り込み、血肉とする、ことかに倣ったことです。

ですから、繰り返しになるのですが、「考えること」は、動くこと抜きではできないのではないか。なぜなら考える材料は、これまで脳に蓄積された知識という在庫とあらたに外部から脳の中に仕入れ、取り込まれたもので成り立っていると思うからです。

そう考えると、誰かがいったこと、本に書いてあったこと、インタネット情報などを、口に入れ消化せず、そのままはき出すようなことでは、血肉にもならない。高性能のICコーダーから、素晴らしい講演が流れたとして、「このICコーダーは高性能だから、素晴らしい講演をしている」と、感服する人はいないでしょう。

でもこのコーダーと同じようなことをして、結構粋がっている人は少なくありません。聞いている人は、へきへきしているのに気づかない。立派なことを言った人が立派だということにはならないわけですから当然です。立派なことをして、なして、行動して、世間の人は立派な人だ、と人は認めてくれるのですから。

幼い子供ならともかく、きちんと自分なりに消化して、自分の知恵化して、自分の言葉でいう。これが大人です。

 しかし、ただむやみにそこらを動き回っても、かかるエネルギーが無駄になるばかりか、成果は得られません。上で、あえて「動く」と表現したのは、行く方向が定まっている動きである「行動」と区別するために、あえてそう表現しました。つまり行動は、「何かの成果を得るため」という目的志向的な動きです。

何をなすかわからないまま、材料を集めに動いても、料理になりますまい。インドカレーを作る、と決めたら、効率的に必要な者を求めて行動できますし、旨いか不味いかの差はあってもインドカレーができます。まちがってもオムレツができることはない。

「目的志向」の凄いところです。動きに目的を持たせると、行動になる。その目的志向をさらに強く打ち出すために、私たちは『戦略を確定する』といったことを、実は日常生活でも意識せず使っている人もいる。使わない人もいる。使う時もある。使わないこともある。これを意識して誰でも、いつでも使うようにしたら、すごく進歩発展するぞ、やろうじゃないか、ということで出来たのが、脳力開発なのです。ご興味ある方は、徳島や新潟・十日町市で年に何回か、不定期にやっていますので、ぜひ一度のぞきに来てみてください。詳細は、私のホームページ http://jatsudon.in.coocan.jp/
をご覧ください。