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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.11.18 地元密着、幸せな日曜日

2018-11-18 19:36:03 | 日記

 昨日は冬もの寝具に替えて初めての夜。暖かくぐっすり眠れた。明け方お手洗いに起きて、あと2時間は寝るぞと思ったのだけれど、結局眠れずじまい。それでもいじましくベッドから出ずに予定通りの時間にゆるゆると起き出した。
 今日は、今月初めての何にも用事や約束のない貴重な日曜日だ。洗濯機を廻し、葛根湯を飲んで(まだ派手なくしゃみが連続で出る)から果物だけ頂いて(昨夜のイタリアンが高カロリーでかなりもたれたので)、薬を飲み、掃除。クリーニングしたものを受け取りがてら、頼んでいた年賀状を受け取り、その足でずっとご無沙汰している洋菓子屋さんのカフェレストランにモーニングプレートを頂きに行くことに。

 モーニングといっても一仕事終えた後なのでブランチタイム。窓側はちょっと寒かったので、内側のソファー席に座らせて頂いた。私が自転車に乗れていた頃は夫とサイクリング方々時折来ていたのだけれど、自転車を封印して以来、ここまで歩いてくることはなくなってしまった。ロイヤルミルクティで食事を頂いた後は、カフェラテもおかわりして実に優雅なひととき。すっかりご機嫌になって少し遠回りしながら帰宅した。
 公園の木々もすっかり紅葉している。街路樹の落ち葉をがさがさと踏みながら歩く。息子が小さな時に日曜日というとお世話になった遊具のあれこれを見ながら懐かしさで一杯になる。これまたよくお世話になっていた有機栽培が売りの無人露地販売所で九条ネギを買い求めてきた。

 昨朝NHKの「チコちゃん」の再放送で、年をとると涙腺が緩くなるのはなぜ、という質問があったけれど、共感力が増す、自分の経験に重ね合わせることが多くなって自分に引きつけて考えるから、ではないかと予想したらその通りだった。なるほど孫が可愛いのも自らが育てた子どものことを思い出すからなのかな、と改めて思った。そういえば、父も母も息子を見ながら「○○(私)の小さいときとそっくりだねえ。」と何度も何度も繰り返していた。夫は夫で小さい子や赤ちゃんを見るとなんだかすぐうるうるしている。

 かくいう息子は、内定先の会社の小学生相手のイベントに参加していた模様。彼が通った、家の真ん前にある小学校も、今では団地の駐車場が拡張されて通路が閉ざされたため、最短距離ではいけなくなっている。以前は家の前の踊り場から学校の校庭も見渡せたのに、今やすっかり見晴らしが悪くなっている。本当にどのくらいぶりでこの道を歩いただろうと思いながら、そんな昔のことを振り返る。

 いったん帰宅してもまだまだお昼を少し回った時間。夕飯の下ごしらえなどをして休憩した後は、最寄り駅前のヨガスタジオのワークショップに参加した。夏にも一度参加したことのあるトップインストラクターTさんの「やわやわde回復ヨガ」の90分クラスだ。ヨガマットや自分の体重を使いながら全身のコリをほぐすもの。首から足首まであちこちのコリをほぐすのだが痛いこと、痛いこと。あっという間に汗だくになったが、最後のシャヴァーサナですっかり身体が整って、どこも違和感なくぺったりと平らになった感じ。とても気持ちよく大の字になってその効果を実感出来、思わず先生にお礼を言った。シャワーを浴びてすっきり。食料品の買い物を済ませて帰宅した。

 ああ、地元密着の幸せな日曜日。電車に乗ってどこかに出かけなくても、こんなに心も身体も満ち足りた一日が過ごせる有り難さよ。家事もちゃんと済ませ片付けものもして、身体も整えることが出来て。これでまた明日からの1週間頑張れそうだ。
 さて、来週はアリミデックスを3週間飲んで初めての通院日が控えている。今月は1回の通院だから腫瘍マーカーの測定もあるし、レントゲン撮影もある。少しおとなしくなってくれているとよいのだけれど・・・。

