ホセア書 13:1-3
エフライムが物言えば、人々はおののいた。彼はイスラエルの中に自分を高くした。しかし彼はバアルによって罪を犯して死んだ。 そして彼らは今もなおますます罪を犯し、その銀をもって自分のために像を鋳、巧みに偶像を造る。これは皆工人のわざである。彼らは言う、これに犠牲をささげよ、人々は子牛に口づけせよと。 それゆえ彼らは朝の霧のように、すみやかに消えうせる露のように、打ち場から風に吹き去られるもみがらのように、また窓から出て行く煙のようになる。
エフライム族はイスラエル12部族の中でも中心的、指導的な役割を担った非常に有力な部族で、イスラエルを連戦連勝に導いたヨシュアも、北イスラエル王国を建国したヤラベアム1世もエフライム族の出身でした。そのことを指したのが1節の書き出しの言葉です。しかしエフライムは神様にではなく自分たちの力に頼り、主の御心を尋ね求めることなく自らの判断に従いベテルとダンに金の子牛を置いて偶像礼拝の罪を犯させました。それゆえ主は、日が昇ると消えてしまう朝露のように、風に吹き飛ばされる籾殻のように、エフライムの繁栄を取り去ると宣告されました。バブル経済の絶頂の中に酔いしれていたエフライムに、残念ながら主の言葉が届くことはありませんでした。私たちは主の戒めを忘れることなく、謙虚に聞き従う心を持つことが大切です。
http://bible.com/81/hos.13.1-3.ja1955
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ホセア書 13:4-8
わたしはエジプトの国を出てからこのかた、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はない。 わたしは荒野で、またかわいた地で、あなたを知った。 しかし彼らは食べて飽き、飽きて、その心が高ぶり、わたしを忘れた。 それゆえ、わたしは彼らに向かって、ししのようになり、ひょうのように道のかたわらに潜んでうかがう。 わたしは子を取られた熊のように彼らに出会って、その胸をかきさき、その所で、ししのようにこれを食い尽し、野の獣のようにこれをかき破る。
試練のときには神様を求めても、順境のときには神様の存在すら忘れ去って自分の好き勝手に生きようとするのが私たち人間の愚かさです。しかし神様は、荒野の試練の日にも、平安の中にある安泰の日々にも、常に変わることなく「わたしはあなたの神、主である」と御声を掛け続けておられます。主の細き御声に気付かず、自分本位のライフスタイルを送り続けるならば、神様は終末の日に野獣のように襲い来り、その罪に報いていのちを奪わざるを得なくなります。順境の日にも、逆境の夜にも、常日頃から変わらず主の御前に謙虚になり、その戒めに聞き従い続ける私たちでありますように。
http://bible.com/81/hos.13.4-8.ja1955
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ホセア書 13:9-12
イスラエルよ、わたしはあなたを滅ぼす。だれがあなたを助けることができよう。 あなたを助けるあなたの王は今、どこにいるのか。あなたがかつて「わたしに王と君たちとを与えよ」と言ったあなたを保護すべき、すべてのつかさたちは今、どこにいるのか。 わたしは怒りをもってあなたに王を与えた、また憤りをもってこれを奪い取った。 エフライムの不義は包みおかれ、その罪は積みたくわえられてある。
神の国イスラエルの王たるお方は、主なる神ただお一人です。しかし人々は目には見えない主に信頼する辛抱ができず、近隣諸国のように自分たちの目に見える王を与えてくださいと預言者サムエルに求めました。サムエルは民の要求に不服でしたが、寛大な神様は人々の求めに応じて、イスラエルに王を立てることをお許しになりました。しかし今や、最初にサムエルが警告したように、王は私腹を肥やすために国民から搾取するようになり、クーデターに次ぐクーデターを引き起こして政権は目まぐるしく変わりました。イスラエルの人々が神様にではなく王に救いを求めたのが、すべての発端でした。私たちは何を差し置いても神様に従い、何事も神様に求める者でありたいと願います。
http://bible.com/81/hos.13.9-12.ja1955
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ホセア書 13:13-14
