ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.6.7 家か病院か、どこで最期を迎えるか、それが問題だ

2017-06-07 20:48:43 | 日記
 先日、このブログで大津先生の新刊「死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33」を紹介させて頂いたところ、大津先生がブログでそのことをご自身の著書の感想として取り上げてくださった

 こんな目立つこともない字だけの地味なブログを見つけてくださって、なんとも有難いことである。励みになることこの上ない。感謝感激で、単純な私は相変わらず小躍りして笑みを浮かべている。

 さて、先月末、先生の別のブログ記事を拝読して以来、とても気になっていることがある。“迷惑はかけすて 終末期がんの在宅療養 「家族に迷惑」というが、時間を想定すれば”という記事だ。
 おりしも先月末に、歌舞伎役者の奥様が病院を出て、在宅療養を始められたということにも繋がるのだけれど。

 私も限りある命の時間を意識したときから、出来ることなら最期は家で、と心のどこかで常に思ってきた。けれど、自分の足でお手洗いにさえ行けなくなったら、あまりに家族(実際には同居している夫)に迷惑がかかってしまう、ということが引っかかってやっぱりホスピスだろうな、と近隣のホスピスに当たりをつけてきた。

 既に旅立ったお友達には、ご家族や在宅医療スタッフの協力で自宅で最期が迎えられた方と、ホスピスや病院で旅立たれた方と双方いるが、どちらかといえばやはり病院が多かったように思う。

 私は今も漠然と、出来れば自宅がいいな、とは思う。何も考えずに希望だけ言えるのなら。ただ、そうもいかないだろうと冷静なもう一人の自分が思っている。昨年父を見送った時に、リアルに死後のもろもろを経験してしまってからは余計に、である。実家は平屋の一戸建てで、ストレッチャーがそのまま玄関に入ることが出来て、父は幸いにも寝室だった和室にそのまま滑り込ませてもらえた。

 一方、私は団地住まいだから、一度ホスピスなり病院なりに行ってしまったら、亡骸になっても自宅に還ってくることは物理的に叶わないだろう。エレベーターなしの4階建ての2階である。狭い階段で壁等にぶつからないように柩を運び、玄関ドアから水平にしたまま搬入することは出来ないから柩を立てかけて、という実にとんでもない出し入れが必要になるのが簡単に予想できてしまう。

 となれば、四半世紀近く住み慣れた自宅との永久(とわ)の別れは、自分が還れるかどうかわからないと覚悟した時になるだろう。父は家に帰りたい、帰りたいと言いつつ病院で亡くなったが、亡くなった後は目一杯自宅で過ごしてから荼毘に付された。最期は自分が建てた終の棲家でゆっくり出来たわけである。

 けれど、私はおそらく病院から、自宅の回りを周ってもらうだけで、火葬場に直行だなあとリアルに予想できる。
 であるならば、やはり迷惑は承知で最期は家においてもらおうか。ただ、夫が仕事をしているならそれは叶わないだろう。夫がリタイアするまでしぶとく頑張れば、最期の我儘もありだろうか、それとも・・・・。私が最期を迎える時、夫はどうするのか、いつか夫の気持ちを聞いておかなければならないと強く思う。

 いつかも書いたけれど、最期の経過は早いからこそ、終末期がんである。高齢者の老衰、脳疾患などとは訳が違う。何ヶ月、何年先まで続くのか先が見えない介護ではなく、病院から帰ってきてからは短期決戦、週単位せいぜい1ヶ月かそこらだろうか。人生50数年の最期の1ヶ月なら、そんな我儘を言ってもいいものだろうか。
 先生も書かれているとおり、それぞれが築き上げてきた家族関係、夫婦関係によっても答えは様々になるだろう。家族も本人も覚悟がいる在宅での最期である。
 心は千々に乱れるのである。

 曇天だと思ったら、いよいよ梅雨入りしたという。昨夜は寝ていてちょっと涼しかった気がしたが、朝起きたらいきなり喉が痛い。うがい手洗いは励行していたのに、油断したのだろうか。今日から明後日くらいの間は好中球が底値になる時期なので、悪化したら大変。朝から葛根湯を飲んだが、どうにも調子が悪い。
 明日は都心横断会議。なんとか乗り切って週末は休息に努めなくては。


 




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2017.6.6 治療中のパフォーマンス-こんな指標があったなら・・・