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2018.11.17 今年も無事土曜出勤に感謝

2018-11-17 23:21:10 | 日記

 例年どおり、大学院の入試説明会開催のため土曜出勤。当初の予報では雨降りらしいということで、4年連続か・・・と雨対策なども準備していたけれど、蓋を開けてみれば穏やかな良いお天気。夜遅くなって曇りはしても、日中は持ってくれそうでほっとする。
 それほど寒くもなく、暖房の心配もなく良かった、良かった。こうして体調もなんとかキープできて、役割を果たせることに改めて感謝である。

 布団干しや洗濯などを済ませ、普段とほぼ同じ時間に出勤。
 夫は先週肩透かしをくらった採血検査のため、昨夜から絶食。私と一緒に満を持して(?!)朝一番でクリニックに向かった。
そ の後、勉強会と称する、前回日にちを間違えて会場まで行き界隈で昼食だけ摂って帰って来たという曰く付きの会合に出かけた。

 ちょうど私が仕事を終えて解放される時間と、夫が最寄り駅に到着する時間がほぼ同じだろうということで、今日はまた外食ということにしてしまった(軟弱)。

 骨痛、胸痛の方はこの数日なんとかロキソニンだけでやり過ごせている。日によって1日3回飲んだり、2回飲んだりするけれど、なんとかかんとかコデインには手が伸びていない。ただどうも風邪を引いてしまったようで、鼻がしゅんしゅん。朝慌てて葛根湯を飲んだのだけれど。

 例年のことながら、私一人ではいかんともしがたい力仕事には、今回も沢山の院生の助っ人が来てくれて、効率よく働いてくれた。いつものことながら有難いことである。そうはいっても、一人突っ立っているわけにもいかず、気付けばあっちこっちと動き過ぎてしまう羽目に。

 説明会は、皆お天気が良くて紅葉狩りにでも行ってしまったのか、就職状況が良いので大学院に進学するより、という人が多かったのか、去年より大分少ない参加者に留まった。用意した資料も大分余ってしまったが、ひとまず無事終了。事務室で一人、黙々と後処理も済ませた。

 夫を駅に迎えに行く途中、気分転換方々ちょっとアウトレットモールをウインドウショッピング。母に頼まれた冬物インナーを購入してから夫と合流。イタリアンレストランで夕食を摂り、レイトショー(ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲)を大笑いしながら観て帰宅した。

 明日も一日のんびり地元から出ずに、家のことなどしながら過ごすつもりである。
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2018.11.16 例え人生の終焉が近くにやって来ようとも・・・

2018-11-16 20:52:45 | 日記

 朝日新聞のデジタル版、好書好日の「著者に会いたい」という連載で気になるものを見つけた。下記に転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

装いを磨いて心が弾む人生を 内館牧子さん「すぐ死ぬんだから」  
 5年ほど前、80代中心の集まりにオブザーバーとして出た。「くっきり二つに分かれていたんです。自分に手をかけておしゃれにしている人たちと、身なりにかまわない人たち」。見ていると、おしゃれな人たちは明るく元気で、リーダーシップがあり、気配りもすぐれていた。「外見と中身は連動している」と感じた。
 自分の同窓会で。さえない男たちに混じって、すてきな男性がいた。友人に「あの人は何君だっけ」と聞いた。「ばかねえ、先生よ」と返された。
 こうした体験から、品格ある老い方について考えた。おしゃれな高齢者の物語を書きたいと思った。そうして生まれたのが、主人公の忍(おし)ハナ。78歳。東京・銀座を歩いていてシニア向けの雑誌編集者に「写真を載せさせて頂きたい」と頼まれるほどの女性だ。
 このハナさんの言葉が刺激的というか、過激というか。
 「ババくささは伝染(うつ)る」
 「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
 「『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』と言い、『あるがまま』と言っている」
 「大事なのは他人の評価だ」
 こうした言葉を連ねたのはなぜか。「すぐ死ぬんだから楽が一番というのは分かる。中身が大事というのもその通り。けれども、それだけではないのではないか。逆に、すぐ死ぬんだから好きにやる、自分の装いを磨いて心を弾ませるという考え方があってもいい。ハナを通じて、それを伝えたかった」
 数年前、桜に見とれながら歩いていて段差があるところで転んだ。右足の指が全部折れた。外に出なくなり、化粧もいいかげんに。誰かの手を借りるのが嫌で、何をするのもおっくうになった。「ああ、これが老人になるということだな」と思った。動けるようになって、自分に手をかける気力がよみがえり、ほっとした。
 「終活」はしない。エンディングノートをつけるのも嫌だ。「性に合わないから。相撲だ、プロレスだ、ボクシングだと心弾むことと接して、残りの人生を生きたいんです」(文・西秀治)=朝日新聞2018年11月10日掲載

