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コロナ禍で膨らむ「陰謀論」

2021-04-30 09:41:41 | 日記

今朝の朝日新聞に「陰謀論」の取材記事が掲載された。

「陰謀論」といえば、アメリカ大統領選挙での「Qアノン」が有名だ。現代はネットの普及が後押しし、「エコーチャンバー現象」でいっそう深まっている。

しかし「新型コロナワクチンにマイクロチップが入っている」には驚いた。

マイクロチップは、ペットの識別に使われており、外国では犯罪者にチップを埋め込むこともすでに行われている。こうしたことの反映であろう。人間に拡大した場合は、人権の問題として大問題になる。

また社会が不安になれば、新興宗教のセクトに取り込まれる危険も増えていく。

私たちはどうすればよいか。

中世のキリスト教の時代に宗教的迫害から逃れ小さなコロニーがうまれたが、一部はボス的支配にのまれ退廃していったという。

やはり人間社会から離れ、人間社会と隔絶していくと「危険性」がでてくるのではないか。
「エコーチャンバー現象」もそのうちのひとつであろう。

私は、哲学的に「唯物論」の立場にたつことが必要だと思う。

人間の意識の外にある客観的世界。それをどう認識していくか。ともすれば「観念論」に落ち込んでしまうことが多い。

客観的世界の認識を深めていくには、そうとうの努力が必要だ。よく「現実との格闘」といわれる。

その苦労を避け「観念」の世界にとらわれると、客観的世界への認識が弱まる。

ひとつの例が、問題を解明するにあたり行き詰まると「超能力」や「神の力」など神秘主義にとりこまれることだ。ここからは認識の発展が弱まり止まってしまう。

神秘は楽しむ程度にとどめることが大切だ。神秘の解明はあくまでも科学的に、客観的に認識を深めることに求めるべきだ。

もともと人間には「素朴的実在論」がそなわっている。でないと命がいくつあってもたりない。

「陰謀論」は、結局のところ「唯物論と観念論」の問題に行きつく。そして哲学的「弁証法」の問題でもある。

事実をいかに追究しても、観念論は打ち破れない。やはり「哲学」の問題にふれないと。

ぜひ若い人たちに、科学的社会主義の「弁証法的唯物論」をかじってほしい。

「陰謀論」にたちむかうヒントになると思う。

追記
20世紀初頭の「物理学の危機」は、哲学の問題だと喝破したのがロシアの革命家レーニンであった。
多くの物理学者が「観念論の迷路」にはまり込み、それが政治の世界にも流れ込んできた。
レーニンは「唯物論と経験批判論」を執筆し、徹底的に批判していった。
人は容易に観念論に落ち込む。だからこそ多大な努力が必要だ。
このことを書いたのが不破哲三氏だ。
その講義がまだネットにある。
 参考に ⇒


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