2017-06-06 21:39:20 | 日記
 ネットの記事を見ていて、少し時間が経っているが、面白いものを見つけた。

 治療後の副作用で体調が悪く、パフォーマンスが普段のように上がらない日には、ふと仕事に拘わりすぎではないか、しがみつきすぎているのではないか、と自問自答する。
 それでもこうして仕事をさせて頂けていることが励みになっていることは紛れもない事実で、日々職場に感謝している私だ。

 けれど、私がどう思おうが、就労世代のがん患者が30数万人もいるとなれば、少子高齢化で労働人口が減少している今、労働力確保のためにも世の中は“がん患者でも働く時代”に向かっていく(向っていかざるを得ない)のだと改めて思った。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

「働くがん患者」の生産性の実態、iPhoneアプリで迫る
 国立がん研究センター中央病院が研究に着手(2017/05/29 08:30 大下 淳一=日経デジタルヘルス)

 国立がん研究センター中央病院は2017年5月26日、働きながら治療を受けているがん患者の労働生産性の実態を、iPhoneアプリで調査する研究を始めた。がんの治療と生活の質(QOL)の関係を明らかにすることで、副作用管理や事業所における配慮のあり方など、療養環境を改善するための指標を構築することを目指す。
 日本では毎年、約100万人が新たにがんと診断されている。このうち約1/3は就労世代の患者だ。仕事を続けながら治療を受ける患者が増えているものの、「抗がん剤治療に伴う副作用などで仕事を休みたいと感じたり、職場に行っても十分なパフォーマンスを発揮できないといった声を耳にする。仕事に行きたいのに会社から休むよう指示された、というケースも少なくない」(国立がん研究センター中央病院 肝胆膵内科/先端医療科の近藤俊輔氏)。
 こうした治療に伴う労働生産性(仕事のパフォーマンス)の変化は、がん患者のQOLの指標の一つになると考えられる。例えば、がんの治療がプレゼンティーズム(出勤しているものの、心身の健康上の問題から十分にパフォーマンスが上がらない状態)を引き起こせば、患者のQOLは大きく損なわれる。これに着目した調査は過去にも行われてきたが、その多くは治療が終わってから数カ月~数年後の状況を調べたもので、「治療中の実態は明らかにされていない」(近藤氏)という。
 国立がん研究センター中央病院の近藤氏らは今回、仕事のパフォーマンスの変化など、治療中のQOLをがん患者が自ら評価し、日々の結果を可視化したり、他者の結果と比べたりできるアプリを開発した。米Apple社の医学研究用オープンソースフレームワーク「ResearchKit」を用いて開発したiPhoneアプリ「がんコル(QOL)」がそれだ。
 がんコルは、労働生産性や療養の質に関して、業界標準となっている3種類の調査(アンケート)を実装し、結果の可視化や分析を可能としたアプリ。具体的には(1)プレゼンティーズムに関する項目(7日および28日ごとに回答)、(2)QOLに関する項目(毎日回答)、(3)副作用に関する項目(毎日または7日ごとに回答)を備える。

適切な患者サポートのあり方を探る
 研究参加者はこれらの項目に日々回答していくことで、自分の状態を可視化できるとともに、それを他の研究参加者の状態と比較できる。例えば(1)では、自らのパフォーマンスに加えて、自分と同じ病気を患う人の平均的パフォーマンス、自分と同世代の人の平均的パフォーマンス、を把握できる。アプリはこのほか、治療内容やコメントを入力できるカレンダー機能を備え、日々の体調管理にも利用可能だ。
 国立がん研究センター中央病院は、研究参加者のデータを収集し、がん患者の治療と労働生産性を含むQOLの関係などを解析する。収集するデータに個人情報は含まれない。
 研究にはがん患者だけでなく、研究内容に同意すれば誰でも参加可能。がん患者については、400~600人のデータを集めることを想定する。研究を通じて「がん患者をどのようにサポートしていくのが望ましいのか、その議論の材料となる事実(ファクト)を明らかにしたい」と研究代表者の近藤氏は話している。

(転載終了)※   ※   ※

 こうした記事を読むにつけ、これからの時代、治療を続けていたとしても、働きたいという意欲を持ち、仕事を遂行する能力があり、体調管理が出来て担当する仕事のパフォーマンスが保たれるのなら、決して仕事を諦めることはないのだと思う。

 とはいえ、実際に治療の副作用でどれほど自分のパフォーマンスが落ちているのか、他の人たちのお荷物になっていないか、迷惑をかけていないか、自分ではわからない部分があることを無視は出来ない。