(転載終了)※   ※   ※

 先日、アピアランスケアの大切さについて記事を書いたばかりだけれど、本当に実感する。自分のことに構わなくなったらおしまいだな、と。
 5年前に92歳で亡くなった義母が「私が朝化粧をしてこなかったらもうそれは死んだと思ってちょうだい。」と言っていたのを思い出す。倒れて寝たきりになる前までは決して手抜きをしなかった。それは初孫の甥っ子いわく「ばあちゃんの素顔、初めて見た。」というほどの徹底したものだった。

 がんの闘病中はただでさえ治療の副作用で具合が悪いし、鏡を見れば色素沈着でくすんだ顔色、目の下のクマ、脱毛した眉毛に睫毛・・・、と哀しくなることばかり。
 けれど、少しでもそれをカバーしてお洒落をすれば間違いなく気持ちは華やぐ。
 ナチュラルにしていてもノープロブレム!の元気な人はそれでいいけれど、私たち治療中のがん患者は決してアピアランスケアに手を抜いてはいけないなと改めて思う。

 厚化粧するわけではなく、きちんとお化粧をして、人前に出る。電車に乗らない徒歩通勤とはいえ、仕事場で人前に出る私はさすがにすっぴんでは出勤できない。これまで自己流かつごく適当な5分間化粧でお茶を濁していたけれど、先日のモニター体験で教えて頂いたとおりの下地、ファンデーション、パウダーをはたくことで顔色がすっかり変わっている(自己満足?)と思う。(大幅に化粧時間が増えたわけではない。たった2,3分のことだ。)
 夫にも「若返ったんじゃない?」(手前味噌?)と言われている。当然気分は良い。お洒落にも励んでいる。

 再発からまもなく11年になる。再発してまもなく、もうそれほど長く生きられるかわからないのだから、断捨離が一番、新しい衣類などもはや要らないでしょう、と当初は思っていたけれど、最近はそういう考えはすっかり影を潜めている。
 せっかく命を削って(と言うほどのハードワークではないけれど)仕事をしているのだ。いつまで自分で好きなもの、お気に入りのものを身近に置ける生活が続けられるかわからない。それなら出来る時には自分が欲しいもの、好きなものを身に纏って明るく楽しく暮らしたい、と思うのだ。これはもうただの刹那主義なのかもしれないけれど、とにかくそれで毎日気分良く笑顔で過ごせるのならば、よしと思っている。

 がん患者だって、いや、がん患者だからこそ、自分に手をかける、それがとても大切なことだと思う。
 もちろん治療にお金がかかるのに、さらにそんな自己満足のためにお洒落にお金をかけるなんて、という気持ちが出てくることもなくはないのだけれど、一度しかない人生、借金をしてまで行うということでなければ、誰も文句は言わないだろう。

 この後、平均寿命まで生き切ることは叶わないだろう。けれど、最期まで私らしく、きちんと自分に手をかけてその人生を紡いでいきたいと思う週末の夜である。
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2018.11.15 代替医療でがんが治癒する、そんな馬鹿な!?・・・の調査結果

2018-11-15 20:39:03 | 日記

 毎日新聞のデジタル版・医療プレミアの記事で、え~っ!?と驚くものを見つけた。アメリカの調査だけれど、日本で実施したら一体どんな結果になるのだろう。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

