1986年4月に入り、全関西より同じ時期に退会した各府県の釣り連盟との横の
つながりとして、日本釣連盟連絡協議会が発足されました。
4月19日に新大阪ガーデンパレスにおいて、
大阪府釣連盟会長(新竹柳太郎)
兵庫県釣連盟会長(藤沢淳一郎)
和歌山県釣連盟会長(滋賀吉秀)
福滋岐釣連盟会長(曽我栄弥造)(福井県、滋賀県、岐阜県の3県合同)
京都府釣同好会代表幹事(佐野実)
そして四国の香川県釣り連盟がオブザーバーとして出席され立ち上げられた。
初代会長には、兵庫県釣連盟会長(藤沢淳一郎)氏が選ばれました。
こうして横のつながりができて、現在長く続けられております日本釣連盟連絡協
議会(略称・日釣連)によるグレ釣りトーナメント大会ができました。
この大会にはその後入会されました、三重県磯釣連盟もはいられておられ、
福滋岐釣連盟が京都府釣連盟と滋賀県釣連盟との分かれて入られておられて、
現在は6府県の大会としておこなわれています。
大阪府釣連盟はその翌月(5月)に機関紙を発行することになり、グレ住吉の
宮林氏が、初代編集長に就任されました。
大阪府釣連盟の当初の役員構成の主な方
会長・新竹柳太郎(新大阪磯釣ク)、
副会長・佐藤功(北摂FC) 大西昌夫(安威川磯釣ク)
事務局長・佐藤功(北摂FC)兼任、 会計長・亀石誠之(富士シート磯釣ク)
事業委員長・中山敏明(千里釣友会)、広報委員長・宮林勉(グレ住吉)
審査委員長・高瀬博敏(千里荒磯ク)、海防委員長・津山京三(阪急磯釣ク)
保険委員長・大平博(新大阪磯釣ク)
会計監査・元林義一(豊中潮友ク)、木村米雄(淀川FC)、
相談役・峯享男、末友良治、森下昇
顧問・伏木利夫
以上の皆さんで連盟は構成されて進んで行くことになりました。