佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

だてや酔郷(あんたのおかげ)

2021-12-12 20:09:17 | 日々の思い

坂口友秀氏(だてや酔郷)のことを取り上げていくつもりが中途半端に終わっているので再度やり直して彼のことを書いた武富氏に許可をもらっているので書きますというより転写します。

彼のプロフィ-ルから

1994年(S19)4月11日和歌山県東牟婁郡三里村(現在田辺市熊野本宮大社の近く)にて貧しい農家の6人兄弟の末っ子として生まれる1959年大阪府立成城工業高校入学、野球部に入る、当人いわく「ワシはあのトルネードの野茂の先輩やねんぞ」卒業後印刷会社「新光美術」に入社独学でイラストを描き続けた。

1977年労働組合委員長に、1984年心筋梗塞で倒れ1年間の療養後復帰

釣りが好きで「月刊つりの友」に1995年1月号より「しずくの海}というイラスト&文章を連載酒を飲んでばっかりで全然釣れへん軽妙な文体と面白い、イラストが大好評、フアンを集めて「酔狂坊主倶楽部」という釣りクラブも発足した。

2000年(平成12年)新光美術をリストラ退職。仕事はなく、わずかな退職金と失業保険を瞬く間に呑み潰してしまい「和歌山の生家で木工の工房でも・・」と

思案していた2002年夏、「似顔と名前の詩」額の製作を「月刊つりのとも」で知り合った友人と企画。「時代おくれ屋」というウエブサイトを立ち上げたところ大ヒット。イラストと筆文字の担当としてテレビにも出演。これでまた酒が吞めるようになった。

時々「しらふやったら書かれへん」と、吞みながら書いていたこともあったような・・・

友人との付き合いを大切に誰とでも仲良くなれる人柄もあっていつも幅広いたくさんの人と交流を続けていた。

「つらいのおー」「かまんかまん」「すまんのー」などの和歌山弁はこれからも多くの人々の記憶に残り続けるだろう。

2009年1月1日、末期ガンのために逝去。南無阿弥陀仏・・・・・・

 

コメント
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