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【COGHCC聖書通読】 2018/08/02

2018-08-02 07:42:30 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 12:1, 14

エフライムはひねもす風を牧し、東風を追い、偽りと暴虐とを増し加え、アッスリヤと取引をなし、油をエジプトに送った。

エフライムはいたく主を怒らせた。それゆえ主はその血のとがを彼の上にのこし、そのはずかしめを彼に返される。

ホセア書12章は、当時の北イスラエル王国の悪と、イスラエル民族の歴史とを交互に対比させて、自分たちは正しいと主張するイスラエルの人々に、どこが間違っているのかをわかってほしいと願われる主の切なる悔い改めの勧告として記されています。ですから章の始めと最後が最も重要なメッセージが要約されています。エフライム(=北イスラエル)は風を飼うような実体のない生活をしていました。かつての日本のバブル経済とよく似ています。偽りと暴虐(搾取)によって繁栄を極め、アッシリヤに貢いだかと思えばエジプトにも貢ぎ物を送る、風見鶏のような政治を行っていました。神様を頼らず自分の力と列強国に頼ったエフライムに主は怒り、その罪に必ず報いると宣告されました。

http://bible.com/81/hos.12.1,14.ja1955

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ホセア書 12:2-6

主はユダと争い、ヤコブをそのしわざにしたがって罰し、そのおこないにしたがって報いられる。 ヤコブは胎にいたとき、その兄弟のかかとを捕え、成人したとき神と争った。 彼は天の使と争って勝ち、泣いてこれにあわれみを求めた。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼と語られた。 主は万軍の神、その名は主である。 それゆえ、あなたはあなたの神に帰り、いつくしみと正しきとを守り、つねにあなたの神を待ち望め。

主に立ち帰らなかったエフライムの姿と対比されたのが、イスラエル民族の父祖ヤコブの生涯です。ヤコブは母の胎内にいるときから兄エサウを押し退ける者として生まれ、生まれ故郷に帰ってきたときにも神と争い、ヤボク川の渡しで「不思議な相撲」に勝利しかけました。しかし神の使はヤコブの腰の関節をはずしてその力を失わせ、主の御前に遜る経験をさせました。我の強かったヤコブが謙虚になった姿を見て、神様ははじめて彼に「押し退ける者」という意味を持つ「ヤコブ」という名前から「イスラエル」という名前を授けました。これがイスラエル民族の始めです。神様と直接出会ったヤコブのように、万軍の主に立ち帰り、神を待ち望め、との勧めが、エフライムそして心の頑なな私たちに対する神様からのメッセージです。

http://bible.com/81/hos.12.2-6.ja1955

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ホセア書 12:7-8

商人はその手に偽りのはかりを持ち、しえたげることを好む。 エフライムは言った、「まことにわたしは富める者となった。わたしは自分ために財宝を得た」と。しかし彼のすべての富もその犯した罪をつぐなうことはできない。

「商人」という言葉の原語は「カナン」とも訳され、イスラエルが住んでいた地域の土着民族を指します。その言葉は、利益追求のためには平気で不正を働く者という意味があるそうです。当時のエフライム(=北イスラエル)もまた、自分では気付いていませんでしたが、利益のためには何でもする、汚い商人と同じだという指摘が神様の示された罪の内容です。不正によって得た富に、罪を償うことはできません。主イエスと出会って不正の富を4倍にして返し、自分の財産の半分を貧しい人に施すと宣言したザアカイのように、徹底した改心が求められています。

http://bible.com/81/hos.12.7-8.ja1955

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ホセア書 12:9-10

わたしはエジプトの国を出たときから、あなたの神、主である。わたしは祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせよう。 わたしは預言者たちに語った。幻を多く示したのはわたしである。わたしは預言者たちによってたとえを語った。

再び神様はご自身について語られます。数々の罪と失敗を繰り返してきたイスラエル民族に対し、それでも神様は「わたしはエジプトの国を出たときから、あなたの神、主である」と、昔も今も変わらずにイスラエルを守り導かれる神様であると宣言されました。見捨てられて当然なのに、何という恵みでしょうか。たとい私たちが不真実であっても、神様は真実を貫かれるお方です。この神様が預言者を通して示された幻と、譬によって語られた御言葉の教えを守り従う私たちであります酔えに。

http://bible.com/81/hos.12.9-10.ja1955

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ホセア書 12:11-14

もしギレアデに不義があるなら、彼らは必ずむなしき者となる。もし彼らがギルガルで雄牛を犠牲にささげるなら、彼らの祭壇は畑のうねに積んだ石塚のようになる。 (ヤコブはアラムの地に逃げっていった。イスラエルは妻をめとるために人に仕えた。彼は妻をめとるために羊を飼った。) 主はひとりの預言者によって、イスラエルをエジプトから導き出し、ひとりの預言者によってこれを守られた。 エフライムはいたく主を怒らせた。それゆえ主はその血のとがを彼の上にのこし、そのはずかしめを彼に返される。

ギルアデとは先に出てきたヤボク川に近い場所、ギルガルはヨルダン川からエリコに向かう途中の場所で、どちらもイスラエル民族にとって歴史的な場所でありながら、偶像礼拝が盛んに行われた場所となっていました。ひとりの預言者とは出エジプトを導いたモーセのことで、神様から与えられた律法を守り行うことで神様の祝福を得、主を忘れ律法を守り行わないならば神の怒りを買って滅ぼされると厳しく戒めました。神様はイスラエルの歴史、アイデンティティーを思い起こさせることで、彼らが主に立ち帰ることを切に望んでおられました。にもかかわらず神様に逆らい、御言葉を守り行わなかったイスラエルの人々は、もはや神の怒りから逃れることはできません。私たちはイスラエルの歴史から深く学び、正しい選択を行わなければなりません。

http://bible.com/81/hos.12.11-14.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/02

2018-08-02 06:35:06 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 12:14 新共同訳

「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」

山上の垂訓にもあるように、心のきよい人、平和を創り出す人こそが、神様の御心に適う人です。いと聖なる神の僕に相応しくきよい生活を送り、平和を愛される神の御心をこの世で実践するために、すべての人と平和的な関係を保つ私たちでありますように。

http://bible.com/1819/heb.12.14.新共同訳
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