カーラジオから「枯葉」が流れていた。
今の時期に聞きたくなる歌でもあり、イブモンタンの哀調ある声はいっそう切なさを強める。
釧路の木々の葉はすっかり落ちてしまった。
景色はもう冬だ。
天気予報では日本海側での大雪・暴風雪が。
さて日本経済の「失われた30年」であるが、自公政治の結果であることもはっきりしてきたのではないか。
非正規労働、不安定な低賃金労働のまん延、これが格差の拡大と貧困化を強めてきた。
これを国会で「法律」をつくり、労働基準法の労働者保護の規定をどんどん壊してきた。
労働者の平均賃金がピーク時より60万円も下がっている。
おまけに繰り返してきた消費税増税だ。インボイスによる「増税」もはじまった。
これでは消費は落ち込むばかりだ。
安部政権時代に低賃金ならば「副業」で稼げとばかり、「副業」による長時間労働もまん延してきた。
さらに「投資」だ。
「カネがカネを生む」投資こそ経済を発展させるとばかりに、NISAが大宣伝されている。いまやスマホでの「ワンクリック投資」まで勧めている。
学校教育でも「投資教育」を進めている。
額に汗する労働が卑下される、まさに経済発展の「邪道」ではないか。
東京新聞で「配達の現場から どう守る 仕事 暮らし」の3回連載が掲載された。
スマホの「プラットホーム」を利用したAMAZONやUberの配達問題だ。
日本は、このスマホの「プラットホーム」労働への規制をまったくやろうとしない。
フリーランスこそ「自由な労働」だともてはやしている。
そしてIT技術の発展だと喜んでいる。
そうではない。記事では「アプリに『働かされる』」との表題で、厳しい労働実態が取材されている。
「自由という名の奴隷労働」ではないのか。
さまざまな法規制も、大企業支援の自民・公明では、まったく期待できないし、やろうともしない。
先日、「ケインズ経済学」にふれたが、これが「賢明に管理された資本主義」の結果ではないか。
自民党政治家にウェーバーの「結果責任」を都合よく解釈する「無責任」がまん延している。
歌に流れる「あの頃は今日よりも 人生は美しく
太陽は明るかった」
まさに日本のことを歌ったのではないか。
いよいよ政治を変える時代が到来している。