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自民党政治家の無責任さの源流

2024-09-09 07:27:12 | 日記

これから行われる自民党の総裁選で、候補は「改革」「若さ」など主張しているが、国民は自民党の「改革」=政治と金の問題でで何回もだまされてきたのではないか。

この「無責任」はどこからきているのだろうか。

自民党議員からよく耳にする言葉ーー「結果責任」

これは20世紀初めのヨーロッパにおける社会革命の時代に、資本主義擁護の論陣をはったマックス・ウェーバーからとられたもの。

彼の著作の「職業としての政治」からだ。
この本は「倫理」をといているので非常に難解だ。
「心情倫理と責任倫理」という難しい概念を駆使して、政治家を志すにはと称して次の言葉で結んでいる。

「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ。」(岩波文庫より)

ここには階級性も、社会のどの層の、誰の立場に立つのかは明らかにされない。
全人類的な、政治家一般の問題に広げすぎてわかりにくくなっている。新カント主義、その後の論理実証主義・分析哲学などの主観的観念論の流れに属する特徴だ。

そもそも倫理や道徳は、階級、階層に制約されており、それを無視して「普遍性」を強調するのが主観的観念論だ。

ウェーバーは、資本主義的な、宗教的な厳しい倫理を強調したが、政治家はもっと現実的だ。「結果責任」が独り歩きし、自己の「合理化」に使われてしまっているのではないか。自民党の政治家をみて思う。

この主観的観念論の流れは、現代では「新自由主義」という風を巻き起こし、自民党の「規制緩和」政策を後押ししている。

「若さ」と「改革」を強調する小泉氏は、「進次郎構文」であいまいにし、ごまかしながら、「ライドシェア」「規制緩和」などの「新自由主義」そのものを進めている。
そしてアメリカと財界の長年の野望である「憲法改正」を強調している。だからこそ腐敗の温床である「企業・団体献金禁止」に強く反対しているのだ。

なんのことはない。アベノミクスをさらに前へ進めることと同義語だ。だから「貧困と格差の拡大」「医療・介護の改悪」など社会保障を前進させる政策はでてこない。
古い自民党そのものではないか。

「政治と金」、巨額な裏金問題・・・自民党は党としてまったくやろうとしない。そして誰も責任を取らないし、選挙に勝てば「禊(みそぎ)」はすんだとばかりに、同じように権力に居座ろうとする。

今、自民党政治そのもが問われているのではないか。