私の釣り人生の1ページに付属する悪友の釣りを・・・
長い釣り人生で一番かかわりのある今中師匠と谷本正弘氏。
良いときも悪いときも何かひっ掛かってくる親友でありますが僕がブログを書き始めたときも文章がなってないとか、字が間違ってるとかよく言ってきていたが師匠に「ほっといたれ、好きに書いてるのやから、読まんとけ」と言われておとなしくなった、確かに彼の言うとおりであるが、師匠のように学校の先生をやろかという方とは違い、文筆家でもないのでうまく文章も書けないのです。
でも武富氏にブログを書くにあたって、いわれたことは、途中でやめられへんのやでと、そやから大変やで、やめといたらといわれて・・・あれからできるだけ休まずに12年は越したようです。
谷本氏が弟の釣り師(今は有名人)と出かけた「ニュージーランド釣行記」を何回かに分けて復元してみます。
2000年12月30日に彼が書いたものです。
今回、私の定年退職と還暦の記念ということで、弟と釣行を相談していたら、弟は8つの候補地を挙げてきた。その中からそれじやNZの磯釣りにしようやということに決定。2人のつもりが物好きはいるもので、2人の愉快な仲間が加わり4人の珍道中となった。
我々4人は(ヨッシー・バッキー・クーニーと私ターニー)は12月13日関空発16時50分のエアーNZで一路ニュージランドは北島の磯釣り&ジギングへと出発した。途中クリストチャーチに立ち寄り、よく14日の10時45分にオークランドにやっと着いた。尻が痛くなるような長い旅だったけど眼下に広がる景色は一面の牧草地帯と火山国らしい富士山によく似た山々。
日本にはない素晴らしいけしきだ。全人口の400万人の半分近くが住むというオークランドから更に国内便に乗り換え、超小型機に揺られて約1時間でワタカネ(Whatakane)へ。そこでガイドのマーク・ドレイバー氏と落ち合う。マークは明るくしかも力ず強い、感じの良いナイスガイだった。
ほっとしたのもつかの間、肝心の竿が着いていない。聞いてみると何と飛行機が余りにも小さく、また竿ケースが余りにも長すぎるので入りきらず、次の便には何とかという返事。マークは船のキヤプテンのデーブに取りに来て貰うから、我々は先にステイ先に行こうという。OKをして、信号がまったくない道を走ること約3時間、一面のビーチと牧場の連続、人はいない。始めは珍しかった美しい景色の連続も3時間も続けられるといいかげんに他に何かないのかという気になってくる。
これ日本人の悪い癖とわかっていても、兎に角うんざりするほど緑と牛と羊の群れが続く、夕方になってやっと着いたのが、ワンガパラオア湾に面するNZ式民宿(コンドミニアム形式になっていた)だった。オーナー夫妻の明るい笑顔に迎えられて、早速旅の荷を解き明日の準備にかかる。夕食、入浴後は約2日間の旅の疲れでぐっすり寝る。なに、朝はゆっくり出るらしい。
翌朝はゆっくり起き、ゆっくり朝食、コーヒーの後、さあ出発。車で約10分のワイハウベイの波止場(コンクリートの斜面が1本だけあり車で引っ張ってきたモーターボートを下せるようになっているだけ。NZでは日本のような波止場は見なかった)から、モーターボートで約20分でケープ・ランナウエイの唯一の離れ磯である「OTARAROCK」にボートから飛び移る。磯付けの船やシステムがまだできていない。だから日本の磯より少し危険ともいえる。
早速マキエ作りをするが我々がNZに持ち込めたのは、オキアミではなく、添加剤のみ。それとガイドのマークが準備していた冷凍の鰯を混ぜて、しゃぶしゃぶにする。それをパラパラと足元に撒くと、いるいるマウマウという餌取がわんさか集まってくる。それにアジも混ざってる。サシエはと言えばその冷凍鰯のぶつ切りかイカのぶつ切りしかない。いずれもオキアミと違ってやけにサシエが大きい、だから普通のグレ針では役に立たない。結局使ったのはヒラマサ針とマグロ針だった。それに5号から6号のハリス、磯竿2号、または3号、浮きした2ヒロのフカセというという仕掛けでやってみた、すると何と第1投から直ぐにウキ入れがあり、食いついてきたのは、何と30㎝級のマダイではないか、浮き下2ヒロでいきなりマダイとは。それからはマダイの入れ食い、大きさはまちまちだが、兎に角入れれば釣れる。勿論全部リリースだが、日本ならどうだろうか、そのうちにシマアジが回ってきた、すると今度はシマアジの入れ食い、これも大きさはまちまちだが、30~40㎝で形には不満があるものの時期的にマダイと同様大型は無理らしい。(続く)