「代替医療でがんは治癒する」と4割が回答、米調査 2018年11月13日 〔毎日新聞医療プレミア〕
 エビデンスに反し、米国人の10人に4人が代替療法でがんは治癒すると考えていることが、米国臨床腫瘍学会(ASCO)が実施した意識調査から明らかになった。調査では、米国民の多くががん患者に対してはオキシコンチンなどのオピオイド系鎮痛薬の使用を制限する規制に反対しており、医療用大麻の使用を支持していることも分かった。また、がん治療費の高さが米国民にとって主要な懸案事項となっていることも示された。
 ASCO会長のMonica Bertagnolli氏は「この調査結果は、がん関連の課題を米国民がどのように考えているのかを示すバロメーターとなるものだ」と説明している。その上で「今回の調査から、早急に取り組むべき重要な課題が浮き彫りになった。具体的には、がん治療に関する誤った情報を正すこと、患者が確実に必要とする鎮痛薬を使用できるようにすること、患者やその家族が経験する経済的な負担を軽減することなど多岐にわたる」と話している。
 調査は約4,900人の18歳以上の成人を対象に7月から8月にかけて実施された。そのうち約1,000人はがん患者または経験者だった。また、対象者にはがん患者を介護する家族も含まれた。
 その結果、これまでの研究で標準治療を受けたがん患者と比べて代替療法のみを受けたがん患者では、がんによる死亡率が大幅に高いことが示されているにもかかわらず、回答者の39%が「酵素療法や酸素療法、食事療法、ビタミン剤やミネラル剤でがんは治癒する」と考えていることが分かった。
 ASCOのチーフ・メディカル・オフィサーであるRichard Schilsky氏は「がん治療を選ぶ際には、適切に実施された研究から導き出されたエビデンスに従うのが最善の方策だ。代替療法のほとんどは厳密に有効性が検証されていないか、検証されていても患者への有益性は認められていない」と指摘している。
 なお、今回の調査では、高齢者よりも18~53歳の若年層や中年層で代替医療の信頼度が高いことも分かった。しかし、代替療法のみを受けたがん患者の死亡率は外科手術や化学療法、免疫療法、ホルモン療法などの標準治療を受けたがん患者の約2.5倍であることが2017年8月に「Journal of the National Cancer Institute」に掲載された論文で報告されている。
 調査ではその他、回答者の4分の3がオピオイド系鎮痛薬の処方を厳格化する新たな規制について「がん患者には適用すべきではない」と答えていた。また、過去12カ月以内に疼痛管理などの目的でオピオイド系鎮痛薬を使用したことがあるがん患者の40%が「鎮痛薬を入手しにくかった」と回答していた。さらに、回答者の10人中8人以上が「がん患者が医療用麻薬を使用することに賛同する」と答えたが、過去12カ月以内に医療用大麻を使用したことがあるがん患者の48%が「医療用大麻を入手しにくかった」と回答した。
 そのほかにも回答者の57%が「がんと診断された場合の心配事は、主に家族の金銭的な負担や治療費」と回答しており、死に対する恐怖やがんに関連した疼痛、苦痛よりも金銭的な負担の方が大きな不安をもたらしていることも明らかになった。
(HealthDay News 2018年10月30日)Copyright © 2018 HealthDay. All rights reserved.

(転載終了)※   ※   ※

 代替医療でがんが治癒したら標準治療など要らないではないか。もちろん、たまたま治った方がいるかもしれないけれど、それが本当に代替医療の成果であるとは限らない。がんという病、そうそう甘くはない。もしそれで皆が完治するのだったら、代替医療などという名称ではなくとっくに標準治療すなわち保険適応の治療になっている筈なのに、皆、どうしてそれに気づかないのだろう、と哀しく思う。

 先日、患者会の席でも話題になったのだけれど、抗がん剤治療はキツい副作用も色々あるし、確かに楽ではない。そして一旦再発・転移してしまえば、期間限定ではなく一生付き合うことになり、ここまで我慢すればおしまいという目標がないから、それも辛い。
 「いつまでなのだろう、こんなに頑張ったところで結局延命にしかならない。治癒は望めない。それなのに、なぜ、こんな辛い思いを・・・」と、負の螺旋の思考に陥ると、身体に優しい(とささやきかける怪しげなサイトの)代替医療に逃げたくなるのもわからなくはない。けれど、代替医療だって副作用が皆無ということはないだろうし、良薬口に苦し、ではないけれど、そうそう甘いだけの治療など、ない。そこで限られた貴重な時間を費やした挙句、やっぱりこれでは治らない、もうダメだと思った時に標準治療に戻ってきたところで、時既に遅し・・・と悲劇も多々あるだろう。 

