JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

フィリピンの日系人?

2016-01-27 15:36:46 | 日記
 天皇陛下と美智子妃殿下が2度目のフィリピン訪問を
されております。お年を召されておられるのに誠にご
苦労なことです。

 フィリピンになぜ日系人が沢山おり、国籍問題を抱え
ているがということを聞いたとき、えっなぜと思いまし
た。
 2次大戦のときに兵隊さんが残していった子供たちが
いたの?と疑問を覚えました。

 実は大正の初めころ、バギオという標高1500mにある
避暑地の都市へ通じる道を作るのに、当時統治していた
アメリカのケノン大佐が指揮して道路工事をしていたの
ですが、難工事で事故も多く発生して困り、当時から優
秀だった日本人に助けを乞うたことに始まるのです。
 多くの日本人労働者が海を渡り、この難工事をやり遂
げ、いまのベンゲット道路(ケノンロード)が完成した
のです。
 多くの日本人はそのままバギオ周辺に残り、現地の女
性と結婚し子供たちが生まれ、日本人社会ができたのです。
 しかし2次大戦がはじまり、父方の国と母方の国が戦争
状態になり、多くの日系人は迫害をうけ、戦後は多くの
日系人たちはジャングルでひそかな生活をせざるを得な
かったのです。
 昭和も47年ごろシスター海野が現地を訪れ、隠れて暮ら
すこれらの日系人のことを知り、もう大丈夫だからとひそ
かにて生活していた人たちを諭して再び日本人社会を作り
上げたのです。
 その過程で多くの無国籍者が生じ、日本の国籍を取るか、
フィリピン人になるかの選択を迫られた歴史があります。
 いまだにその証がないために日本の国籍を得ることがで
きない人もいます。
 私は15年ほど前にバギオを訪れ、ケノンロードを通った
事があります。アボンと名付けられた集会場で日系の子弟
たちに学資金を贈呈する一団に加わりました。
 バギオはパインシティーと呼ばれるほど松の木が多い
住みやすいきれいな高地の都市でした。
 あまり世間では知られていない、日本人の活躍した歴史
がここにもあったのです。

 
 
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