社会はかわるし、かえられる!

格差社会の縮小めざして、誰もが安心できる社会をめざして!
 

平均点競争の泥沼に!

2015-08-21 06:55:03 | 日記

昨日、釧路市の独自の学力テストの結果が
報道された。
私は、もうやめてほしい、と思った。

なぜ「平均点」ばかりが強調されるのか。
結果的に「平均点」しか目が行かなくなる
人がどんどん増えていく。

統計の数字は「平均」以外、たくさんある。
「平均」にも種類がある。人類はさまざま
な集団、大量の物をとらえるために工夫を
してきた。統計学もそのひとつ。
「母集団」をどうとらえるか。
私は「平均」だけでなく、「分散」も重要
な概念ではないか
と、問うたこともある。そしてこちらはほ
とんど問題にされない。

さらに、「正規分布」も習ったと思う。こ
ちらは測定誤差や大量の工業製品の製造に
おける誤差などが問題にされるときよく使
われる。
「正規分布」に対して、平均や分散による
母集団への認識が深まる。
しかし「正規分布」は、ごく一部のものし
か反映していない。
一番の例が、所得や貯金額は「算術平均」
を使わない。

ところが、発想が逆転している。
人間そのものを、「正規分布」に押しこも
うとしているとしか思えない。それも「平
均点」ばかりである。
一昔前の「偏差値」。(これは「分散」に
近いものだが)
悪名高きものとなり、言われなくなってい
る。

「平均点」競争は、子どもたち一人ひとり
を見えなくさせる。必要なのは、一人ひと
りに寄りそった教育ではないか。

また「平均点」競争は、ゴールのない競争
に陥っていく。
平均点を超えれば、他もがんばっているた
め、次は「以下」に落ちるかもしれない。
「平均点」だけが独り歩きしていく。
そして「平均点」を下げるものへの風当た
りが強くなる。

わたしは「平均点=学力」だけでなく、
もっと遊ぶ力をつけることが必要だ、と
主張したことがあるが、「だから学力が
低いのだ」と批判されたことがある。
さらに就職しても「九九が出来ない子がい
る。それは学力が低いからだ。だから「平
均点」を上げろ」となった。
個別の具体例と「平均」を連動させるトリ
ックであった。
その子は、学習障害ではなかったか、何ら
かの原因でつまずき、落ちこぼれてしまっ
たのか。まったくわからないまま、「学力
=平均点」に目をむけさせてしまう。

最たるものは釧路市の「学力条例」である。
点数に目をむけさせるものになっている。
当時、私は議会で批判してきた。その一部
をニュースなどにとり上げた。
        参考に→→こちら
わずか数時間の議論で、多数決で可決する
ものではないはず。

ところで、遊ぶことは人間としての総合力
を身につけていくことになる。いわゆる
「人間力」だ。
これはテスト点数の平均点には、直接に反
映されない。

教育は一人ひとりに寄りそって、ていねい
にしてほしい。
豊かな子どもに育ってほしい。多くの親の
願いではないか。

個々の子どものつまずきや問題は、教室の
先生がよくわかる。
だからこそ先生に信頼を、そしてもっとゆ
とりを、少人数学級をさらに推進していく
こと。

これが重要ではないか。

平均点が報道されるたびに、悲しい思いを
抱いている人は私だけではない。


コメントを投稿