 再発・転移治療は化学療法がメインになるけれど、その目的は完治ではなく、少しでも長く今のQOLを落とさずに、副作用をうまくかわしながら出来るだけ多くの治療薬の恩恵に浴してがんと共存していくかということだ。がんの治療には当然体力も必要。体調が悪ければ悪いほど身体に対する抗がん剤のダメージは大きく、副作用も酷く出るようになるわけだ。だから、身体が治療を受け付けなくなったらいくらまだ使っていない薬、効くかもしれない薬があっても、残念ながら治療継続は難しくなる。

 今やっているこの辛い治療は一体何のため?このことをきちんと理解できていないとエンドレスの治療をココロ穏やかに続けることなんて到底不可能だと思う。今後出てくるであろう様々な不調をなるべく後回しにするために、言葉は悪いけれどいわば時間稼ぎのために今の治療がある。今ある程度具合が悪くても、未来を出来るだけ楽にするための治療である。今は辛いけれど、やらなければ未来はもっと辛くなる、もしくはもっと辛い未来が足早にやってくる。だから、今辛いのは我慢する。それが再発治療のセオリーだ。これが充分理解出来ていないから、今辛いのは嫌、楽な治療があるならそちらに逃げたい、ということになるのだろう。

 もちろん、初発の治療と違って、再発・転移治療は完治を目指すために徹底的に叩くわけではないから、そのあたりは主治医とよくよく相談して薬量の匙加減を工夫する。副作用が酷くて、がんは小さくなったけれど、日々寝たきりになってしまったら一体何のための治療かわからなくなる。だから再発・転移治療は副作用調整がキモなのである。副作用止めの薬の恩恵を最大限に受入れながら少しずつ前に進む、わけである。

 4割の人が代替医療を信じているという衝撃の事実に心が痛む。しかも分別有る世代の人たちが、実際のがんサバイバーたちが、である。
 化学療法をエンドレスに続けていくことは金銭的に大変なのは事実だ。新薬ならばなおさらだ。それでも保険適用の標準治療であれば、高額医療制度で還付される。一方、保険適用外の自費診療である代替医療はそんな還付はない。とんでもない高額になっても1銭も還付されない。しかも完治することはなく最終的には放っぽり出されるのだから、これは決して賢いお金の使い方ではないと思うのだけれど。
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2018.11.14 バッドニュースこそ、の伝え方

2018-11-14 20:46:02 | 日記

 このブログでも何度かご紹介させて頂いている、愛読している毎日新聞のコラム 香山リカさんの「ココロの万華鏡」最新号で、なるほどな、と思うとともに色々考えさせられた。以下、転載させて頂く。

※   ※  ※(転載開始)

香山リカのココロの万華鏡 「悪い情報」どう伝えるか /東京(毎日新聞2018年11月13日 地方版)

