先日、「釣レもていこら」のメンバーから仙台に送らせていただいた中の荒浜小学校の校長先生から丁寧なお礼の手紙が届きました。
今回送らせていただくはなしを麻雀の土田会の遠山さんに話していたら私もお手伝いすると言われて帽子の送料を寄付いただきました、有難うございました。
荒浜小学校の当時の様子から現在を先生から送っていただいたので、皆さんにも、
何度かに分けて読んでもらいます。
「3月11日 14時46分地震発生 15時55分津波襲来」
翌週には、卒業式を控え、卒業生は奉仕活動を毎日続け、良き伝統を後輩たちに残しつつあるちょうどそんなときに、起こったのが「東日本大震災」でした。
子供達や多くの住民を学校の校舎や屋上に避難させました。高さ10メートルもの津波が、15時55分荒浜地区を襲いました、あっという間に多くの家屋は流出し、学校は孤立する事となりました。
凍える寒さを互いに励ましながら耐えました。翌3月12日、朝になりました。
校舎の西側にあった体育館には、たくさんのがれきが集まっていました。
体育館へと続く階段は、途中でなくなり
避難してきた方の車がひっくり返っていました。
1年生の教室は、津波のために天井まで一晩水につかってしまいました。
朝のぞいてみると廊下に車が3台折り重なっていました。
下のほうの2台は学校の先生の車ですが、1番上の車はどこから来たのか分りません。
一瞬で思いで深い教室が無残なすがたに変わってしまいました。
学校は、住宅街の北端にありました、周りには、多くの家がありましたが、そのほとんどが流されました、住宅の基礎(コンクリートの部分)のみありました。
荒浜小学校からは、住宅や松林などで、海が見えなかったのですが、松林もほとんどなくなり太平洋が直接みえるようになり、住民のかたも驚いていました