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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.11.16 例え人生の終焉が近くにやって来ようとも・・・

2018-11-16 20:52:45 | 日記

 朝日新聞のデジタル版、好書好日の「著者に会いたい」という連載で気になるものを見つけた。下記に転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

装いを磨いて心が弾む人生を 内館牧子さん「すぐ死ぬんだから」  
 5年ほど前、80代中心の集まりにオブザーバーとして出た。「くっきり二つに分かれていたんです。自分に手をかけておしゃれにしている人たちと、身なりにかまわない人たち」。見ていると、おしゃれな人たちは明るく元気で、リーダーシップがあり、気配りもすぐれていた。「外見と中身は連動している」と感じた。
 自分の同窓会で。さえない男たちに混じって、すてきな男性がいた。友人に「あの人は何君だっけ」と聞いた。「ばかねえ、先生よ」と返された。
 こうした体験から、品格ある老い方について考えた。おしゃれな高齢者の物語を書きたいと思った。そうして生まれたのが、主人公の忍(おし)ハナ。78歳。東京・銀座を歩いていてシニア向けの雑誌編集者に「写真を載せさせて頂きたい」と頼まれるほどの女性だ。
 このハナさんの言葉が刺激的というか、過激というか。
 「ババくささは伝染(うつ)る」
 「先のない年代に大切なのは、偽装。これのみ」
 「『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』と言い、『あるがまま』と言っている」
 「大事なのは他人の評価だ」
 こうした言葉を連ねたのはなぜか。「すぐ死ぬんだから楽が一番というのは分かる。中身が大事というのもその通り。けれども、それだけではないのではないか。逆に、すぐ死ぬんだから好きにやる、自分の装いを磨いて心を弾ませるという考え方があってもいい。ハナを通じて、それを伝えたかった」
 数年前、桜に見とれながら歩いていて段差があるところで転んだ。右足の指が全部折れた。外に出なくなり、化粧もいいかげんに。誰かの手を借りるのが嫌で、何をするのもおっくうになった。「ああ、これが老人になるということだな」と思った。動けるようになって、自分に手をかける気力がよみがえり、ほっとした。
 「終活」はしない。エンディングノートをつけるのも嫌だ。「性に合わないから。相撲だ、プロレスだ、ボクシングだと心弾むことと接して、残りの人生を生きたいんです」(文・西秀治)=朝日新聞2018年11月10日掲載

(転載終了)※   ※   ※

 先日、アピアランスケアの大切さについて記事を書いたばかりだけれど、本当に実感する。自分のことに構わなくなったらおしまいだな、と。
 5年前に92歳で亡くなった義母が「私が朝化粧をしてこなかったらもうそれは死んだと思ってちょうだい。」と言っていたのを思い出す。倒れて寝たきりになる前までは決して手抜きをしなかった。それは初孫の甥っ子いわく「ばあちゃんの素顔、初めて見た。」というほどの徹底したものだった。

 がんの闘病中はただでさえ治療の副作用で具合が悪いし、鏡を見れば色素沈着でくすんだ顔色、目の下のクマ、脱毛した眉毛に睫毛・・・、と哀しくなることばかり。
 けれど、少しでもそれをカバーしてお洒落をすれば間違いなく気持ちは華やぐ。
 ナチュラルにしていてもノープロブレム!の元気な人はそれでいいけれど、私たち治療中のがん患者は決してアピアランスケアに手を抜いてはいけないなと改めて思う。

 厚化粧するわけではなく、きちんとお化粧をして、人前に出る。電車に乗らない徒歩通勤とはいえ、仕事場で人前に出る私はさすがにすっぴんでは出勤できない。これまで自己流かつごく適当な5分間化粧でお茶を濁していたけれど、先日のモニター体験で教えて頂いたとおりの下地、ファンデーション、パウダーをはたくことで顔色がすっかり変わっている(自己満足?)と思う。(大幅に化粧時間が増えたわけではない。たった2,3分のことだ。)
 夫にも「若返ったんじゃない?」(手前味噌?)と言われている。当然気分は良い。お洒落にも励んでいる。

 再発からまもなく11年になる。再発してまもなく、もうそれほど長く生きられるかわからないのだから、断捨離が一番、新しい衣類などもはや要らないでしょう、と当初は思っていたけれど、最近はそういう考えはすっかり影を潜めている。
 せっかく命を削って(と言うほどのハードワークではないけれど)仕事をしているのだ。いつまで自分で好きなもの、お気に入りのものを身近に置ける生活が続けられるかわからない。それなら出来る時には自分が欲しいもの、好きなものを身に纏って明るく楽しく暮らしたい、と思うのだ。これはもうただの刹那主義なのかもしれないけれど、とにかくそれで毎日気分良く笑顔で過ごせるのならば、よしと思っている。

 がん患者だって、いや、がん患者だからこそ、自分に手をかける、それがとても大切なことだと思う。
 もちろん治療にお金がかかるのに、さらにそんな自己満足のためにお洒落にお金をかけるなんて、という気持ちが出てくることもなくはないのだけれど、一度しかない人生、借金をしてまで行うということでなければ、誰も文句は言わないだろう。

 この後、平均寿命まで生き切ることは叶わないだろう。けれど、最期まで私らしく、きちんと自分に手をかけてその人生を紡いでいきたいと思う週末の夜である。
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