 当然のことながら抗がん剤治療等を行っていれば、健康な時とは違う体調不良は免れないのだから、120パーセント問題ありません、と言い切ることなど出来ない。けれど、なんとか及第点がもらえるパフォーマンスを果たせているのならば、そうした負い目を必要以上に考えることなく仕事を続けることが出来るのではないか。

 何か悪いことをして病気になったわけではない。再発したくて再発したわけではない。それなのに、結果として自分を萎縮させながら仕事を続けることは、これまで実際に再発治療を続けながら9年以上働いている身として、とても切なく辛いことだと感じる。

 自分で体調管理をしながら、後に続く患者さんの労働環境をサポートするのに役立てて頂けるデータをアプリで積み上げることが出来る。それにより見えてくる治療中のがん患者のリアルな労働生産性の指標。こんなアプリが助けになってくれるならどんなに心強いだろうと思う。もちろん副作用やパフォーマンスは十人十色、即自分と同じという状況ではないにせよ、やはり参考に出来る部分はあるし、有難いものではないか。

 まだ研究段階だそうだから、実用化されるには時間がかかるだろうけれど、まずは事実を積み重ねた材料集めから。もし私のデータが何かお役に立てるなら参加させて頂きたいのだけれど、と思わせる研究である。
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2017.6.5 母、無事退院 雑感

2017-06-05 21:25:14 | 日記
 今日も良いお天気。体調が大分元通りになった。とはいえ、これから週の後半に向けて、好中球減少がピークを迎えるから油断大敵、要注意なのだ。
 けれど、気持ち悪さと便秘がなければ、自覚症状としては圧倒的に好転したと思ってしまう。

 夫を送り出して、普段とほぼ変わらない時間に家を出る。電車とバスを乗り継いで母の病院へ向かう。思いのほか乗り継ぎが良く、約束の時間より20分ほど早く到着。
 コンビニで、帰宅後に備えてパンや牛乳など調達してから病室へ行くと、母は着替えも済ませ、あらかた荷物もまとめていた。眼帯も小ぶりなものに変わっている。
 会計の概算をお願いしているそうで、あとは看護師さんから点眼等が渡されればお役御免で無事退院できるという。
 忘れ物がないか、ロッカーや金庫などを別の目でチェックする。

 病室は母が退院すれば隣のお一人だけになってしまう。4人部屋とはいえ、半独立で本当に静かな病室だった。途中、母一人だけのこともあり、何やら寂しかったそうだ。

 今朝の回診で、激しい運動を控えれば普通の生活をしても大丈夫、とお墨付きが出たようで、順調な回復ぶりにほっとした。お風呂も可だそうで、洗髪も洗顔も目の中を濡らさないようにしていれば良いとのこと。金曜日には久しぶりにシャンプーをして頂き、気持ちよかったという。

 手術前の最終診察の折、主治医N先生からの説明では、術後概ね1週間で眼球に入れたガスが3割ほどになっていれば退院できるとのことだったが、既に1割ほどに減っているという。順調ということで安堵する。来週の月曜日に、退院後初めての診察の予約が入っているが、ここで網膜に浮腫みが出ていれば注射、そうでなければ経過観察だという。

 「実は土曜日にも退院が出来たみたいだったのよ」と母はちょっと不服そうに言うが、前回の直腸がん入院時、焦って退院して再び逆戻り、という苦い思い出があるので、土日の2日間静かに病院で過ごすことが叶ってこちらとしては安心である。やはり帰宅すれば一人暮らしなので、どうしても目が届かず、心配だ。

 もろもろ手続きが終わり、ご挨拶を済ませ、タクシーにもすんなり乗れた。裏道をスイスイと走って頂き、10分ほどで実家に到着した。1週間ぶりの我が家は色とりどりのバラやツツジ、シャクナゲなどの花々が咲き乱れ、変わらず母を迎え入れてくれた。

 6月は新聞を止めたというが、3日分の新聞やチラシ、1週間分のDMなどでポストは満杯。鍵を開けて、警備システムから「お帰りなさい」と言ってもらい、家中の雨戸や網戸を開けて風通し。父に帰宅を報告する。

 続いて留守を頼んでいたお向かいのBさんに帰宅のご挨拶を済ませ、ケアマネSさんにも帰宅の報告電話を入れる。あいにく出張中で伝言になったが、帰所後、折り返しお電話をくださった。明日以降訪問してくださるとのこと。さらに福祉サービスセンターに連絡し、今日の午後は通常通り来て頂ければとお願いする。

