先日、車でNHKラジオの「ひるのいこい」を聞いていたら、「最近、本が読めなくなってきた」というお便りが流れた。
本人曰く、「歳だと思ったが違う。原因をいろいろさぐってみたが、たぶんネットのyoutubeをよく見るようになったからでは」という分析であった。
聞いていて「確かに」と思った。私も最近本を読む集中力がなくなってきた。まあ眼も疲れるということもあるが。
人間の思考は「言葉」という抽象的なものが中心だ。言葉に過去に積み重ねられてきたさまざまな経験や映像・言語に、客観的実在が反映していく。
言葉抜きの「映像思考」というものがあるのだろうか?
あったとしても言葉にしなければ人に伝わらない。
今日の赤旗に佐藤学東京大学名誉教授が寄稿している。
「『GIGAスクール』構想どうみる」
1人1台端末は、先進諸国では10年前に達していた。日本は著しく遅れていた。
そこで通産省がICT産業の発展のため、多額の投資を行っている。
そこから未来の教育が「ICT教育」であるかのような誤解が生まれていると述べている。
PISA調査委員会のICT活用と教育効果に関する報告では、読解力、数学、科学の3領域でコンピューターの利用時間が長いほど学力が低下しており、ICT教育を推進すればするほど学力が低下するという事態になっている。すでにタブレットから紙の教科書にもどした国もある。
今、日本でも「公教育」が危機的状況にある。
ICT産業が教育をまるごと「私企業」化しはじめている。そこに膨大なな利益があるからだ。
世界のビッグビジネスはチャンスをつかみ、ICT教育市場は、2012年で400兆円、25年には1000兆円の規模と推定されている。
教師の半分を解雇し、コンピューターに置き替えれば膨大な利益を生むことになる。
「公教育」が巨大な教育市場に投げ出される。
コロナ禍で格差と貧困が広がり、子どもたちの生涯賃金が大きく落ち込んでいる。
氏は最後に「公教育を守り、創造性、探究、共同の学びで教育の質を高める改革を」と述べている。
その通りだと思った。
私は、政府の、自公政権の、歪んだ「学力観」がその根底にあり、ICT神話があると思っている。
さらに、スマホやタブレットの使用で、こどもの視力の悪化がすさまじい。身体的に大きな負担をかけている。
こどもの豊かな発展につながるICTとは?
大人が考えていく責任がある。
ICTの歪んだ使い方は、
WMD(数学破壊兵器)⇒