民主文学4月号に高田三郎著「やち坊主のうた」が掲載された。
そこに獣医であり「原野の詩人」と呼ばれた芝田重郎太さんが登場する。
旧文化会館で開かれた詩の朗読と音楽による「啄木の釧路、詩と風土」の経緯が描かれている。
後半に芝田重郎太さんの詩の朗読と、自ら作詞作曲した「夏・矢臼別」を歌ったとある。
あまりにも懐かしいので、たしか十勝地方の合唱団のテープが残っており、探し出して久しぶりに聞いた。(14分)
「矢臼別の四季」は、春、秋、冬、夏の詩に続き最後は矢臼別賛歌の五篇の詩になっている。
「春・矢臼別」はピアノ伴奏ではじまる。
春は子羊の 母を呼ぶなき声に
つれられてやってくる
矢臼別の大地に・・・
そしてギターのトレモロではじまる「夏・矢臼別」
白雲たかく 流れゆく大空
はるかに煙る 緑の地平線
・・・
矢臼別の夏よ
なんと、亡き芝田重郎太さんが歌っている。
こうした「根釧原野の文学風土」に足跡を残しながら、芝田重郎太さんは日本共産党の別海町議をつとめ、その後衆議院選挙の旧5区の候補として、釧根・十勝・オホーツクと広大な地域住民の声を取り上げつつ国政変革に東奔西走した。
現在は矢臼別演習場のどまんなかにある川瀬牧場に碑がある。
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夜にライトアップされた石碑 |
60年代から70年代は酪農の発展時期であり、酪農家の立場にたった獣医師であり、社会変革に燃えた日本共産党員の姿をみた。
いまその意志を多くの人が継いでいる。
自公政治とその補完勢力の維新は、再び日本を「アジアの軍神」として蘇らせようとしている。
ロシアのウクライナ侵略を絶好の好機として、憲法9条を攻撃し、核兵器の保有まで言い出した。
日本共産党は、戦争反対をつらぬいて100年。
6月の参院選で、彼らの野望を挫くためにも、日本共産党の大きな前進が必要だ。
故芝田重郎太さんの意志を引き継ぐためにも。