アモス書 3:1-2, 7-8
イスラエルの人々よ、主があなたがたに向かって言われたこと、わたしがエジプトの地から導き上った全家に向かって言ったこの言葉を聞け。 「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った。それゆえ、わたしはあなたがたのもろもろの罪のため、あなたがたを罰する。
…
まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。
神様は一方的な恵みによってイスラエルを愛し、祝福を受け継ぐ民、全地の祝福の基となる唯一の民として選び、エジプトから導き出してカナンの地を嗣業として与えました。そして祝福の契約書としてモーセによって律法を授け、神様との約束を果たすように命じられました。にもかかわらずイスラエルの民は祝福だけを享受し、神様との契約を破って偶像の神々に仕えるようになってしまいました。それゆえ神様は契約違反の罪を罰するに先立ち、預言者たちの言葉を通して主に立ち帰らなければ神様の裁きが訪れることを予告されました。まことの預言者たちは、自分の考えた言葉を語ったのではなく、神様からこのように語りなさいと示された言葉を、主の切迫した御思いに感じて語ったのです。それでも悔い改めない者は、もはや神の裁きを免れることはできません。
http://bible.com/81/amo.3.1-2,7-8.ja1955
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アモス書 3:3-6
「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか。 ししがもし獲物がなかったなら、林の中でほえるだろうか。若いししがもし物をつかまなかったなら、その穴から声を出すだろうか。 もしわながなかったなら、鳥は地に張った網にかかるだろうか。網にもし何もかからなかったなら、地からとびあがるだろうか。 町でラッパが鳴ったなら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災が起るだろうか。」
神様は預言を成就するに当たり、この世でごく当たり前に起きていることの因果関係を引き合いにして、主が裁きをなさるのは人々が罪を犯した結果に他ならないと告げられました。「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか」という箇所は、神様が人と契約を交わしたから共に歩むのだということを思い起こさせます。神様が共に歩んでくださらないならば、弱い存在に過ぎない私たちはどうして世の力に立ち向かって歩み続けることができるでしょうか。今一度、神様が交わしてくださった契約を思い起こし、万軍の主と共に歩む平安と祝福を受ける私たちでありますように。
http://bible.com/81/amo.3.3-6.ja1955
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アモス書 3:9-11
アッスリヤにあるもろもろの宮殿、エジプトの地にあるもろもろの宮殿に宣べて言え、「サマリヤの山々に集まり、そのうちにある大いなる騒ぎと、その中で行われる暴虐とを見よ」と。 主は言われる、「彼らは正義を行うことを知らず、しえたげ取った物と奪い取った物とをそのもろもろの宮殿にたくわえている」。 それゆえ主なる神はこう言われる、「敵がきて、この国を囲み、あなたの防備をあなたから取り除き、あなたのもろもろの宮殿はかすめられる」。
神様はイスラエルの国中で行われた悪を暴くために、異教徒であるアッスリヤとエジプトの王たちに、サマリヤの山々すなわち偶像礼拝の場でどれほど破廉恥な行為を行っているかを見に来なさいといわれました。神をも恐れぬ異邦人ですら行わないような乱交と、暴虐の限りを尽くした搾取を、神様がそのまま黙って見過ごすはずがありません。神様は不正によって集められたこれらの不浄の富をかすめ奪いに来なさいと、アッスリヤとエジプトの王に告げられたのです。義を愛される神様の御心に適わない財産は、いつまでも手元に残ることはありません。私たちが求めるべきは、錆びず朽ちず虫の付かない永遠の宝を天に蓄えることです。
http://bible.com/81/amo.3.9-11.ja1955
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アモス書 3:12-15
主はこう言われる、「羊飼がししの口から、羊の両足、あるいは片耳を取り返すように、サマリヤに住むイスラエルの人々も、長いすのすみや、寝台の一部を携えて救われるであろう」。 万軍の神、主なる神は言われる、「聞け、そしてヤコブの家に証言せよ。 わたしはイスラエルのもろもろのとがを罰する日にベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折れて、地に落ちる。 わたしはまた冬の家と夏の家とを撃つ、象牙の家は滅び、大いなる家は消えうせる」と主は言われる。
ヤラベアム2世の時代、北イスラエル王国は最大の領土に拡大し、経済的にも豊かになって、人々は贅沢三昧の暮らしをしていました。長いす、寝台、冬の家と夏の家(別荘のこと)、象牙の家など、世の人々が追い求める贅沢な暮らし向きを享受し、人生を謳歌していたイスラエルや人々に、神様は、それら彼らが追い求めていたものがすべて奪われると告げられました。神様は、この世の富を追い求める安逸な生活にあぐらをかいている人々にピリオドを打たれます。私たちが真に追い求めるものは、添えて与えられる恵みの数々ではなく、神の国と神の義を第一に求めるべきです。
http://bible.com/81/amo.3.12-15.ja1955