子を産む女の苦しみが彼に臨む。彼は知恵のない子である。生れる時が来ても彼は産門にあらわれない。 わたしは彼らを陰府の力から、あがなうことがあろうか。彼らを死から、あがなうことがあろうか。死よ、おまえの災はどこにあるのか。陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。あわれみは、わたしの目から隠されている。
神様は北イスラエル王国が置かている実状を、産まれかかっているのになかなか胎内から出てこない難産の子どもにたとえられました。難産は死産のリスクと隣合せの危機的状況です。にもかかわらず彼らは自分の置かれた状況を正しく理解することができず、平穏無事な現状に立ち止まって自ら死を迎える形となっていました。14節の御言葉は、コリント人への第一の手紙15章でパウロが引用した箇所で、この問い掛けの答は新約聖書に記されています。罪の中に立ち止まって死を迎えることなく、罪を悔い改めて主に立ち帰り、キリストの十字架による購いに与る私たちでありますように。
http://bible.com/81/hos.13.13-14.ja1955
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ホセア書 13:15-16
たとい彼は葦のように栄えても、東風が吹いて来る。主の風が荒野から吹き起る。これがためにその源はかれ、その泉はかわく。それはすべての尊い物の宝庫をかすめ奪う。 サマリヤはその神にそむいたので、その罪を負い、つるぎに倒れ、その幼な子は投げ砕かれ、そのはらめる女は引き裂かれる。
「人間は考える葦である」というパスカルの名言のように、私たち人間は神様から知恵をいただいた以外は、葦のように実に弱く心許ない存在に過ぎません。東風とは、ゴラン高原の砂漠地帯を越えてイスラエルに吹き下ろす強烈な熱風にたとえたアッシリヤの脅威を暗示しています。この東風が水源も草木も枯らすように、今の北イスラエル王国の繁栄もアッシリヤが根こそぎ奪い取ってゆきます。その理由は、彼らがまことの神、主に寄り頼まず、偶像礼拝の罪を犯して主に背き続けたからです。たとい今は束の間の繁栄を謳歌していても、その繁栄をもたらした全知全能にして唯一の神を畏れない愚か者の行く末は、ただ滅亡を待つのみです。
http://bible.com/81/hos.13.15-16.ja1955
エフライムが物言えば、人々はおののいた。彼はイスラエルの中に自分を高くした。しかし彼はバアルによって罪を犯して死んだ。 そして彼らは今もなおますます罪を犯し、その銀をもって自分のために像を鋳、巧みに偶像を造る。これは皆工人のわざである。彼らは言う、これに犠牲をささげよ、人々は子牛に口づけせよと。 それゆえ彼らは朝の霧のように、すみやかに消えうせる露のように、打ち場から風に吹き去られるもみがらのように、また窓から出て行く煙のようになる。
エフライム族はイスラエル12部族の中でも中心的、指導的な役割を担った非常に有力な部族で、イスラエルを連戦連勝に導いたヨシュアも、北イスラエル王国を建国したヤラベアム1世もエフライム族の出身でした。そのことを指したのが1節の書き出しの言葉です。しかしエフライムは神様にではなく自分たちの力に頼り、主の御心を尋ね求めることなく自らの判断に従いベテルとダンに金の子牛を置いて偶像礼拝の罪を犯させました。それゆえ主は、日が昇ると消えてしまう朝露のように、風に吹き飛ばされる籾殻のように、エフライムの繁栄を取り去ると宣告されました。バブル経済の絶頂の中に酔いしれていたエフライムに、残念ながら主の言葉が届くことはありませんでした。私たちは主の戒めを忘れることなく、謙虚に聞き従う心を持つことが大切です。
http://bible.com/81/hos.13.1-3.ja1955
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ホセア書 13:4-8
わたしはエジプトの国を出てからこのかた、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はない。 わたしは荒野で、またかわいた地で、あなたを知った。 しかし彼らは食べて飽き、飽きて、その心が高ぶり、わたしを忘れた。 それゆえ、わたしは彼らに向かって、ししのようになり、ひょうのように道のかたわらに潜んでうかがう。 わたしは子を取られた熊のように彼らに出会って、その胸をかきさき、その所で、ししのようにこれを食い尽し、野の獣のようにこれをかき破る。
