伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/08/21

2018-08-21 07:40:08 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 4:1-4

ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。

ヨナがたった1日、神の御言葉を語ったことで、ニネベの王も人々も悔い改めて神の裁きを逃れることができましたが、ヨナはこの救いを不服とし、自ら死を求めるほどに激しく怒り、神様にまでその怒りの矛先を向けました。この「怒り」という言葉は、ヘブル語で最も激しい怒りを表現する単語が用いられているそうです。神様はヨナをなだめようとしますが、ヨナの怒りは収まりません。ヨナがここまで激しく怒った理由は、自分の考える正しさの基準と、神様の義の基準が異なっていたことによります。ヨナは最初に神様からニネベに行くように命じられたときから、愛と恵みに富む神様はニネベの人を憐れんで裁きを思い直されることを知っていたと言いました。しかしヨナは、神様は憐れみ深いお方であると知っていながら、その憐れみを受けられるのは神の民イスラエルのみで、偶像の神々を信奉し悪行三昧の異邦人には断じて向けられるべきではないと固く信じていました。ここに人間の義と愛の限界があります。そんなヨナに神様は「あなたの怒るのは、よいことであろうか」と問いかけられました。まことの信仰者は、自分の判断基準で人を裁き、怒りに心を支配されないように、すべての基準を神様の尺度に合わせ、神様の視点に立って言動を慎まなければなりません。

http://bible.com/81/jon.4.1-4.ja1955

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ヨナ書 4:5-9

そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。

ヨナはニネベの町がどうなるか、その顛末を見極めるために、町の東に一つの小屋を造って住みました。これは世の中の出来事をただ眺めるだけで、自分からは一切関わろうとはせず、評論家気取りであれこれ批判する、傍観者の態度です。そんなヨナのためにも、神様は暑さをしのぐために一本のとうごまの木を備えてくださいました。ヨナはこの神様の憐れみを喜んでいましたが、たった一匹の虫にかまれて翌朝には枯れてしまい、更に東からの激しい熱風と日照りによって、ヨナはまた死を望むほどに弱り果ててしまいました。神様は再びヨナに「あなたの怒るのはよくない」と声を掛けられましたが、ヨナは怒りのあまり狂い死にそうだと、感情を露わにして苦しみ悶えました。一時の感情に身を任せると、私たちはとんでもないことをいとも簡単に口走る、実に弱く愚かな者です。常に安定した心を保つには、感情に支配されない神の賜る平安で心を満たすことです。

http://bible.com/81/jon.4.5-9.ja1955

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ヨナ書 4:10-11

主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

この御言葉こそがヨナ書の最も中心的な主題であり結論です。天地万物を造り、神のかたちに人を造られ、いのちの息を吹き入れて生きる者としてくださった神様は、その御手の業である人間と被造物が罪の故に滅びに向かうのを惜しまれ、何とかして救い出したいと願っておられます。その神様の御心をヨナに理解させるために、神様は一本のとうごまを用いられたのです。私たちの周りにも、神様の憐れみの証拠や痕跡が、探せばいくらでも見つかるはずです。自分の主義主張や一方的な思い込み、怒り、妬み、憎しみなどのマイナスの感情に凝り固まって神様の恵みが見えなくなることのないよう、「数えてみよ主の恵み」との讃美歌のように数え切れない主の恵みに目を留め、憐れみ深い主に倣う者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.4.10-11.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/21

2018-08-21 06:35:17 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 10:35 新共同訳

「だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。」

困難や迫害をもものともせず義なる神の御心を行う者だけが、天の御国を受ける確信を抱くことができます。この確信を自ら手放すことなく、しっかりと握りしめて主に従い通す私たちでありますように。

http://bible.com/1819/heb.10.35.新共同訳
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