 母は、家に帰れば慣れているから大丈夫というが、なんだかモタモタとやることが遅くて、こちらは見ていてだんだんイライラしてくるが、グッと堪える。
 ヘルパーさん派遣のOKが出たところで洗濯機を回す。我が家の洗濯機と違ってイマイチ勝手がわからない。時間がかかるがなんとか干し終えたところで、タイムオーバー。
 1時間ちょっとしかいられなかったが、最低限のもろもろを済ませることが出来、実家を後にして乗換駅で軽食を摂りながら職場を目指した。

 とにかく懸案事項が無事終了。来月早々には父の納骨・一周忌が控えている。それまでに母に本調子になってもらわないと。こちらも治療後すぐの週末だから、その体調できちんと仕切れるかちょっと不安だけれど、このセレモニーが終われば大分落ち着くだろう。
 今週もまた頑張りすぎずに頑張って、週末は母の様子を見に行かなくては。

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2017.6.4 無縁社会・・・身につまされました~家族はつらいよ2~

2017-06-04 21:11:38 | 映画
 4年ほど前の“東京家族(2013,1,25)”の俳優陣と同じメンバー集結!で、昨年3月に上映された“家族はつらいよ”の続編である。

 前回は熟年離婚がテーマ、そして今回は山田洋次監督ご自身が言われている通り、“喜劇映画では「死」を描くことはタブーだけれども、あえてそのタブーに挑み、その「死」がもたらす、滑稽でバカバカしい大騒ぎを丁寧に描いてみようと思います。観客は笑いながら、大笑いしながら、格差社会の重苦しさにもふと思いを馳せてくれればいいなと思います。”とのこと。

 事の発端は、橋爪功さん演じる平田家の頑固おやじのマイカー運転が危なっかしくなり、同居する長男夫婦が運転免許を返上させることを画策することから。
 思えば昨年亡くなった父も、事故を起こすには至らなかったものの、横断歩道の赤信号で止まらずに走りかけててしまった、などという冷や汗もののアクシデントがあり、お願いだからもう運転をやめてほしいと懇願した記憶がある。
 実に面白くなさそうな顔をして聞いていた父。以来、私の家に乗ってくることはなくなったが、実家の近所では結構長いこと乗り続けていたと後から母に聞き、背筋が冷たくなった。結果オーライだったけれど、とても他人事とは思えなかった。

 さて、奥様が北欧旅行中に、こっそり行きつけの小料理屋の女将さんとマイカーでお出かけと洒落込んだご主人が、行方知れずとなっていた高校時代の旧友と偶然に再会する。それがきっかけで楽しい同窓会となるのだけれど、その後、あろうことかとんでもない非常事態を迎える。そこで平田一族が新たな結束を迎えることになるのだが・・・。
 役とはいいながら長男も長女も言いたい放題。一番冷静でしっかりしているのは末っ子の次男夫婦である。“あるある”から、“それを言っちゃあおしまいよ”まで、文字通りおもしろうてやがてかなしき・・・という2時間弱。大笑いしたと思ったら、いつのまにか身につまされて涙ぐんでしまっていた。

 さて、最近、読書レビューも映画レビューもイマイチ筆が乗らないのは、このお話をブログにどう紹介しよう、どう書こうかと思いながら読んでも観ても、実は思いっきり楽しめていないことに今更ながら気づいたから。
 やはりマインドフルネスが一番ストレスフリーである。“今、ここ”を目一杯愉しまないといけない気がしている。だから、あれこれブログ対策を考えながら読む、観るという姿勢は手放すことにした。結果、とても楽になった。なのであくまで気が向いてストレスにならなそうな時だけご紹介するスタンスである。

 一緒に観た夫が「もし(貴女が先に逝って)自分が一人遺されたら、と思ったらとても他人事じゃなかった。」とポツリ。まだまだ頑張り過ぎずに細く長くしぶとくだ!と心に誓ったのである。
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2017.6.1-3 仕切り直しジェムザール投与後の体調等あれこれ

2017-06-03 21:46:20 | 日記
 木曜日。早くも水無月、6月になった。
 ジェムザール投与翌日である。当然のことながら体調は悪い。気持ち悪さとだるさ、熱っぽさのトリプルパンチ。鏡を見れば顔が腫れぼったい。朝食は何とか普段の半分弱だけ流し込む。それでも、都心までの出張もなく、終日自席で静かに仕事をすることが出来て有難かった。

 今週は、母の入院で月曜日午前中、手術で火曜日、自分の治療で水曜日と2日半も休んだわけだから、当然メールの山を崩すところから始まる。
 食欲はない。ランチタイムは薬を飲むためだけに、お茶をちびちび飲みながら、頑張って少しだけお腹に入れる。今回は、水曜日の昼から飲み始めたマグラックスが功を奏しているようで、お腹のモタモタ感が少し楽なようだ。