試練のときには神様を求めても、順境のときには神様の存在すら忘れ去って自分の好き勝手に生きようとするのが私たち人間の愚かさです。しかし神様は、荒野の試練の日にも、平安の中にある安泰の日々にも、常に変わることなく「わたしはあなたの神、主である」と御声を掛け続けておられます。主の細き御声に気付かず、自分本位のライフスタイルを送り続けるならば、神様は終末の日に野獣のように襲い来り、その罪に報いていのちを奪わざるを得なくなります。順境の日にも、逆境の夜にも、常日頃から変わらず主の御前に謙虚になり、その戒めに聞き従い続ける私たちでありますように。
http://bible.com/81/hos.13.4-8.ja1955
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ホセア書 13:9-12
イスラエルよ、わたしはあなたを滅ぼす。だれがあなたを助けることができよう。 あなたを助けるあなたの王は今、どこにいるのか。あなたがかつて「わたしに王と君たちとを与えよ」と言ったあなたを保護すべき、すべてのつかさたちは今、どこにいるのか。 わたしは怒りをもってあなたに王を与えた、また憤りをもってこれを奪い取った。 エフライムの不義は包みおかれ、その罪は積みたくわえられてある。
神の国イスラエルの王たるお方は、主なる神ただお一人です。しかし人々は目には見えない主に信頼する辛抱ができず、近隣諸国のように自分たちの目に見える王を与えてくださいと預言者サムエルに求めました。サムエルは民の要求に不服でしたが、寛大な神様は人々の求めに応じて、イスラエルに王を立てることをお許しになりました。しかし今や、最初にサムエルが警告したように、王は私腹を肥やすために国民から搾取するようになり、クーデターに次ぐクーデターを引き起こして政権は目まぐるしく変わりました。イスラエルの人々が神様にではなく王に救いを求めたのが、すべての発端でした。私たちは何を差し置いても神様に従い、何事も神様に求める者でありたいと願います。
http://bible.com/81/hos.13.9-12.ja1955
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ホセア書 13:13-14
子を産む女の苦しみが彼に臨む。彼は知恵のない子である。生れる時が来ても彼は産門にあらわれない。 わたしは彼らを陰府の力から、あがなうことがあろうか。彼らを死から、あがなうことがあろうか。死よ、おまえの災はどこにあるのか。陰府よ、おまえの滅びはどこにあるのか。あわれみは、わたしの目から隠されている。
神様は北イスラエル王国が置かている実状を、産まれかかっているのになかなか胎内から出てこない難産の子どもにたとえられました。難産は死産のリスクと隣合せの危機的状況です。にもかかわらず彼らは自分の置かれた状況を正しく理解することができず、平穏無事な現状に立ち止まって自ら死を迎える形となっていました。14節の御言葉は、コリント人への第一の手紙15章でパウロが引用した箇所で、この問い掛けの答は新約聖書に記されています。罪の中に立ち止まって死を迎えることなく、罪を悔い改めて主に立ち帰り、キリストの十字架による購いに与る私たちでありますように。
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ホセア書 13:15-16
たとい彼は葦のように栄えても、東風が吹いて来る。主の風が荒野から吹き起る。これがためにその源はかれ、その泉はかわく。それはすべての尊い物の宝庫をかすめ奪う。 サマリヤはその神にそむいたので、その罪を負い、つるぎに倒れ、その幼な子は投げ砕かれ、そのはらめる女は引き裂かれる。
「人間は考える葦である」というパスカルの名言のように、私たち人間は神様から知恵をいただいた以外は、葦のように実に弱く心許ない存在に過ぎません。東風とは、ゴラン高原の砂漠地帯を越えてイスラエルに吹き下ろす強烈な熱風にたとえたアッシリヤの脅威を暗示しています。この東風が水源も草木も枯らすように、今の北イスラエル王国の繁栄もアッシリヤが根こそぎ奪い取ってゆきます。その理由は、彼らがまことの神、主に寄り頼まず、偶像礼拝の罪を犯して主に背き続けたからです。たとい今は束の間の繁栄を謳歌していても、その繁栄をもたらした全知全能にして唯一の神を畏れない愚か者の行く末は、ただ滅亡を待つのみです。
http://bible.com/81/hos.13.15-16.ja1955