佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

釣界の歴史

2012-09-15 19:19:51 | 釣り界の歴史

私がこの釣ブログを書き始めたのは関西の釣会に関して、もともとの大御所で

ある全関西からの成り立ちをとどめておきたいから始めたのです、別に釣り人

の歴史があってもなくてもいいと言われたらそれまでなんですが、何か将来に

向かって残しておきたかったからです。

 

それと過去の書類が残っていますが、もうボツボツ処分しても良いのではと思っ

ていますので、主なところを書き残しておきたいと思います。

以前書き始めた時に某スポーツ新聞社の偉い方から、もっと飛ばさんと書いてく

ださいと言われたことがありました。

 

その時はまとめだけで、これほど長く続けられるとは思っていなかったので、

少し時間もできたので昔の機関紙から大阪府釣り連盟関連をかいてみます。

 

大阪府釣り連盟(略称・大釣連)が発足したのは1985年2月、故、新竹柳太郎

(新大阪磯釣クラブ)会長を、初代会長として当時の全関西磯釣連盟の第6支部

のメンバー12の釣クラブで、立ち上げました。(会員約400名)

 

 

発足当時のクラブは下記の通り

新大阪磯釣クラブ会長 新竹柳太郎

北摂フイッシングクラブ会長 佐藤功

安威川磯釣クラブ会長 大西昌夫

淀川フイッシングクラブ会長 木村米雄

千里荒磯クラブ会長 高瀬博敏

高槻磯友会会長 宇田川邦男 

阪急磯釣クラブ会長 伏木利夫

大阪磯釣研究会会長 高須正夫

京阪磯釣クラブ会長 森下昇

富士シート磯釣クラブ会長 亀石誠之

千里釣友会会長 中山敏明

豊中潮友クラブ会長 元林義一

 

あれから27年、この中で今もクラブとして活躍しているのは6倶楽部のみです。

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百人一首7回目

2012-09-15 17:31:39 | 日々の思い

この百人一首も書き出して大方半分来ました、覚えているようで覚えてないものが大半ですが、みなさんいかがですか。

今回も上と下の句をつないでください、私ができたのは4問でした。

 

44、逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに・・・中納言朝忠

45、あはれとも いふべき人は 思ほえで・・・謙徳公

46、由良のとを 渡る舟人 かちを絶え・・・曾禰好忠

47、八重むぐら しげれる宿の さびしきに・・・恵慶法師

48、風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ・・・・源重之

49、みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え・・・大中臣能宣

50、君がため 惜しからざりし 命さへ・・藤原義孝

43、かくとだに えやはいぶきの さしも草・・・藤原実方朝臣

 

 

A、人こそ見えね 秋は来にけり

B、人をも身をも 恨みざらまし

C、くだけて物を 思うころ

D、身のいたずらに なりぬべきかな

E、昼は消えつつ 物をこそ思え

F、ゆくへも知らぬ 恋の道かな

G、さしも知らじな 燃ゆる思いを

H、長くもがなと 思いけるかな

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