イスラエルの人々よ、主があなたがたに向かって言われたこと、わたしがエジプトの地から導き上った全家に向かって言ったこの言葉を聞け。 「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った。それゆえ、わたしはあなたがたのもろもろの罪のため、あなたがたを罰する。
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まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。
神様は一方的な恵みによってイスラエルを愛し、祝福を受け継ぐ民、全地の祝福の基となる唯一の民として選び、エジプトから導き出してカナンの地を嗣業として与えました。そして祝福の契約書としてモーセによって律法を授け、神様との約束を果たすように命じられました。にもかかわらずイスラエルの民は祝福だけを享受し、神様との契約を破って偶像の神々に仕えるようになってしまいました。それゆえ神様は契約違反の罪を罰するに先立ち、預言者たちの言葉を通して主に立ち帰らなければ神様の裁きが訪れることを予告されました。まことの預言者たちは、自分の考えた言葉を語ったのではなく、神様からこのように語りなさいと示された言葉を、主の切迫した御思いに感じて語ったのです。それでも悔い改めない者は、もはや神の裁きを免れることはできません。
http://bible.com/81/amo.3.1-2,7-8.ja1955
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アモス書 3:3-6
「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか。 ししがもし獲物がなかったなら、林の中でほえるだろうか。若いししがもし物をつかまなかったなら、その穴から声を出すだろうか。 もしわながなかったなら、鳥は地に張った網にかかるだろうか。網にもし何もかからなかったなら、地からとびあがるだろうか。 町でラッパが鳴ったなら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災が起るだろうか。」
神様は預言を成就するに当たり、この世でごく当たり前に起きていることの因果関係を引き合いにして、主が裁きをなさるのは人々が罪を犯した結果に他ならないと告げられました。「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか」という箇所は、神様が人と契約を交わしたから共に歩むのだということを思い起こさせます。神様が共に歩んでくださらないならば、弱い存在に過ぎない私たちはどうして世の力に立ち向かって歩み続けることができるでしょうか。今一度、神様が交わしてくださった契約を思い起こし、万軍の主と共に歩む平安と祝福を受ける私たちでありますように。
http://bible.com/81/amo.3.3-6.ja1955
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アモス書 3:9-11
アッスリヤにあるもろもろの宮殿、エジプトの地にあるもろもろの宮殿に宣べて言え、「サマリヤの山々に集まり、そのうちにある大いなる騒ぎと、その中で行われる暴虐とを見よ」と。 主は言われる、「彼らは正義を行うことを知らず、しえたげ取った物と奪い取った物とをそのもろもろの宮殿にたくわえている」。 それゆえ主なる神はこう言われる、「敵がきて、この国を囲み、あなたの防備をあなたから取り除き、あなたのもろもろの宮殿はかすめられる」。
神様はイスラエルの国中で行われた悪を暴くために、異教徒であるアッスリヤとエジプトの王たちに、サマリヤの山々すなわち偶像礼拝の場でどれほど破廉恥な行為を行っているかを見に来なさいといわれました。神をも恐れぬ異邦人ですら行わないような乱交と、暴虐の限りを尽くした搾取を、神様がそのまま黙って見過ごすはずがありません。神様は不正によって集められたこれらの不浄の富をかすめ奪いに来なさいと、アッスリヤとエジプトの王に告げられたのです。義を愛される神様の御心に適わない財産は、いつまでも手元に残ることはありません。私たちが求めるべきは、錆びず朽ちず虫の付かない永遠の宝を天に蓄えることです。
http://bible.com/81/amo.3.9-11.ja1955
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アモス書 3:12-15
主はこう言われる、「羊飼がししの口から、羊の両足、あるいは片耳を取り返すように、サマリヤに住むイスラエルの人々も、長いすのすみや、寝台の一部を携えて救われるであろう」。 万軍の神、主なる神は言われる、「聞け、そしてヤコブの家に証言せよ。 わたしはイスラエルのもろもろのとがを罰する日にベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折れて、地に落ちる。 わたしはまた冬の家と夏の家とを撃つ、象牙の家は滅び、大いなる家は消えうせる」と主は言われる。
ヤラベアム2世の時代、北イスラエル王国は最大の領土に拡大し、経済的にも豊かになって、人々は贅沢三昧の暮らしをしていました。長いす、寝台、冬の家と夏の家(別荘のこと)、象牙の家など、世の人々が追い求める贅沢な暮らし向きを享受し、人生を謳歌していたイスラエルや人々に、神様は、それら彼らが追い求めていたものがすべて奪われると告げられました。神様は、この世の富を追い求める安逸な生活にあぐらをかいている人々にピリオドを打たれます。私たちが真に追い求めるものは、添えて与えられる恵みの数々ではなく、神の国と神の義を第一に求めるべきです。
http://bible.com/81/amo.3.12-15.ja1955