 夫が仕事帰りに母の様子を見に病院に寄って、夕食は外で済ませてくるというので、こちらは仕事を終えた後、スーパーに寄り、ぶっかけうどんを調達して適当に済ませた。おかげさまで母は順調な模様。夕食もちゃんと食べていたとLINEで写真が送られてきた。夫が見舞に来てくれるとは思っていなかったようで、母はびっくりしたそうだ。

 金曜日。投与翌々日。今日も夏日の予想だ。
 今回は頑固な便秘にならずに済んでいる。気持ち悪さもそのせいか少し軽減しているようだ。とはいえ、熱っぽさ、食欲不振は相変わらず。昨朝に引き続き朝食は半分程度で留めておく。

 午前中にボリュームのある打ち合わせが2時間。お昼はスープだけで済ませて、午後は時間休を取って母の病院へ様子見に。外は夏のように暑い。
 電車とバスを乗り継いで、ドアツードアでたっぷり1時間半。日差しが強く、日傘をさしていてもバスを待っているとぐったりと顎が出る。

 病室に入ると、母はちょうど目薬の時間で眼帯を外して横になっていた。5分ごとに3種類の目薬を看護師さんが差しに来てくれているという。退院したら自分で差すことになるのだが、どうも手先が心もとないので、看護師さんから点眼に便利なグッズを紹介され、売店に買い出しに。

 朝の回診で、経過順調なので予定通り月曜日に退院だと言われたそうだ。月曜日の午前中に休暇を申請したのだが、迎えに来てみたら退院延期の空振りではちょっと、と思っていたのでほっとする。

 食欲はないが、喉がカラカラ。カフェで2人分の珈琲を買って部屋に戻る。母は1週間ぶりの温かい珈琲で美味しいと喜んでいた。テレビも視られない、本も読めないで、基本うつ伏せ状態なのでさすがに退屈なよう。部屋は2つのベッドが空いており、今日入院されたというお隣の方と母だけ。静かである。
 月曜日に一緒に入院した方が今日退院され、既に母が一番長くなったそう。他のベッドは1泊2日の短期入院で、2巡、3巡しているという。1時間ほどいて、看護師さんにご挨拶して病室を後にする。

 再びバスと電車を乗り継ぎ、途中駅のスーパーでお寿司等を調達して帰宅した。往復4時間ちょっとのとんぼ返りは体調不完全の身には強行軍。

 それでもタッチの差で夫より早く帰れたので、生協の食料品や洗濯物の取入れも済ませた。疲れてはいたものの、ドンペリドンのおかげで、夕食は昼までに比べて大分食べることが出来た。食後はさすがに草臥れ果ててビデオを見ながらウトウト。入浴後は早々に就寝。

 土曜日。今日も良いお天気。日差しは強いが風が適度にあって爽やかな日だ。
 ベッドの中で朝の連続テレビ小説。だるいし疲れているので、二度寝してしまおうかという誘惑に襲われた。とはいえ、団地の草取り作業だというので、夫に我が家の名代を任せ、のろのろ起きて朝食を用意して送り出した。

 その後、軽く食事を摂って、また横になってしまおうかと迷った挙句、思い切ってヨガスタジオまで、Hさんの「癒しのクリスタルボール瞑想」のワークショップに出かけた。
 座ったまま優しくストレッチをした後、クリスタルボールを聴きながら仰向けになって瞑想する60分の特別クラス。Hさんの優しい声のガイドと白、ピンク、グレーと色も形も大きさも異なる3つのクリスタルボールの音色と共鳴が素晴らしく体中を包み、深く癒され、リラックスすることが出来た。

 除草作業を終え、シャワーを浴びてさっぱりした夫と合流して軽食を済ませ、夫の靴やジーンズ等の買い物を済ませ、帰宅した。まだ十分日が高く、洗濯機を廻した後、夕食の支度は夫にお任せしてダラダラと過ごす。

 「これまで、投与後の土曜日はダウンしていて、午前中から出かけることはまずなかったのに、今回はこれまでより副作用が軽いように見えるけれど」と夫が言う。なるほど便秘が上手くコントロール出来ると気持ち悪さが少し楽になるように思う。もちろん食前のドンペリドンは欠かせないが、この位の気持ち悪さならなんとかやり過ごせるレベルだ。このまま上手くリズムが掴めるようになると良いのだけれど。
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