 初めて来た患者さんに話を聞き、「念のためにからだの検査もしておきましょう」と血液やCTの検査をし、「結果は来週に」と帰宅してもらう。次の週、待合室にその人が来る。ロビーですれ違うと、初診のときより明るい顔をして「クスリのおかげで眠れるようになったんです」と笑顔で言うので、私は「よかったですね」と答えて診察室に入る。
 そしてパソコンを立ち上げ、検査の結果をチェックすると、CTに気になる影が映っている。内科医にチェックしてもらうと、答えは「あ、これガンの可能性ありますね。私の外来を受診するように言ってください」。
 私は重い気持ちになる。この患者さんは穏やかな顔をしてロビーで順番を待っている。睡眠もとれるようになり、私に感謝していた。でも、検査の所見はあまり良くない。いったい、どうやって伝えるべきか………。
 この「悪い情報をどう伝えるか」は、医者にとってもっともむずかしい問題のひとつだ。誰だって「結果は問題なしでしたよ」と「良い情報」を伝えて、患者さんに喜んでもらいたい。「先生のおかげです」と感謝してもらえれば、さらにうれしい気持ちになれる。
 しかし、人間は生きていれば、いつかは「悪い情報」を伝えられるときもやってくる。とくに私たち医者は、「ちょっと良くない結果でした」「やっぱり入院しましょう」など相手ががっかりするようなことを、直接、話さなければならない場面が少なくない。
 私の場合、そういうときについ早口になってしまったり、「まあ心配はないのですが」など自分を安心させる意味もあってか、あれこれ前置きをしてしまったりすることもある。もちろん、これは良い伝え方ではない。
 大切なのは真剣だけれど悲観的になりすぎない表情で、ゆっくりと落ち着いて「お伝えしにくいことですが、今回はこういう結果でした」と告げ、それから「私でよければ一生懸命、治療に協力させていただきます」と一緒に頑張ることを伝える。患者さんの意思は尊重するが、「あとは自分で決めてください」と“自己責任”を強制してはいけない。
 これは医療の現場に限ったことではないだろう。家族に同僚に友だちに、相手が喜ばない話をどう伝えるか。そういうときこそ、自分の人間性と相手を思う気持ちが試される。それがたとえ「悪い情報」であっても、相手の目を見て、しっかりと伝えていくようにしたいと思っている。(精神科医)
.
(転載終了)※   ※   ※

 いつかも書いた記憶があるが、医師という職業は命に関わる究極の接客業だと思う。患者さんを助けたいという使命感だけではとても立ち行かない辛い場面も多いのだろうな、とも感じる。モンスターペイシェントも沢山いるであろう中、そのストレスたるや大変なものだろうということも察するに余りある。

 私もこれまでの14年近い患者生活を送りながら何度となくバッドニュースを受け入れてきた。
 それでもどの先生も私という患者と真摯に向き合ってくださって、突き放されたという感じを受けたことはおかげさまで今まで、ない。これはとても幸せで運のいいことだろう。ただ能天気なのかもしれないけれど・・・。

 けれど、香山さんも最後に書かれているように、これは医療現場に限った話ではない。
 仕事をしていても普通に暮らしていても、ごくごく日常的にあることだ。いいことを先に伝えるか、悪いことを先に伝えるか。やはりバッドニュースほど早く伝えることが大事ではないか。
 「ちゃんとリカバリーが間に合うように。」順調にコトが進捗している時はそんな気遣いや報告はそれほど要らないと思う。けれどうまく行っていないときこそ、早目に、包み隠さず、単刀直入に。そしてどう向き合っていくのか、どう対処していけるのかを一緒に考える。
 もちろん相手との信頼関係があればこそ、だけれど。
 だからこそ、日々の一期一会を大切に、御縁あって多少でも係わりあうことになったどなたとも真剣に向き合う姿勢を大事にしたい。情けは人のためならず、というが、こうした姿勢は決して人様のためではなく自らに戻ってくるのだ、と改めて思うのだが、どうだろう。

 さて、ここのところ自宅のパソコンが不調で、なかなか立ち上がらなかったり、ちょっとするとすぐフリーズしたり、でイライラさせられることが多かった。
 一昨夜から夫が一晩かかって修復作業をかけてみたものの、とうとう昨朝、起動すらしなくなった。やむなく修理に出すことに。まだ保証期間内だとはいえ、なんとついていないことか。
 とはいえため息ばかりついていても仕方ない。バックアップが取れているであろうことを感謝しつつ、修理が終わるまでは先日購入したノートパソコンに活躍してもらわなければ。

 昨日は仕事が終わった後は、無事インフルエンザの注射も受けてくることが出来た。今もまだ熱を持ってプックリ赤く腫れているけれど、月末には効果が出ることだろう。息子も今日、大学で出張病院により受けられたとのこと。
 それに加えて彼からのLINEの連絡では、親知らずが腫れて痛み、近所のクリニックで診て頂きレントゲンを撮ったところ、上の歯はそのクリニックで抜歯が出来るが、下の歯は見事に真横に生えて埋没しているので、大学病院の口腔外科に紹介状を書いて頂くことになったとか。

 私も30年以上前、右下の親知らずの抜歯には大変な思いをした。既に社会人になって3年目のことだったけれど、息子もそんな齢なのだと改めてしみじみする霜月半ばの夜である。
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